琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

戦争の本質

これが戦争の本質(by invisible-runner(8/15))
↑のエントリを読みながら、僕も「そうだよなあ」と頷いてしまいました。「善」と「悪」とが闘うのは『指輪物語』の世界くらいのもので、実際の戦争は(主観的な)「善」対「善」によって行われるのです。

鴻上尚史さんが、以前「SPA!」で「全国高等学校演劇大会」最優秀作品『修学旅行』(青森中央高等学校)のあらすじを紹介されていました(以下は鴻上さんの文章)。

 青森の高校生が沖縄に修学旅行に行って、戦争の傷跡をたくさん見ます。
 物語の舞台は、旅館の一室。就寝前の5人の女子生徒がメインです。
 彼女達は、「戦争って悲惨だよねー」「人って、なんで争うのかなー」と話すのですが、班としてのまとまりはありません。
「みんなで盛り上がろう!」という班長の提案で、好きな男の子の名前を紙に書くことにします。修学旅行の夜は、そうやって盛り上がるのが正しいんだっ!と、班長は言うのです。
 みんなは渋々従い、誰が書いたかバレないように左手で、クラスの中でいいと思っている男子生徒の名前を書きます。
 と、みんな、カイト君が好きだと書いてしまったのです。部屋の雰囲気は険悪になり、それじゃあ、カイト君を呼んで誰が好きなのか聞こうという話になります。やってきたカイト君は、きわめて意味深に、班長が好きだと言うのです。
 それまで、バラバラはバラバラなりに、ふとんを並べて寝ようとしていたメンバーは、それぞれ、部屋の四隅にふとんを移動させ、「ここからが私の領土!入ってきたら許さないからね!」と叫ぶのです。
「人って、なんで争うのかなー」と言っていた生徒達が、真剣に争っているのです。
平和教育」というのがあるとすれば、この作品は、見事な平和教育です。観念的に戦争を理解するのではなく、具体的に「争うこと」「憎むこと」を教えてくれるのです。それも、高校生が、見事な演技で、です。

 自分のこと、このブログのことを振り返ってみても、僕は「アメリカの戦争に嫌悪感を抱いている」その一方で、自分のブログが「攻撃」されると、戦わずにはいられないんですよね。傍観者としては「戦争を嫌悪している」人でも、自分が争いの当事者になってもその態度を貫けるかどうかどうかというのは別問題なのかもしれません。
 9・11とその後のアメリカのイラク攻撃に関して、「傍観者」である僕は「アメリカの正義」に不快感を抱きました。「世界でいちばん強い国」が、なんておとなげないことをするのか、と。
 でも、僕が実際に接したアメリカ人の多くは(っていうほど知り合いいなんですけどね)、本当にテロを怖がっていたのです。「日常生活の場のビルに、民間機が突っ込んでくる」というのは、「当事者」にとっては、「いま、そこにある危機」であり、それを回避するために、彼らは「過剰防衛」を厭わなかった。

 「ネットバトル」というのもそんな感じで、やればやるほど「もうここまで戦線を拡大してしまったら、引くに引けない」というような状態になりがちです。「大手なんだから、もっと鷹揚に構えていればいいのに」なんて「ネットバトルに付き合ってしまう大手ブログ」を批判する人も多いのですが、サイトやブログの規模の大小と、管理者の「傷つきやすさ」は相関しないものですし、「こちらが大手だからといって、相手のやりたい放題にさせてやる筋合いはない」と感じている場合も少なくないはずです。

だったら話し合いましょうよ。相手を言い負かそうとするのではなく,相手と自分の考え方の違いを認め合った上で,じゃあどうしていくのがそれぞれにとってプラスかを考えていきましょうよ。それが,どっちも自分の主張のためなら相手がどうなろうと知ったことかという態度ですから。

 本当にその通りだと思います。
 実際に自分が争いの当事者になってみると「なりふりかまっていられない」のも事実なんですけど。

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