琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

具体的なことを書かれずに違和感を表明されること

具体的なことを書かずに違和感を表明すること(憂鬱な昨日に猫パンチ 不安な明日に猫キック (2007-05-22) )

個人サイト・ブログレベルでの「言われる側」からすると、正直、こういう「具体的なことを書かずに違和感を表明する人」っていうのは、なんだかすごく気持ち悪いんですよね。いわゆる「イジメ」みたいで。

「こっち来るな、お前がいると気分悪いんだよ!」
「どうして気分が悪くなるの? 理由を教えてよ!」
「うるせえなあ、理由なんてあるかよ、なんとなく、だよ!!」

このように「生理的に受けつけない」「嫌いなものは嫌い」っていうふうに言及されるのって、非常に不快であり、辛いものなんですよ。改善しようにも、何を改善していいかもわかんないしね。
社会的なニュースや事件に関して、あるいは芸能人のような「公人」に対しての『どうかと思う・気が知れない・いかがなものか』は、まあ、彼らも商売だから、そのくらいの誹謗中傷には耐えざるをえないのかな、という気がするのですけど。

個人サイトやブログの場合は、僕の印象として、「いかがなものか」って誰か1人から言われることのダメージって、管理人にとっては、ものすごく大きいのではないでしょうか。それこそ、1日何万も人が来るようなブログでも、「読者の声」ってそんなに多くは無いと思うんですよ。毎日何百通もメールが来るようなサイトはほとんどないはずです。

来訪者は「あんなに人がたくさん来るようなブログは、『公器』だろう」と判断していて、「多少の悪口くらいは甘んじて受け入れるべきだ」と考えている一方で、ブログの運営者にとっては、「顔面に唾を吐きかけられたような感じ」だったりするのです。そもそも、ブロガーの多くには、「これも食っていくためだから」なんていう「ガマンするための大義名分」が無いのです。「どうして自分はプロバイダー代や電気代を払ってまで、こんなに罵倒されなければならないんだ……」と悲しくなるばかり。ヘンな話ですが、ブログをやっている人の多くには、自分が「善意でブログを運営している」と思っているところがありますから、逆境や誹謗中傷には「割が合わない」という意識が強くなるのですよね。

一昔前までは、『侍魂』の健さんだって、「メールを出せば直接返事をくれそうな感じ」をみんなが持っていたと思います。ところが、今の大手サイトの多くは、読んでいる側からすれば、「手の届かないところに行ってしまった人」のように見えているのではないでしょうか。プチ芸能人、プチメディア的な印象。

ところが、そういう外観ほど、運営している側は「割り切れていない」のでしょう。「くそ、あいつらは自分のサイトがいつ潰れてもいいような零細サイトだからって、あんな無責任な批判をしやがって!」とか、おとなげなく憤っていたりもするのかもしれません。いやほんと、「大国」には「大国」の振る舞いってヤツが求められるので、傍からみるほどラクじゃないんだろうな、という気がします。同じ内容でも、小国から大国への罵倒は「批判」や「挑戦」で、大国から小国への言及は「圧力」になってしまったりもしますから。

参考リンク:個人サイト『大国の興亡』

まあ、『どうかと思う・気が知れない・いかがなものか』というような「抽象的な違和感の表現」っていうのは、それを読んだ人にとっても、「ああそうだね」「そんなふうに考える人もいるんだな」という程度のささやかな影響力しかないものではあるんですけどね。

アクセスカウンター