琥珀色の戯言

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巨船ベラス・レトラス ☆☆☆

巨船ベラス・レトラス

巨船ベラス・レトラス

出版不況、文学の衰退…。この船のさだめは、海の底へ導かれているのか。おお、われわれはどこへ向かっているのか…。「大いなる助走」から30年。鬼才が現代日本文学の状況を鋭く衝く、戦慄の問題作。

筒井康隆フリークとしては、こうして筒井さんがまだまだ現役バリバリで「問題作」を書き続けてくれていることそのものが大きな喜びなのです。でも、正直この『巨船・ベラス・レトラス』に関しては、「ちょっと御大、いくらなんでもこれは、自分が『筒井康隆』であることを過信しすぎているのでは?この本が最初の筒井作品だという読者は、間違いなく引いてしまいそう……」と言いたい気分になりました。最後のほうの「暴走」している部分はとくに……それが「文学についての問題」というよりは、「厚かましい商売人が引き起こした問題」のようにしか僕には思えませんでしたし。
そういうのを描いて作品のエッセンスにするのは、筒井さんの「お家芸」ではあるんですけど、なんというか、『大いなる助走』ほどのサービス精神もなく、『夢の木坂分岐点』ほど読者に挑戦的でもなく、「なんだか筒井さん、小さくまとめちゃったな……」と悲しくなってしまうような作品なんですよね。もちろん、これはまぎれもなく「筒井康隆の世界」であり、けっしてつまらない作品でもないですし、最近「本屋大賞」にノミネートされている「読みやすい話」ばかり読んでいる僕にとっては、久々に「手ごたえのある小説」を読んでいる、という緊張感もあったのですが……

 それに比べりゃ今の作家は同時期にデビューした作家仲間と連絡を取りあって、執筆状況や原稿料や何やかやの情報交換をしながら、他より進まず遅れずほどほどの作品を生み出していこうという程度の望みしか持っていないようだ。これは若い作家に限らない。今の若い連中はみんなそうだが、ブーアスティンの言うアンテナ型になってしまった。周囲を見て自分の行動を決める、他人と容易に同調する、仲間から一歩抜きん出ることは摩擦を生みシカトされる恐れがあるから避ける。そして作家の場合ただ作家になり他の作家と肩を並べることができたというだけで自足してしまう。勉強といっては仲間の作品を、自分の作品もその水準さえ維持していればいいんだという安心感を得るためにのみ読むだけだ。皆と同じことをして何が悪いという心理が根幹にあるから、仲間の評価以外の批判を聞き入れることはない。あのう、これはレベルの違いがあるだけである程度は最近の純文学をやっている作家の一部にも言えることなんだね。

 まあ、こんなことを堂々と書けるのも、やっぱり「筒井康隆だから」なんですけどね。

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