琥珀色の戯言

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中井監督の「抗議」の意味

広陵・中井監督が“疑惑の判定”に決意の発言「教育者として言う権利はある」(サンケイスポーツ)


↑の動画を見ると……うーん、僕もこれは「ストライクゾーンに入っている」と思います。
「決勝点じゃないのだから、後続を抑えればいいだけの話」と言う人も多いようですが、あの場面での「押し出しのフォアボール」で、明らかに広陵・野村投手は動揺してしまっていました(というか、半ば不貞腐れてしまっているようにも見えました)。
佐賀北の副島選手がホームランにしたのは、今までの野村投手からは考えられないような甘い球だったので、やはり、あの一球の影響は大きかったのではないでしょうか。
「後続を抑えればよかったのだから、言い訳だ」とは僕も思うのです。あの判定のあと、結果的に広陵が勝っていたら、あの判定がここまで話題にあることもなかったはずですし。
でも、もし僕が野村投手の立場だったら、やっぱり「こだわり」は消えないんじゃないかなあ。

「悔いはない。審判が正しいから仕方がない」

っていう野村投手の言葉は、「本当に審判が正しいと思っている人」から出てくる言葉じゃないですから。

僕は個人的に広島県とは縁が深いので、広島県勢は応援しているのですが、広陵に関しては「広島の高校なのに、巨人の手先」というようなイメージが強くて、あまり好きな高校ではありません。ここでコメントが出ているOBも金本、二岡、西村と「カープファンに喧嘩売ってるのかよ!」と言いたくなるようなラインナップ。もちろん、「巨人の手先」という噂の中井監督も嫌いです。
しかしながら、この中井監督の抗議のニュースには、「往生際が悪いなあ」と感じたのと同時に、「やっぱり名門校の監督というのは、人心掌握術を心得ているものだなあ」とも思ったんですよね。だって、このシチュエーションで、選手たちの「口にできない想い」を代弁して悪者になれる人は、監督しかいないのだから。

以前、ある監督経験者のインタビュー記事で読んだのですが、監督というのは、たとえ自分がアウトだと思っても、ピッチャーや他の選手たちが不満に感じていれば、「あれはセーフだ!」と審判に抗議しなければならないのだそうです。それはスポーツマンシップに反する行為ではあるのですが、「人を動かす力」というのは、「客観的な正しさ」とは別物だったりするんですよね。
そもそも、中井監督が声を上げたからこそ、それに比べて野村投手の言葉は「潔い」とみんなが感じたわけで、もし中井監督が黙っていれば、野村投手の言葉のほうが「審判への皮肉」だとして叩かれていたかもしれません。
あの監督の言葉で、完全な「引き立て役」になってしまった広陵の選手たちは精神的に救われた、という面もあるでしょう。

「判定が覆ること」を中井監督は期待していないはずです。
でも、あれは監督として、選手たちの「指導者」として、「言わなければならないこと」だったんですよね、きっと。

土生主将「胸を張って帰りたい」
 土生主将は逆転負けにも「力を出し切れた。これ以上ない3年間だった」と達成感をにじませた。試合中は「勝っても負けても最後の試合。楽しもう」とナインに声をかけ続けたという。「胸を張って帰りたい。佐賀北には最後まであきらめない執念を感じた」と優勝校をたたえた。

なんだか心が洗われるようなコメントです。
決勝戦の結果は残念だったけど、広陵はけっして「敗者」ではないと思います。最後までリングに立ち続けていたのだから。
広陵にとっても「すばらしい夏」であったことを僕も願っています。

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