琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「ポジティブ教徒」とか「マッチョ」とかいう幻想


(id:guri_2)さんの記事になんでこんなにブックマークが集まるのか問題について、やっぱり世の中ポジティブ教徒が多いのかなあと思うんだけれども、そんなに簡単な話もないような気がするのでなんかダラダラと書いてみるよ。
↑は僕にとっては非常に痺れるエントリだったのです。
というわけで、そのへんのことをダラダラと書きたいのですが日曜の夜だし眠いのでほどほどにします。
(というか、書いてるうちにあんまり関係ない話になったのですみません)
僕がネットで他人のことを「ポジティブ教徒」とか「温室育ち」とか決めつける人を不快に思うのは、彼らが、

「世の中には『ポジティブ教徒』とか『マッチョ』というような異民族がいて、彼らは常に前向きで幸福で満たされていて、我々とは違う人種なのだ」

というようなレッテル貼りをしていることなんですよね。

はっきり言おう、君たちが想定しているような「完璧超人」なんて、この世の中には存在しない。

僕が今まで生きてきて知り合った「ポジティブにものを考えようとする人」は、大きく分けて2種類に分けられます。
1種類は、宗教などの影響で、ある種の「洗脳」をされてしまっている人、これはもう、本人は幸せなんだろうけど、周囲は彼らの言葉を鵜呑みにしないほうがいい。
そしてもう1種類は、「いろんなコンプレックスを持っていたり、現実に打ちのめされたりした挙句に、ポジティブに考えて生きることを選んだ人」。
少なくとも僕が知る限り、世の中に悩みや迷いを持たない人なんてほとんどいません。「全然いない」と書けないのは、僕自身も何人か、「あの人はもしかしたら……」と思い当たる人もいないことはないからなのですが。
いや、もちろん「無垢なためにポジティブな人」っていうのもごく少数ながらいるかもしれない。
でも、実際に話してみると、世間の「自分でポジティブに考えて生きることを選んだ人」の大部分は、「深い井戸の底にいて、空を見上げることしかできないから、ポジティブに考えて生きるしかなかった人」ではないかと僕は感じているのです。
逆に、ネガティブでも生きていけるっていうのは、たぶん、物質的にはすごく恵まれてるんだよ。昔風に言えば「高等遊民」の特権みたいな感じ。
「仲が良い夫婦ですねえ」なんて言われている二人を結びつけているのは、かならずしも「前向きな愛情」だけではない場合もけっこう多かったりするわけですよ。
そういうのを水面から出ている部分だけを見て、『ポジティブ教徒』とか『マッチョ』って決めつけるのって、なんだかすごく想像力が貧困だと思う。
あの『マッチョ』で有名な某有名ブロガーだって、人生のすべてが良いことばっかりだったわけないはず。
そもそも、人はみんな、ポジティブな面やネガティブな面があるし、ポジティブな時もあれば、ネガティブな時もあるんだよ。その割合は人それぞれ、なのだとしても。
あいつは『マッチョ』だから、って、レッテルを張ってしまえばラクになるのかもしれないけど、「ポジティブにしか生きられない人」っていう「悲しいポジティブ教徒」っていうのもいることを心の隅に置いてあげてくれないか。

そもそも、他人を「温室育ち」「世間知らず」って簡単に揶揄し、「世の中そんなに甘くない」って安易に口にする人間に、本当に「世の中とそこに生きている個々の人間」を見ようとしている人っていないんだよね。だからこそ、そんなアホくさい説教で、他人を十把一絡げにして「わかったような気分」になっている。
その「温室」って、「世間」って、「世の中」って具体的には何なんだ?

それにしても、もし世界に「温室」とやらが存在するのなら、なんでみんな、他人をその「温室」から引きずり出そうとするのだろうか?
僕に力があれば、世界中を「温室」にしてやりたい。

まあ、ちょっと前にそんなことばかり言っていた男は、家の前でファンだと名乗る男に撃たれて死んでしまったけどね。

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