琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「常連のくせに料理を残す人」を責めないで

「残す常連」(by WebColumn(07/6/29))

「料理を残す常連さん」 (by 晴れの日もある (07/6/29))

 僕も基本的には食べ物を残すのは嫌いですし、外食で他の人が大量に食べ残しているのを見ると、「勿体無いオバケが出るな……」と、懐かしい感情が湧きあがってくるのです。でも、ちょっと待ってください。

時々、信じられないような常連さんに遭遇することがあります。常連さんが、「じゃ、ごちそうさん」と席を立った後、何気なくテーブルやカウンターを見ると、なんと食べ物や飲み物が残っているんですよ。ラーメンのスープが残っているというパターンではなく、つけあわせのパセリが残っているパターンでもなく、もっとしっかりと残してます。ラーメンなら麺が半分近くとチャーシューも、とんかつ定食ならとんかつ二切れと千切りキャベツ大量、といった感じで。

その人が常連さんであることは間違いないようです。でも残すんですよ。たまたまその日は体調が悪くて残したようには見えません。もしそうなら、「ごめん、今日はちょっと胃の調子が・・・」などの一言があるでしょう。その常連さんは、残すことが当然の様に残しています。また、量が非常に多くて、普通の人は食べきれないようなメニューでもありません。普通の人なら普通に完食するであろうような量です。でも、残すんですね。

 ↑は『WebColumn』のほうから引用させていただいたのですが、実は、こういう「残す常連」さんたちには、それぞれの「事情」がある場合も多いのです。
 以前『すきやばし次郎』の小野二郎さんが、こんな話をされていました(引用ではなくて、僕が記憶に基づいて書いたものなので、だいたいこんな話だと思ってください)。

 『すきやばし次郎』の常連のお客さんに、もう80を超えたくらいの高齢の男性がいて、この人は季節に一度くらい店にやってきてカウンターに座り、「まぐろ」や「こはだ」など、好きなネタを4カンか6カンくらいを食べてお茶を飲み、ほんの15分くらいで帰られるんです。なんでも、大きな病気をされていて、一度にたくさん食べることはできないけれど、鮨が大好物で、こうして『次郎』ののれんをくぐって旬のネタを食べるのを人生の楽しみにしていてくださるということなのです。

(ちなみに、マンガ『美味しんぼ』にも同じような話があって、これはたぶん小野二郎さんのこの話をモチーフにしたものだと思います)

 まあ、この『次郎』の常連さんは見た目もそんなに「元気そう」ではないのかもしれませんが、実際、世の中には、「見た目は普通」でも、食事制限があったり、一度にたくさん食べられない、という人って、けっして少なくないのです。
 糖尿病でカロリー制限がある人とか、胃癌の手術で胃が半分しか無くなってしまった人の多くは、外見上は「普通」です。でも、「食べたくても食べられない」あるいは、「食べてはいけない」のですよね。
 しかしながら、こういう食事制限がある人々だって、「たくさんは食べられないけれど、美味しいものを食べたい」という気持ちはあるはずです。
 鮨屋であれば前述のように数カンだけというような食べ方も可能なのですが(とはいえ、『すきやばし次郎』でこれをやるのは、けっこう勇気が要るかもしれません)、食べ物の種類によっては、「一人前」の量が決まっているところも少なくないですよね。トンカツ屋などはその最たるもので、「半分しか食べないのなら、最初から半分だけ揚げればいい」かというと、油の加減も違ってくるでしょうし、じゃあ、カツが半分なら値段は半分にするのか?というような問題も生じてきます。食べ物の種類によっては「分量を調整する」というのは、かなり手間がかかったりもするのです。「かえって店に迷惑をかける」なんてこともあるはずです。

 さらに、店主の「気持ち」の問題もあるでしょう。「半分しか食べられないから」という理由で半分にされた料理はいかにも貧相に見えそうです。料理を供する側が、「もったいない」という以上に、そんな状況で自分の店に来てくれたお客さんには、「せめて目で楽しんでください」とか「美味しいところだけでも食べてください」というふうに考えるのは、けっして不思議な話ではないはずです。もちろん「勿体無い」のですけど、日本という国は、今のところそのくらいには「豊か」なんですよね。

 たぶん、店の人は何かの機会にそういった「事情」を聞いていて、そのお客さんが「残さなければならない」ことを知っているのです。でもまあ、周囲のお客さんにいちいち「事情説明」はしませんよね、普通。
「常連さん」が、

ラーメンなら麺が半分近くとチャーシューも、とんかつ定食ならとんかつ二切れと千切りキャベツ大量

というような、大量かつ折り目正しい残し方をしている場合には、その人は、最初から「半分だけ食べて、チャーシューは残す」とか「とんかつは二切れ残す」と決めて食べている可能性を考えたほうが良さそうです。

 しかし、僕もこんなふうに偉そうに書いていますけど、実際にはいろんなところで無意識に他人を傷つけているのでしょうね。そういえば、昔、あるコンサートに行ったとき、やたらと便の臭いがして、「誰だこんなところで放屁しまくっているヤツは!」と内心憤っていたら、すぐ近くの席にストーマ(大腸がんの手術のあとなどにつくられる人工肛門)をつけた高齢の女性が座られていて、ものすごくバツが悪い思いをしたことがありました(付記しておきますが、最近のストーマはほとんど臭わないです。おそらくそのときは、なんらかのトラブルが起こっていたので臭いが強かったのではないかと)。

 最近読んだ、齋藤孝さんの『コメント力』という本のなかに、こんな記述がありました。

 断るときのコメントとして、相手が納得するしかるべき理由をつけてコメントするといい。断るときではないが、長い行列にちょっと横入りをさせてもらうとき「すいません」ではなく、ちゃんとした理由を言うと、大概の人はかなりストレスがやわらぐという。
「体の具合が悪くて」と言えば、「あっ、どうぞ」ということになるが、何も言わずに割り込んで行くとトラブルになる。つまりしかるべき理由がある場合にはしっかりと言い、ない場合には嘘も方便で何か考えて断ればいいのである。

 猛スピードで「暴走」している車でも「危篤の母親の臨終に間に合うためにスピードを出している」という理由を知っていれば、喜んで道を譲ってあげる人も多いはずです。世の中いろいろ不快なことも多いのですが、そこには相手なりの「理由」があることって、けっこう少なくないのでしょう。まあ、いくら事情があっても「限度」っていうのはあるのですけど。
 自分に「説明できる機会」が与えられる状況なら、周囲に説明しておいたほうがお互いにとってプラスな場合が多いというのは、知っておくべきことでしょう。多くの場合、周りの人は、あなたの「事情」を好意的に想像してはくれないので。

 まあ、少なくとも「常連のくせに残すなんて!」と憤るよりは、「何か事情があって残さないといけないんだな」と考えておいたほうが、お互いにとって幸福なんじゃないかな、と僕は思っています。

コメント力―「できる人」はここがちがう (ちくま文庫)

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