琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

いつまでもデブと思うなよ ☆☆☆☆

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

 僕もダイエットしなくちゃなあ……
 そんな切実な想いと、「あの」岡田斗司夫さんが、「ダイエット」に対してどんなアプローチをしたのかという興味から買って読んでみました。
 新書で220ページほどの本で、1時間半ほどでザッと流し読みした時点での最初の感想は、「まあ、タイトルはさすがって感じだけど、あんまり突飛なことは書いてないよなあ……けっこう常識的なダイエットの本だし、これがきちんとできれば確かに痩せるだろうねえ」という納得と「でも、こんなダイエットができるのは、岡田さんが自分で自分のスケジュールをある程度コントロールできる『自営業者』だからだよなあ」「っていうか、ウチは田舎だから、サブウェイなんかねえよ!」という反感が半々、というものでした。

 でも、少し時間をおいて読み直してみると、この「レコーディング・ダイエット」というのが、まさに「王道」であり、「面白みがなくてちょっとめんどくさくて、劇的な効果がない代わりに安全で確実な方法」であることは間違いないな、と感じるようになりました。
 岡田さんは、この本のなかで、「レコーディング・ダイエット」の第一段階の「助走」について、こんなふうに書かれています。

 レコーディングとは記録する(レコード)の現在分詞である。毎日、欠かさず記録をつけるから、レコーディング・ダイエット
 やることは「口に入れたものを全て、毎日メモを取る」「毎日、同じ時間に体重を計りメモを取る」の二つ。この記録をとるだけでいい。
 この期間はダイエットや食事制限などいっさい意識しなくていい。とにかくいつもどおり、食べたいものを食べて、飲みたいだけ飲むこと。どちらかというと「ダイエットをガマンするのが目的」だと考えて欲しい。
 とにかく、いままでと同じ食生活を続ける。そして、ただ単にそれを記録するだけ。
 専用の小さなメモ帳を持ち歩いてもいいし、携帯メールで自分のアドレス宛に送信して「daiet.tex」のファイルなどを作ってそこに転記するだけでもいい。

 「それだけ?」って思う人もいるでしょうし、「そんなのめんどくさいよ」と感じる人もいるはずです。毎日ネットで日記を書いている一方で、返信しなければならないメールを「眠いから明日に……」などと溜めこんでしまっている僕には、そのどちらの心情もわかります。たぶん、「もっと即効性のあるダイエットじゃないと……」という人も多いのではないでしょうか。
 でもね、僕の今までのダイエット失敗経験から言っても、この「記録する」っていう行為を続けていくことは、それだけでけっこう意識改革につながるんですよね。ダイエットがうまくいっているときは体重計に毎日乗っているけれど、どうも最近食べ過ぎているな、と感じているときは憂鬱になって体重計に乗らなくなっていく、そして体重のほうも……というのは、そんなに珍しい経験ではないですよね。
 こういうときに、「たとえ増えているのがわかっていても、毎日1回は体重計に乗る」というだけでも、実際はけっこう違うと思うのです。少なくとも「昨日のああいう食生活だと体重はこれだけ増えるんだな」というイメージを積み重ねていくだけでも、長い目でみれば全然違うはず。そもそも、僕という人間は「記録が残る」となると妙に意識してしまうところがありますし、「万歩計をつけているときは、日頃エレベーターを使う階段でも歩くことを選択しやすい」傾向があります。
 毎日ネットで日記を書いたり、他の人が書いているものを読んでいると、「記録する」という行為は、それだけで、その「記録すべき行動」にもけっこう影響を与えているようです。もちろんそれは良い影響ばかりではなくて、「記録する」ことによって、自分の人生そのものをドラマチックに勘違いして、行動をエスカレートしてしまう人(それは、「不倫日記」や「育児日記」などにあらわれることが多いようです)も出てきます。
 ただ、「ダイエットを成就させる」という点においては、「自分を客観的に評価し、分析する」というのは大きな武器になりますし、この本を読んでいると、岡田さんのダイエットが成功したのは、「劇的なダイエット法」にではなく、「劇的な意識改革」の賜物だということがよくわかります。

 もったいないという気持ちは理性で押さえ込む。
「アフリカの飢えた子どもに、今からこのポテチは送れない!」
「ゴミ箱に捨ててもったいないのはお金だけ。自分のお腹に捨てたら、せっかくの今日までの努力が損をする」
「ここで200kcal食べたら、夕食を200kcal減らさなくてはならない。そのほうがもったいない!」
「次にまたポテチが食べたくなったら、コンビニまでいって買えばいい。買いにいくのが面倒なときは、それほど食べたいわけではない」

 本当は、こういう「理性で押さえ込む」ということが一番難しいのでしょうけど、確かに、「アフリカの子供たちが……」って本気で思っているのなら、最初からそれを買わずにそのお金を寄付でもすればいいわけで、そういうのって、「自分への言い訳」なんですよね、所詮。ただ、実際にその現場を見たら、やっぱり「もったいない……」と感じてしまうような気はしますけど。
 岡田さんというのは、こだわり始めたことに対する徹底した「ストイックさ」があって、今まで「オタク方面」に向いていたその「興味」が、今回はダイエットに向いただけなのかな、とも思います。ただ、岡田さんに似た「傾向」を持っている僕には、このダイエットは実行できそうな気がするのです。まさに「オタクのためのダイエット」なのではないかと。
 逆に、「日々あまりいろんなことにこだわらず、流されるままに人生を楽しんでいる人」には、ちょっと難しい方法なのかもしれません。おそらく、「そんなゴタクはもういいから!」とイライラしながら読み進め、結局最後まで「ゴタク」しか書かれていなかったことに唖然とした「さすらいのダイエッター」も少なくないと思うのですが。

 ところで、僕がこの本を読んでもうひとつ感心したのは、岡田さんというのは、実によく自分の身体を「観察」し「記録」「記憶」しているなあ、ということでした。

「空腹がわからないなら、食べないですむ」と考えるかもしれない。
 違う。
 空腹がわからないから、空腹になる前にどんどん食べてしまうのだ。正確に言えば、満腹でなくなったら食べる。食べられるかなと考えたとき、何か食べられそうだったらさっそく食べる。
 そうやって、空腹になる前に食べ続けていたから、胃袋が空腹のサインを出すチャンスも、空腹のサインを感じるチャンスもなかったのだ。
 暇なとき、つまらないとき、すかさず何か食べたいと考える。たまたま食後すぐで、苦しいほど満腹の場合は(食後すぐは、いつも満腹で苦しいんだけど)、「残念、何も食べられない」とあきらめる。苦しくなれば、「チャ〜ンス! 何を食べよう」となる。
 お腹にほんの少しでも隙間ができたら、そこに嬉々として食べ物を詰め込む。せっかく何か食べられるのに、食べないなんてもったいないことは、考えられない。
「食べようと思えば食べられるんだから、食べないのは損」
 いつの間にか、そんな風に考えていたのだ。
 それが私だった。だから私は太っていたのだ。

 思い返してみると、大学時代に部活の練習のあと、「おなかすいた〜」って口火を切っていたのは、すごくスリムな女性の先輩だったんですよね。僕はあの頃「この人はこんなに食いしん坊なのに、なんでこんなに痩せているんだろう?」とものすごく疑問だったのですけど、今はその理由がよくわかります。
 先輩は、「自分の『空腹感』を実感できるような、オンオフをきちんとつけた食生活をしていた」のです。だからちゃんと「空腹感」を自覚し、表出できていた。
 それに対して僕はいつもダラダラと食べたり飲んだりしていて、「空腹でも満腹でもないけど、食事の時間だから、あるいは仕事が一区切りついたから食べる」という食生活。
 「そんなにお腹が空かない」のは、全く自慢にはならないんですよ。
 あまたの「ダイエット本」のなかで、「心境の変化」だけでなく、こういう「体の感じ方の変化」を精緻に描いている、という点で、この本はすごく読む価値があると思います。

 というわけで、旅行から帰ってきたことでもありますし、僕もこれを実践してみようと思っています。上の☆が5つになれば大成功、1つになれば挫折したとお考えください。

 しかし、僕がいくらこうして「感想」を書いていても、

「レコーディング・ダイエットのススメ」(岡田さんのダイエット日記)
↑のブログでの岡田さんの「使用前」「使用後」の写真のインパクトにはかなわないんですよね。

もちろん、病的な痩せ方や無謀なダイエットには問題もありますし、病気や薬の副作用で太ってしまった人もいるので、肥満=悪、だと言い切ってしまうのは問題なのですが、「スマートになれるんだったら、それに超したことはない」というのは、人生を楽しくするという意味でも、まぎれもない事実ではあるのです。

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