琥珀色の戯言

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ブログ「炎上力」と「政治的に正しいオールナイトニッポン」


ZAKZAK - 周りがセリフ教えた?倖田來未、涙の謝罪

 「夕刊フジ」の記事を真面目に語ってもしょうがないとは思うのですけど、↑の記事のなかで、ちょっと考えさせられたところがあったのです。それは、芸能評論家の肥留間正明氏(この名前は、「麻生千晶」とともに、「記事を書いている記者が自分の言いたいことを有識者が言っているように偽装したいときに使う固有名詞)だと言われています)のこんな言葉。

 倖田の失言そのものについて、肥留間氏は「影響力を自覚しないといけないのに、浅はかだった」としたうえで、過剰なバッシングへの違和感を隠さない。

 「倖田はいわば、元気のいい“世間知らずのお姉ちゃん”だし、オールナイトニッポンは本来、やりたい放題が人気を集めた番組。かつてはビートたけしの毒舌などがウケた。なのに、今は文化人でもない倖田がここまで叩かれる。自由な発言ができなくなる“言論統制”のこわさも感じますね」

 確かに、僕が学生時代に聴いていた「オールナイトニッポン(ANN)」では、今から考えると、かなり「問題発言」が多かったような気がします。例に挙げられているビートたけしはもちろん、タモリのオールナイトもかなり「差別的なネタ」は多かったですし。笑福亭鶴光のANNで一世を風靡した「崖っぷちトリオ」なんて、今だったら、「女を年齢で差別し、崖っぷちよばわりするのか!」なんて「炎上」してしまうのではないでしょうか?
 彼らは、それが「芸風」だということになっているのかもしれませんが、倖田來未さんっていうのは、言ってみれば「インテリぶらない、開けっぴろげなキャラクター」「バカだけど色気があること(つまり「女を武器にして)勝負している」芸能人なんですよね。それは昔からそういうスタンスで、ちょっと前に「週刊プレイボーイ」のインタビューで、

 せっかく女に生まれたのだから、出せるものは出します!

 なんて言ってたくらいなので。

 そもそも、倖田來未さんは、本当に「知らなかった」みたいだし、この人はインテリジェンスは低いのかもしれないけれど、あえて35歳以上の女性を傷つけてやろう、なんていう「悪意」がある人ではないように思われます。「モノを知らないことが罪悪だ」というのなら、里田まいなんて、猛バッシングされているはずです。
 いやまあ、化粧品とか女性向けの商品の「広告塔」をやってお金を貰ってるんだから、自分のお客の悪口言うのはあまりにも脇が甘い、としか言いようがないんですけど、それは周囲のスタッフの落ち度でもあるわけで。

 この「羊水が腐ると言われた年齢の女性たち」とちょうど同世代の僕からみると、そのくらいの年齢の女性というのは「出産」に対してかなり深刻に悩んでいる人が多いんですよね。もちろんそれは「羊水が腐る」なんていうバカバカしい話ではなくて、不妊の問題とか、「そろそろ子供も欲しいけど、今のポジションで産休を取るのも不安だし……」というような、現実的な問題です。女性が「子供を産むことが可能な時間」には生物学的な限界があるので、まだ25歳で「余裕がある」倖田來未さんにこんなことを言われれば、不快なのは当然です。考えてみれば、これって、「近所のねーちゃんに言われたとしてもかなり不快な発言」だよね。「高齢出産にはリスクがある」なんてことは、お前なんかに言われなくても百も承知なんだよ!と。
 同じ女性なのに、「出産」というデリケートな問題に関しての気配りができない、というのは、やっぱり「KY!」って話にはなるよねえ。

 しかし、今回の問題に関してのネットでの「炎上力」の凄さには、正直驚きました。
 こんなふうにネットで「火がつく」ような時代でなければ、今回の倖田さんの発言って、ANNのリスナーたちが、細々と学校で「倖田來未がラジオでこんなこと言ってたんだけど……」なんて語り合い、「都市伝説化」していくくらいのもので、こんなに大きな「社会問題」にはならなかったと思うんですよね。本人もスタッフも局側も「ANNのリスナー層を考えると、多少『あぶないトーク』があったほうが喜ばれるだろ」というくらいの意識だったのではないかと。
 ところが、この発言がネットで話題になることによって、「これまで倖田來未なんてどうでもいいと考えていて、ANNは20年前に卒業してしまったような大人たち」にも、「倖田來未がこんな酷いことを言ってた」ということが届いてしまうようになりました。そして、本来なら「倖田來未のラジオ、しかも深夜放送を聴くようなリスナーを対象にしたおバカなオネーチャントーク」が、「真面目な大人たち」を傷つけてしまったのです。
 僕がリアルタイムでANNを聴いていた頃の深夜放送というのは、「昼間には言えないようなHな話やブラックなネタを、この時間まで起きている人たちと共有している」という雰囲気がありました。いわば、パーソナリティとリスナーは「共犯者」だったわけです。
 ところが、ネット社会というのは、そういう「夜の世界」での「無礼講」での発言をも「炎上」のネタにするようになってきています。喋っている側からすれば、「仲間内での3次会のクラブでの部下の悪口が、翌朝会社の朝礼で問題視される」ようなものなのではないでしょうか?
 そういう意味では、これからは、リスク回避のために、ラジオの深夜放送も「政治的に正しい内容」であることが求められるようになっていくでしょうし、「深夜放送らしい深夜放送」というのは、成立しなくなっていく可能性が高いですよね。それもちょっと寂しい話ではあります。

 そういえば、僕が最近驚いたことがもうひとつ。あの柳美里さんが「息子虐待疑惑エントリ」のあと、こんなことを書いていたのです。

ひとことだけ言っておきますが、
「今日のできごと」は、
「交換日記」と同様に、
広義な解釈で「フィクション」です。
どういう写真に、どういう文章をつけるかは、かなり計算しています。
ポイントは、読むひとの感情をいかに煽るか、です。紙媒体への原稿よりも、生で感情的な表現を選んでいます。

真に受けるひとが皆無だったら面白くないわけですが、アレ読んで、児童相談所に通報する「読者」なんて、マジいるんすね〜
ま、本望っちゃあ本望ですけど、
さきほど、息子の宿題みてやってるときに、児童福祉司が3人(男性2名、女性1名)もいらっしゃいまして、あがっていただいたんですがね、
ま、わたしはわたしで、そんなあなたがたの(わたしの書いたものに対する)反応を楽しんでいるので、
せいぜい踊ってくださいな、ね!
さぁ、シェイク! シェイク!
ブレイク! ブレイク!

 要するに、「あれは煽りだったんだよ、釣られてるぜバーカ!」という意味だと思うのですが、僕がこれを読んで感じたのは、「あの自分晒しファイター」「リアル・プロレスラー」「人生叩き売り女」柳美里が、こんなふうに「言い訳」をするくらい、「炎上」というのは威力があるものなのか、ということだったんですよね。
 それが良いことか悪いことかはさておき、柳さんは今までもさまざまな筆禍事件を起こしてきたにもかかわらず、「それが文学!」みたいなスタンスを潔いくらい貫いてきた人なのです。
 でも、そんな柳さんが、この「炎上」に関しては、「はぐらかそうとしている」と僕は感じました。

ひとことだけ言っておきますが、
「今日のできごと」は、
「交換日記」と同様に、
広義な解釈で「フィクション」です。
どういう写真に、どういう文章をつけるかは、かなり計算しています。
ポイントは、読むひとの感情をいかに煽るか、です。紙媒体への原稿よりも、生で感情的な表現を選んでいます。

 なんていうふうに、「手の内をさらしている」時点で、表現者としては、かなり「負けている」のではないでしょうか。
 僕がイメージする柳美里さんというのは、こういうときにも「嫌なら読むなボケ!」と反応するくらいの「狂犬」だったはずなのに。

 こういう無理して茶化しているようなリアクションが出てくるというのは、「炎上」というのは、柳さんにとってもかなり「平常心ではいられない状況」だったのだろうな、と思います(まあ、柳さんの「平常心」というものが存在するのかどうかはさておき)。
 いままで柳美里さんは、「本好きの人たち」の中での「話題の人物」であり、ごく一部の熱狂的な支持者と、多くのアンチの中で作家として活動してこられました。僕は正直、柳さんが食べていけるだけの支持者が世の中にいるということが、信じがたいような気もするのですが、「全く売れない作家」であれば、作家として生きていくことは不可能です。
 しかし、「文学愛好家」のフィールド内でのバッシングと、こうして不特定多数の「名無しさん」からバッシングされるのとでは、やはり、その「威力」は異なる、ということなのでしょうね。
 この「虐待疑惑」にしても、今までの「文学というフィールド内」であれば、「どうせ柳美里だし」とみんながスルーしていたことなのに、ブログが「炎上」して、不特定多数の目に触れると、そういう「お約束」は通用しなかったのです。

 まあ、彼女らの行動そのものに問題があったのは事実なのですが、ネット社会では、どんどん「閉鎖された空間」の存在が許されなくなり、「一部の人たちで後ろ暗い『お約束』を共有する」というのが難しい時代になってきている、というのは間違いなさそうです。
 ネットによる「本来届かなかったはずの人への情報の広がり」が、「過剰なあらさがし社会」につながっていくのでは……と、僕は少し心配です。
 全くツッコミどころがない、「政治的に正しいオールナイトニッポン」なんて、誰が聴きたいと思う?
 

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