琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

赤朽葉家の伝説 ☆☆☆☆


赤朽葉家の伝説

赤朽葉家の伝説

Amazon.co.jp特別企画】著者からのコメント
 みなさん、鳥取県紅緑村から、こんにちは。桜庭一樹です。
 この『赤朽葉家の伝説』は2006年の4月から5月にかけて、故郷の鳥取の実家にこもって一気に書き上げました。わたしは山奥の八墓村っぽいところで生まれ育って、十八歳で東京に出て、小説家になりました。昭和初期で時が止まったようにどこか古くて、ユーモラスで、でも土俗的ななにかの怖ろしい気配にも満ちていて。そんな故郷の空気を取り入れて、中国山脈のおくに隠れ住むサンカの娘が輿入れした、タタラで財を成した製鉄一族、赤朽葉家の盛衰を描いたのが本書です。不思議な千里眼を持ち一族の経済を助ける祖母、万葉。町で噂の不良少女となり、そののちレディースを描く少女漫画家となって一世を風靡する母、毛毬。何者にもなれず、偉大な祖母と母の存在に脅えるニートの娘、瞳子。三人の「かつての少女」の生き様から、わたしたちの「いま」を、読んでくれたあなたと一緒に、これから探していけたらいいなぁ、と思っております。
 実家での執筆中、気分転換にと庭に出たら、犬に噛まれました。(甘噛みではありません)屋内では猫に踏まれました。あと、小腹がすいたと台所で冷蔵庫の中を物色していたら、父に「こら、ゴン!」と、犬と呼び間違えられました。執筆のあいだ、いろいろなことがあり、いまではなつかしい思い出です。

桜庭一樹


出版社 / 著者からの内容紹介
「山の民」に置き去られた赤ん坊。この子は村の若夫婦に引き取られ、のちには製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれて輿入れし、赤朽葉家の「千里眼奥様」と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。――千里眼の祖母、漫画家の母、そしてニートのわたし。高度経済成長、バブル崩壊を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる3代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の血脈を比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。2006年を締め括る著者の新たなる代表作、桜庭一樹はここまで凄かった!


 「ひとり本屋大賞」9冊目。
 「赤い」表紙が素敵です。
 題材のインパクトと直木賞受賞によって、『私の男』桜庭一樹さんの代表作として語られがちなようなのですが、僕は「歴史モノ」とか「年代記」が好きなこともあり、こちらの作品のほうが面白く読めました。
 まあ、『私の男』は、「面白く読まれるべき作品」ではないような気もするんですけどね。
 正直最初の数十ページは、二段組の圧倒的な文章量もあり、「うわーこれ読むの大変だなあ」という感じだったのですが、3分の1を過ぎたくらいから、ページをめくる時間も惜しいくらいに引き込まれていきました。
 荒唐無稽なファンタジー小説のように見せかけて、この作品は、「昭和のはじめから平成の現在までの女性の生きかた」というのをけっこう象徴的に描いているんですよね。そして、桜庭さんは「人」を書くふりをしながら、「昭和から平成という時代の日本の『旧家』や『地方都市』の盛衰」を描きたかったのではないかなあ、と僕は感じましたし、この小説での主な登場人物の「死」の場面の多くが拍子抜けするほどあっけないのは、この小説では、「人」はあくまでも物語というパズルのひとつのピースでしかないのだ、ということなのかもしれません。登場人物に思い入れてしまう読者としては、それがちょっとだけ「物足りない」気がするのも事実です。

 G.マルケスの『百年の孤独』あたりが、この『赤朽葉家の伝説』の原型なのだと思うのですが、少なくとも、今の日本に生きている僕にとっては、この『赤朽葉家』のほうが、はるかに「実感できる」小説でした。だから『百年の孤独』よりこの小説のほうが優れている、というわけではないんですけど。

 いくつか残念な点を挙げるとすれば、この物語の「最大の謎」であったはずの「空を飛ぶ男」の話がなんだか消化不良というか、いまひとつ盛り上がりに欠けてしまったことです。少なくともこれは「ミステリ」ではないですよね。

 たぶん、「本好き」で「歴史小説ファンタジー小説を読み慣れている」人には、記憶に残る作品になると思います。ただ、万人にわかりやすいのは『私の男』のほうでしょうね。この本は、けっこう「読者を選ぶ」のではないかと思います。意欲的で完成度も高いのだけど、「こういう物語にノレる人」っていうのは、むしろ少数派かもしれません。
 読んでみようと思った方は、まず、書店で最初の10ページくらい試し読みされることをお薦めします。

アクセスカウンター