琥珀色の戯言

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【読書感想】滝山コミューン1974 ☆☆☆☆☆

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)


Kindle版もあります。

出版社/著者からの内容紹介
「僕は感動した。子供たちの裏切られた共和国だ!!」 作家・高橋源一郎

マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった1人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー

東京都下の団地の日常の中で、1人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義のテーマ。受験勉強と「みんな平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か? そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か?
2007年、今の「日本」は、1974年の日常の中から始まった。

 この本に興味を持ったきっかけは、『ダ・ヴィンチ』の「マンガ狂につける薬」で呉智英さんが紹介されているのを読んだことでした。
 呉さんは、この本を、こんなふうに紹介されています。

 これは、書名だけ見ると、一昔前にあった秩父困民党やらパリコンミューンになぞらえて住民運動を過大評価したドキュメントのように思えるが、全然違う。むしろ、正反対の本である。政治史についての洞察力を欠いたまま民衆権力のコンミューンという扇動的言葉に憧れた善意の人たちが作り出した教育の牢獄の記録である。

 僕がこの本を読みながら感じていたのは、なんというか、うまく言葉にできない「居心地の悪さ」だったのです。僕は著者の原武史さんの10歳年下なのですけど、この「滝山コミューン」を「時代錯誤の教師や親たちが作ろうとした、偽りの楽園の物語」と総括できるほど、僕はこの物語と無関係ではありませんでした。
 当時はそんなこと考えもしなかったけれど、この本を読んでみると、自分たちが「普通の授業」「普通の学校生活」だと思っていたものには、大人たち(そして一部の「自覚した子供たち」)の意思が反映されていたのだ、ということがわかったんですよね。

 これは、「滝山コミューン」の話ではなくて、この本に引用されている、当時の「全生研(全国生活指導研究協議会)方式」についての朝日新聞の記事(1973年7月)なのですが、

 班競争がスタートしてみると、(T君の母親の)不安はますます大きくなり、不安は失望に変わった。
 先生は、週ごとに子どもたちに努力目標を立てさせ、各班に持ち点50点を与えて、オリンピックの体操競技さながらに減点法によって得点を競わせた。
 目標は「給食時間を守る」「一日一回は必ず発言する」など。週番になった子どもたちは、毎日毎時間鉛筆とノートを片手に目を光らせて違反者を書きとめ、毎週土曜日に、最も減点の多かった班をボロ班と呼んでさらし者にしたという。
 T君は、給食の時間中に、雨が降って来たのを見ようと立ち上がった。たちまち週番の子から声がとんだ。「T君、減点1点!」
 勉強の面でも班競争を活用する。彼の班に、3桁の掛け算ができない子がいた。先生はT君に言った。「今週中にあの子に掛け算を覚えさせなかったら。班長のお前の責任だぞ」
 5月は2週続けてT君の班がボロ班になった。ほかの班は人数が4〜6人なのに、T君の班だけが8人と、不利な面もあった。しかし班員の間には、二度もボロ班になったことへの不満が高まって来た。
 ある日、別な班の班長が「T君は班長として不適当なのでリコールした方がいいと思います」と提案した。班会議の結果、彼はその場で班長を解任された。

 
 たぶん、今の20代前半くらいの人は、これを読んで、「そんな時代、本当にあったの?」と思われるのではないでしょうか。でも、この時代から10年後の僕たちの時代にも、この「名残」は残っていたような記憶があるのです。「鬼のパンツ」を「全生研」が推奨していたなんて、全然知らなかったよ……
 「民主主義」を唱える人たちというのは、ときに、下手な専制君主よりも「権威主義」で「独善的」になってしまうのだ、ということを、あらためて考えさせられます。

 そして、この本のすばらしいところは、「システムを外から取材し概説している」のではなくて、その時代に「滝山コミューン」という嵐の中で生きなければならなかった、原武史というひとりの小学生の姿が読んでいる僕にも見えてくる、ということなんですよね。それにしても、原さんは、よく小学校の同級生のことをこんなに覚えているのものだあ、と僕はすっかり感心してしまいました。正直、僕にとってあまり印象深い時代でも良い時代でもなかったせいか、僕は自分の小学校時代のことって、あんまり記憶にないんですよね。そして、これを読んでいると、「こんなに優秀そうな小学生たちでも、大人になってしまえば、みんなが総理大臣になったわけでもないし、大会社の社長になったわけでもない」というのも感慨深いものがあるのです。
 ただ、原さんのスタンス(ていうか、小学生にスタンスも何もあったもんじゃないけどさ)に対しては、「でも、原さんは後で東大に入学したくらいの「知的エリート」だから、そんなふうにひねくれることができただけなんじゃないの?」と穿った見方をしてしまう面があるのも事実なんですよね。
 いや、これは現代の僕たちからすれば「異様な世界」なんだけれども、この小学校時代の「連帯感」を素直に「いい思い出」として心に抱いて生きてきた人たちも、少なからずいたのではないかと僕は考えています。それが「間違い」だと、誰が決めることができるのでしょうか? いや、「正しい」とも思えないんだけどさ。

 この本には、若干の「食い足りなさ」が残るのは事実です。
 僕が最も気になったのは、この「滝山コミューン」の「核」として委員会活動をしていた子どもたちは、その後、どういう人生を歩んでいったのだろうか?ということでした。そういうのって、まさに「覗き見的興味」であり、「彼らはみんなその後もエリートとして幸福な一生を送っています」みたいなオチだったら、それはそれで感じ悪そうなのですが、この本の中では、ごく一部の人物の「その後」が紹介されているだけで、「全般的に、あまり幸福ではなさそう」ということをほのめかすだけにとどめられています。これは原さんにとって「同級生の話」だから、彼らを過剰に傷つけるわけにはいかないというのも理解できるんですけどね。

 あれは確か、秋季大運動会が終わった直後の、十月のある日の昼休みだったろうか。当時の七小では、放課後でなく、昼休みに全校いっせいで児童が教室の掃除をする習慣があった。高学年になると、自分たちの教室以外に、音楽室や家庭科室、低学年のクラスなども、手分けして掃除することが課せられていた。
 その日、私は同じ班のメンバーと一緒に、割り当てられた音楽室の掃除をしていると、代表児童委員会副委員長の朝倉和人が来て、小会議室への出頭を命じられた。私はホウキをそこに置いたまま、音楽室があった本校舎三階の西端から、小会議室があった南校舎の二階まで、朝倉に連行された。
 私はついに来るべきものが来たと覚悟し、特に抵抗することもなく、比較的冷静であった。けれどもそれは、当然に5組の連中がやるものと思っていたので、朝倉が来たのは意外であった。
 小会議室に入ると、代表児童委員会の役員や各種委員会の委員長、4年以上の学級委員が、示し合わせたかのように着席していた。ただこのとき、片山先生や中村美由紀がいたかどうかははっきりしない。
 朝倉はまず、9月の代表児童委員会で秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた私の「罪状」を次々と読み上げた。その上で、この場できちんと自己批判をするべきであると、例のよく通る声で主張した。

 これが、当時の「小学校」での出来事だったのです。
 こんな時代よりは、ネットの人たちが大嫌いな「ゆとり」のほうが、はるかにマシなんじゃないの?と思います。
 でもこれを行っていたのは、「理想に燃えたやる気のある先生たち」と「教育熱心な親たち」そして、「自分が子どもであることを認めたくない子どもたち」であって、彼らは「善意」に基づいて、こんな学校を作っていたのです。

 この本の紹介記事のなかで、呉智英さんは、こう書かれています。

 私は教育の価値を否定しない。1世紀を超える義務境域の普及・完成がこの豊かな日本を作った。(さくら)ももこより、その母、その父、その先生の言い分の方が、百倍も千倍も正しい。それでも、ももこが教育になじめないのも、また一つの真実である。我々は、教育は絶対善だと思っている。ちがう、教育は必要悪なのである。それは、初めに少し触れたように、政治に似ている。ちがうところは、政治に深く関与した人ほど、それが必要悪だと気づくのに、教育に深く関与した人は、それが絶対善だとますます信じ込むところである。

 これは、非常に「重い」言葉です。実は、いつの時代にも、どこの世界にも「正しい教育」なんて、存在しないのかもしれないな、と学校嫌いだった僕は思います。
 多くの人に読んでいただきたい本なのですが、とりわけ「教育」を生業としている人たちには、ぜひ一読をお勧めします。

 

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