琥珀色の戯言

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日の名残り ☆☆☆☆

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞ブッカー賞受賞作。

「執事の仕事」って、どんなものか想像できますか?
僕はこの本を読んではじめて、「執事って、こういうことをやっている専門職なのか……」ということがわかりました。
なんとなく、主人のそばに仕えて、ワガママを聞いてあげる人、というイメージを持っていたのですが、実際の仕事はそんなに単純なものではないんですね。

銀器磨きが――今日でも依然そうであるように――執事の重要な任務とみなされるようになったのは、この頃のことです。ほかにもいくつかの大変革が起こりました。いずれも、ちょうど私どもの世代が執事として「成人した」時期にあたっておりまして、私の考えでは、世代交代にともなう必然的な変革でした。銀器磨きにしても、その重要性を業界に広く認識せしめたのは、ミスター・マーシャルに代表される新しい世代の人々です。

(中略)

 銀器の真の重要性に初めて気づいたのがミスター・マーシャルであるとは、一般に認められているところです。たしかに、お屋敷内にあるもので、お客様が長時間手にとり、しげしげと眺められるものといえば、食事時の銀器をおいてほかにはありますまい。銀器の磨きぐあいが、そのお屋敷の水準を表すものと受け取られるようになったのも、理由のないことではありません。そして、従来では想像もできなかったほど完璧に銀器を磨き上げ、しかもそれを陳列して、訪れる紳士淑女を仰天させたのが、チャールビル・ハウスのミスター・マーシャルでした。たちまちのうちに、国中の執事が銀器磨きに血眼になりました。もちろん、雇主から大きな圧力がかかっていたことは言うまでもありません。

「食器磨き」が「執事」の最も重要な仕事のひとつだったなんて!
 こういう話がイギリスでは「常識」ということではないでしょうから、カズオ・イシグロは実際に高名な執事に取材したものだとは思うのですが、「執事という職業小説」として読んでも、かなり興味深いものでした。
 この小説では、「執事という職業を極めるために」自分のプライドや大切な人などのすべてをなげうってきたミスター・スティーブンスが、短い休暇旅行のなかで、今までの自分の人生を振り返っていくのですが、僕がこの小説から感じたのは、スティーブンスの痛々しいまでの「プロ意識」であり、僕はそれを「旧い生き方」だとか「スティーブンスのいままでの人生は誤りだった」なんて「総括」する気にはなれなかったんですよね。訳者や解説の丸谷才一さんまでも、そういう「プロとしての誇りに殉じた人生」に否定的であるということに、僕はちょっとがっかりしてしまいました。
 いや、僕はカッコいいと思うよ、ミスター・スティーブンス。
 僕自身にはできないことだけれど、沈んでいくタイタニックで音楽を演奏し続けるような人生を、誰が「バカバカしい」「もっと自分に素直に生きたらいいのに」なんて否定することができるのだろう?
 この小説は、「執事」という仕事の、そして、伝統的なイギリス貴族の斜陽を描いているのですが、この「失われていくべきものの美しさ」は、けっして、そんなに悪いものじゃないと僕は思います。それは、僕自身が「素直に生きられない人間」だから、そんなふうに信じたいだけなのかもしれませんが……
 この小説のペースに慣れるまではちょっと戸惑うかもしれませんが、淡々としているようで、読み終えると「何かが残る」作品です。
 そういえば、この小説、あのアンソニー・ホプキンス主演で映画化もされているそうです。僕は未見なのですが、ぜひ観てみたいものです。

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