琥珀色の戯言

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物語の役割 ☆☆☆☆

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

 最初にこの本を手に取ったときの正直な感想は、「こんな薄い(126ページ)新書、しかも講演の内容を収録したものが680円なんて、ちょっと高すぎるよなあ」というものでした。読み終えてみると、非常に密度が高くて、「人間にはなぜ物語が必要なのか?」という多くの活字中毒者の疑問へのひとつの誠実な解答が示されている貴重な本だということがよくわかったのですけど。
 ただ、「小川洋子さんが好き」「本、とくに小説好き」「自分で何か書いてみたいという気持ちを持っている」という3つの条件のいずれかにはあてはまる人でないと、この本に「価格分の価値」を見出すことは難しいかもしれません。逆に、どれかひとつの条件にでもあてはまる人には、すごく心に響く本だと思います。

 ここに、私が繰り返している思いを象徴するような本があります。フランス人作家、パトリック・モディアノが書いたノンフィクション作品『1941年。パリの尋ね人』です。これは、ある日、古い新聞をめくっていたモディアノが、偶然尋ね人の欄に目を留めたところからはじまります。パリがナチスドイツ占領下にあった1941年、12月31日付のその新聞には、ドラ・ブリュデールという名の、15歳の少女の行方を捜す記事が載っていました。会ったこともない、自分とは全く無関係なその少女の存在が、訳もなく心から離れなくなったモディアノは、あらゆる資料をあたり、少女がどんな生い立ちで、どんな運命をたどったのか、十年の歳月を費やして調査してゆきます。彼女が残したほんのわずかな痕跡を記録したのが、この本なのです。
 やがて、貧しいユダヤ人労働者の娘ドラは、1942年、第34移送列車によち、アウシュヴィッツに送られ、ガス室に消えたであろう、という事実が明らかになってきます。
 ドラは有名人ではありません。ガス室に消えたほとんどすべての人々がそうであったように、彼女もまた平凡な日常を生きた少女でした。けれど確かに彼女はこの世に存在し、自分の人生を生きたのです。モディアノがその足跡を明らかにしたとしても、彼女が生き返るわけではありませんが、作家が言葉を記したことによって、ドラの存在の証がこの世に刻まれたことは確かです。この作品を書くことによってモディアノは、死者からこぼれ落ち、誰からも見捨てられた記憶を大事に両手ですくい上げ、そうすることで死者と言葉を交わしたのだと思います。
 本書の前書きでモディアノは、寄せられた批評の中で最も心打たれた一文として、次のような言葉を挙げています。
「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学とはこれにつきるのかもしれない」
 書くことに行き詰まった時、しばしば私はこの文章を読み返します。そして心を落ち着かせ、死者の声を聞き取ろうと、じっと耳を澄ませます。次に書くべき言葉をじたばた探そうとするのではなく、耳を澄ませる。するとまた、書くことのリズムが戻ってくるような気がするのです。

 この小川さんの文章を読んでいて、僕は村上春樹さんの小説のことを思い出していました。「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと」というのは、まさに村上春樹さんの作品そのものではないか、と。

1941年。パリの尋ね人

1941年。パリの尋ね人

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