琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

新聞社―破綻したビジネスモデル ☆☆☆☆

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

出版社/著者からの内容紹介
新聞という産業は今、様々な危機に直面している。止まらない読者の減少、低下し続ける広告収入、ITの包囲網、消費税アップ、特殊指定の
見直し----そして何より、金科玉条としてきた「部数至上主義」すなわち泥沼の販売競争は、すでに限界を超えている。いったい新聞は大丈夫なのか。生き残る方策はあるのか。元大手紙幹部が徹底的に解き明かす、新聞が書かない新聞ビジネスの病理と、再生への処方箋。

 毎日新聞社の常務取締役(営業・総合メディア担当)を2006年に退任したばかりだという「新聞社の中枢部にいた人」の本としては、かなり生々しい数字にまで踏み込んで「新聞というビジネスモデルの破綻」について書かれていて、なかなか読み応えのある本でした。
 ただ、「関係者に迷惑がかからないように」ということで、実際に現場で起こったこと、起こっていることに関するエピソードはそんなに書かれておらず、僕のように経済学に疎い人間には、ちょっと読んでいて辛いかな、とも思ったんですよね。
 しかし、こんな話を読むと、「新聞が嫌われる理由」というのも、わかるような気がします。

 新聞拡張については、最後に触れざるをえない気の重い問題があります。裏社会との関わりです。
 私が中部本社代表のときのことです。岐阜県内の販売店で、女性経営者の背後に「政治結社代表」を名乗る拡張団の団長がいて、この男が実質的な経営者であることが分かった。契約違反ですし、入金も遅らせる。暴力団関係者と付き合いがあるというので、改廃(契約解除)したところ、大変な”お返し”がきました。
 日の丸の旗を立てた車が中部本社の玄関に向かって突っ込み、受付の女性からわずか数メートルの車止めに乗り上げた。かと思うと大型街宣車が東京本社の周りをぐるぐる回る。そこまではなんとか想定内で、警備を強化して対処しました。
 しかし、早朝配達中の従業員のバイクを四輪駆動車で追いかけ回すのには参りました。従業員の中には女子学生もいたのです。読者名簿を持っていて、購読をやめるよう読者にスゴみ、関西の暴力団との関係を誇示する。脅迫罪で告訴しましたが、この男と共犯者が逮捕されるまで、私も通勤路を変え、岐阜県警から教えられたナンバーの車が駐車していないか確認してから帰宅するなど、落ち着かない日々でした。後に実刑判決で収監されましたが、家宅捜索で拳銃が出てきたと聞いてヒヤリとしたものです。
 裏社会の事情に詳しい友人は、「ヤクザが新聞拡張の世界に手を染めたのは昔の話。今は各社とも補助金をケチり始めたので、組織的にやっているところはないのでは」と言います。とはいっても、前にふれた学生のように、「チェーン1本の関係」などとスゴまれるケースはあとを絶ちません。
 新聞業界紙の中面を開けると、必ず、「お尋ね者欄」があります。集金を持ち逃げした者、カード料をくすねた者、ひと癖もふた癖もありそうな顔写真が幾つも並んでいる。業界紙に、「お尋ね者欄」があるのは新聞産業だけではないでしょうか。
 そうした連中を束ねるための、団長にも押しの強さが必要なのでしょう。真偽はともかく、暴力団との関係を誇示する必要だってあるのかもしれません。しかし、新聞産業がいかに読者拡張を必要としているからといって、暴力団、もしくは”まがい”の力を借りているとしたら、経営責任は重大です。社会正義を説く資格など、吹き飛んでしまいます。

あるいは、こんな話もあるのです
参考リンク:新聞勧誘員に狙われるアパートと「歪んだ格差社会」(by『活字中毒R。』2007年10月01日(月) )

福田和也氏:たしかに新聞の勧誘員って、厳しい仕事なんですよね。いま、どの家にもインターホンがあるから、玄関口まで人が出ないじゃないですか。そのなかで、ガチャンと扉を開けて出てくる住人が多いのが安いアパートで、勧誘員もそうした場所を狙うんだって。『新聞社 破綻したビジネスモデル』(新潮新書)という本に出てました。元毎日新聞の人が書いたんだけど、ヤクザまがいの勧誘員が、所得が低そうなアパートを狙って、扉が開いたら靴突っ込んで契約するまで帰らない。生活キツい人が、同じようにキツい人を狙うってパターンでしょ。

 いくら記者や編集者が「身を削っていい記事を書くために頑張ってるんだ!」と言い張っていても、読者との直接の「接点」がこれでは、そりゃあ、どんなに「社会正義」を唱えてみても空虚なものにしか聞こえないですよね。「ワーキングプア」層の人々に、無理矢理新聞を読ませてあげようとするとは、なんて「美しい国」なのでしょう!

 著者は、非常に良心的な人だということが、この本を読んでいると伝わってきます。

 新聞の機能とは何か、を突き詰めれば、プロの記者が記事を書き、対価を払ってそれを入手したいと思う読者がいるかどうかです。紙に印刷されているのか、ネットで見るのか、戸別配達されるのか、コンビニで買うのか、それらは二次的な問題にすぎない。社会的機能としての新聞の能力はもっと高めたいし、それに対する評価が下がっているなら、何とか復権させなくてはなりません。

 確かに、「マスコミなんて信用できない!」とネットで「マスコミ叩き」をしている人の多くが、その「信用できない根拠」として挙げているのは別のメディアの記事だったり、誰が書いたのかわからないような某巨大掲示板の書き込みだったりするのですから、結局のところ、僕たちはまだまだ「メディアの土俵のなかでしか闘えない」のですよね。じゃあ、新聞記者たちをはじめとするすべてのメディアがニュースを配信するのをやめてしまったら、僕たちには「反論すべき問題」すらよくわからない。亀田の試合を観たければ、会場に足を運ぶか、偏っていることを知りながらもTBSの中継を観るしかないのです。
 そういう意味では、「巨大メディアだからといって、ひたすら批判すればいい」というのはあまりに短絡的で、結局のところ、うまくつきあっていくしかないのかな、と思います。でも、新聞を作っている人たちは、あまりにも偉そうでお高くとまっているし、新聞を売っている人たちは、あまりにも怖そうで近寄りがたいしで、正直、どちらとも「お友達になりたくない」のですよね。
 
 「新聞」というのをたまに手にとって読んでみると、とくに「一般紙」というのはネットで配信しているものよりもはるかに詳細かつ分析された記事が書かれていることが多いので感心するのですが(スポーツ紙の場合、ネットとの違いは写真とギャンブルの予想記事だけのような気も……)、僕自身は、もしそうすることによって、犯罪まがいの拡張団の暗躍やスポンサーに配慮しまくった記事を根絶することができるのなら、ネットによる有料配信だけでも良いのではないかと思っています。まあ、病院には、紙の新聞を読むのを楽しみにしている高齢の患者さんも多いですし、なかなかそういうわけにはいかないのでしょうけど。

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