琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「新人発掘能力が上がる」ことの功罪

SF小説で新人発掘能力が下がっていった理由
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070312/sfnovelnewfigure
↑のエントリを読んで。

 僕はSF小説の黎明期に詳しいわけではなくて、筒井康隆フリークとして筒井康隆さんのデビュー時のエピソードを追ったことがある程度なのですけど、確かにSF小説の衰退には、「新人発掘能力」の低下があったのではないか、という気がします。もっとも、日本の小説界において流行した「SF小説」の多くは、「サイエンス・フィクション」というよりは、「SF風の娯楽小説」だったのではないか、とも思うんですけど。筒井さんの昔の作品なんて、今読んだら、「これって『SF』なのだろうか?」と思いますしね。

 日本の「SF小説全盛期」の「同人誌で認められて商業雑誌に作品を掲載されるようになる」というような経路は今はもうほとんど廃れてしまっており、今はまさに「コンテスト全盛の時代」です。ライトノベル界に限らず、小説一般においても、文学新人賞出身者が続々と「作家デビュー」している状況です。「間口」は、ものすごく広がってはいますよね。「同人誌に作品を発表して、それが誰かの目に留まって……」というルートよりは、はるかに明快な「作家になるためのルート」が示されていますし。
 しかしながら、その一方で、僕は現状に対して一抹の不安もあるのです。それは、どんどんこうして新人が発掘されることによって、「ライトノベル業界」や「現代小説業界」は潤っても、個々の作家にとっては、現在の状況はけっして良いことばかりではなさそうだ、ということなんですよね。

東野圭吾さんが「作家になって一番辛かった時期」
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060309
↑は東野圭吾さんのデビュー依頼の「苦闘」について書かれたものなのですが、「新しい才能がどんどん発掘される」ということは、裏を返せば、「ちょっとでも古くなった才能は、どんどん淘汰されていく」ということでもあるのです。極端な話、新人賞に応募してくる新しい才能を次から次へと消費し続ければ、「ライトノベル業界」「文学業界」そのものは安泰です。そもそも、本の売り上げそのものはどんどん減ってきているのに、「作家」の数がどんどん増え続けてきているというのは、「檻の中で増えすぎてしまったハムスター」みたいなもので、最終的には共倒れか共食いの道しかないのです。
 「作家になりにくい時代」「デビューしにくい時代」は、「デビューできれば生き残れる可能性が高かった時代」であり、今日の「作家になりやすい時代」というのは、逆に「一度作家としてデビューしても、作家として食べ続けていくことは難しい時代」とも言えるでしょう。最近はどんどん「若い才能」が新人賞を受賞してデビューしていきますが、ああいうのって、見方を変えれば、まだ書くべきもののストックも経験も浅い人を「プロ」に押し上げてしまうことによって、かえってその人の可能性を潰してしまっているような気もするんですよね。「下積み」がほとんど無かった人たちが今後どうなっていくのかは現時点ではわかりませんし、あるいは実体験なんてなくても「仮想経験」で小説は書けるものだったりするのかもしれませんが。
 出版社や読者にとっては必ずしもマイナスではないのでしょうけど、少なくとも作家にとっては、「間口が広がった」ことは、そんなにプラスではないような気がします。ほんと、作家志望者が多いわりには、売れているのは「もともと有名だった人が書いた本」か「著者の個性が見えないハウツー本」ばっかりだしなあ。

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