琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

WEBでの文章の書き方・リターンズ

なんでも評点:【悪文を回避する文章テクニック】第1回 ― 1つの文の中で助詞の「は」を何度も繰り返すな
↑のエントリに感銘を受けたので、以前書いたものを一部流用しつつ、僕が「WEB上で文章を書くときに気をつけていること」をあげてみます。多くの「普通の文章が書けている人」には、あまり参考にはならないかもしれませんが。


(1)WEB上の文章は、なるべくシンプルで短いほうが好ましい。

 これは、読む側のモチベーションの違いというのもあるのでしょう、その作家が好きか興味があって、自分で買ってページを開く小説やエッセイと、空き時間になんとなく眺めるWEBの文章では、「読もう」という意識に差があります。あまりに冗長な比喩や凝った言いまわしは、「文章を読みたい、好事家が集うサイト」でもなければ、避けたほうが無難です。むしろ、文学性は極力入れないほうがベターです。そもそも、WEB上の文章を読む人は、よほどのファンでもないかぎり、「読み流している」人がほとんどです。


(2)フォントいじりの罠

 基本的に、本当に面白い文章であれば、フォントいじりなど必要ありません。最近はむしろ小説でフォントをいじる作家も多くなってきたのですが、基本的には「強調したいところは、字の大きさではなくて、描写力やリズムで強調する」べきなのです。

 でも、「とりあえず字を大きくしていれば、イキオイがあって面白いはず」というのは、「大声で喋れば、面白い漫才になる」というのと同じくらいバカバカしいことです。大事なところに赤線を引いているつもりが、引いていない部分のほうが少なくなってしまった歴史の教科書みたいなもの。

 せっかくフォントをいじるのでも、例えば、波田陽区の「ギター侍」で、「でもアンタ、本当は○○ですから、残念!」というネタがあるとすれば、「残念!」の部分だけを大きくしているようないじり方をしているサイトが多いような気がするのです。大事なのは、その定型句の部分じゃないよ…と思うのですが。


(3)漢字の使い方

 ネットでは簡単に漢字変換できるので、ついつい「有難う御座います」とか、やってしまいたくなるんですけど、官公庁の公文書でもないかぎり「ありがとうございます」のほうが、はるかに親しみもわくし、読む側にとっては感じがいいんですよね。でも、ついつい「難しく書こう」としてしまう。「有難う御座います」って書いてあったって、誰も書き手が賢いなんて思わないのに。

本職の作家・編集者は、「漢字をひらく」といって、難しい漢字や堅苦しい文章を、あえてひらがなに直しているそうです。


(4)指示語が多い

 まあ、続き物企画などはしょうがないにしても、いちげんさんがメインのサイトのトップページで「あのときの…」とかいうようなのは、極力避けたほうが無難でしょう。先週書いたアレですが(「アレ」にリンクを張ってあればいいとしても)、なんて書かれても、大部分の読者は「アレ」をわざわざ探す前に、「戻る」ボタンをクリックします。


(5)その「思った」、本当に必要?

 疲れている日でも何かを書こうと思ってブログをしても、そういう日は何の反応もありませんでした。皆、楽しい話ばかり読みたがるのです。ブログでは赤裸々な本音も書けないし、それでは日記の意味が無いのでやめることにしました。
 あと、ブログが忙しくて、新人賞に応募する原稿も二年くらい放置してあるし、まず、この原稿を何とかして書きあげなければと思っています。
 漠然と感じているのですが、ブログに熱中するようになってから、本を読む時間が減りました。そして、日本にいながら、日本語が下手になってきました。図書館で借りてでも良いから本は読まないと、と思います。人様にお金を払ってでも読ませる技量は勉強しないと身に付かないとも思います。
 また、近々、作家デビューできたら、ホームページを作って、ブログも再開しようかなとも思っています。

 これは「ブログに期待しすぎてしまった人」の悲劇、というエントリで引用させていただいた文章なのですが、やっぱりこの最後の「思った」4連発ってセンスなさそうですよね、悪いけど。僕はけっこう「思ったこと」ばかり書いているので、「思った」という意味の言葉だけでも「〜と考えた」「〜と感じた」「〜という印象を受けた」「〜にちがいない」「〜という気がした」etc+「思った」という結びをつかわずに「思ったこと」だけを書いて終わる、というように、少なくとも同じ締めが2回連続で続かないようにと意識しています。いや、これらの言葉、厳密には違うニュアンスではあるのですけど(ちなみに、「〜ですけど」が続きそうなときには、「〜ですが」と交互に使ったりもします。本当は「けど」が続くような文章そのものがあまり望ましくはないのです)、「思った」連発というのは、やはり、「小学生の作文っぽい」ので。多くの場合、WEBでは「思ったこと」が書いてあるのですから、わざわざ「思った」って書く必要もないんですが。

 疲れている日でも何かを書こうとブログをしても、そういう日は何の反応もありませんでした。皆、楽しい話ばかり読みたがるのです。ブログでは赤裸々な本音も書けないし、それでは日記の意味が無いのでやめることにしました。
 あと、ブログが忙しくて、新人賞に応募する原稿も二年くらい放置してあるし、まず、この原稿を何とかして書きあげなければと考えています。
 漠然と感じているのですが、ブログに熱中するようになってから、本を読む時間が減りました。そして、日本にいながら、日本語が下手になってきました。図書館で借りてでも良いから本は読まないと、と痛感しています。人様にお金を払ってでも読ませる技量は勉強しないと身に付かないですね。
 また、近々、作家デビューできたら、ホームページを作って、ブログも再開するつもりです。

 まあ、僕も偉そうに書いてますが、人のアラさがしっていうのは簡単ではあるんですけどね。
 ただ、「思った」というのは、むしろ「思ったことを主張したいときに強める意味で使う」くらいで良いのかもしれません。もっとも、後述するように、保身のために使われることもあるのですが。


(6)「僕」と「僕たち」と「われわれ日本人」

 政治的なことを主張したがる人って、やたらと話を大きくしたがりますよね。

 われわれ日本人は、中国を嫌っている。

 とか書いてしまうと、多くの人は「その『われわれ』の中には、オレも含まれちゃってるの?」という反感を持ってしまいがちです。誰も認めてないのに、勝手に仲間に入れるな、と。書いている側は、「みんなを味方につけているような気持ち」なのかもしれませんが、逆に「お前なんかが勝手にみんなを代表するんじゃねえ!」と反感を買ってしまうのが関の山です。こういう人は「虎の威を借る狐」のようにしか見えません。話はデカイが、人間は極小。
 「われわれ」とか「日本人は」と書きたいときには、それを裏付けるためのデータを明示しておくべきです。たとえば最新の世論調査で「日本人全体で中国を嫌っている人が90%」とかいうデータが添えられていれば、みんな納得してくれるでしょう。
 ただ、ある程度読んでいる人が多いブログなどでは、あえて「私は中国が嫌いだ」と言っておくほうが無難ではあるんですよね。誰かに責められても「私は」って書いてあるだろ、主観の問題だからね…と避けられるので。


(7)「風説」を書く前に「検索」を!

 よく「なんとかという作家がだいたいこういうことを言ったらしいけど……」みたいなことを書く人がいるのですが、それは友達との会話なら良くても、WEBでは「いいかげんな風説の流布」でしかありません(とか言いつつ、僕もやったことありますが)。誰かの言葉を借りるのであれば、きちんとやらないとかえって信用を失くします。せめて1回くらいGoogleで検索しておけばいいのに……と閉口してしまうような初歩的な思いこみや勘違いを書いている人って、けっこういます。


(8)「反論」する前にもう一度読め!

 他の人が書いていることを自分の脳内で勝手にねじまげて解釈して、その「自分の勝手な解釈」に対して反論している人ってけっこう多いです。ネタにしたいっていう気持ちはわからなくもないのですが、噛み付かれたほうは困惑するだけだし、本人にとっては恥の上塗りです。


(9)でも、書かなきゃはじまらない。

 WEBの良いところは、比較的すぐに手直しができるところです。実際に書いてみないとわからないことってたくさんありますから、興味がある人は、ぜひ一度自分で書いてみることをオススメします。
 どうしても「書けない人」のために、脚本家・橋本忍さんのこの言葉を贈ります。

「どうして書けないんだ。いや、大体、君はそこのシーンをうまく書こうと思うから、行き詰まってしまうんだ。うまく書こうと思うな。上手に書こうと思うな。もっと平凡な、単純な、幼稚でもいい、子供の作文のような形でもいいから、とにかくそのシーンを書いてごらん。それで形ができたら、それを直して、更に直して行けばいい」

(「書いている途中で行き詰まる人」への偉大な脚本家の言葉(活字中毒R。('07/1/29))より)

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