琥珀色の戯言

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ジーン・ワルツ ☆☆☆☆


ジーン・ワルツ

ジーン・ワルツ

どこまでが医療で、どこまでが人間に許される行為なのか。強烈なキャラクターが魅せる最先端医療ミステリー!

美貌の産婦人科医・曾根崎理恵――人呼んで冷徹な魔女(クール・ウイッチ)。人工授精のエキスパートである彼女のもとにそれぞれの事情を抱える五人の女が集まった。神の領域を脅かす生殖医療と、人の手が及ばぬ遺伝子の悪戯がせめぎあう。『チーム・バチスタの栄光』を越えるドラマティックな衝撃があなたを襲う!

 あの『チーム・バチスタの栄光』『死因不明社会』の海堂尊先生の最新作。
 正直、主人公の曾根崎理恵をはじめとするキャラクターは、『チーム・バチスタ』の面々や田口・白鳥コンビに比べると「おとなしい」感じですし、そもそもこれが「ミステリ」というカテゴリーに入るのか?と感じるほど「謎解きの要素」とか「ストーリーの意外性」には乏しいのではないかと思いましたが、それでも、「惹きこまれてしまう物語」ではあるのですよね。しかし、外科の話だけじゃなくて、産婦人科の話まで書けるっていうのは、病理医の強みではあるよなあ。いや、普通の病理医には書けないとは思うけどさ。

 この物語には、2つの大きな軸があって、ひとつは「生命の誕生に対して、どこまで医療者(あるいは政治)の介入が許されるのか?」という問題、そしてもうひとつは、「現在の(とくに地方都市における)産婦人科医療の荒廃」です。
 あの「大野病院事件」をモチーフにしている記述が数多く散りばめられていますし、↓のような「告発」も書かれています。

 医療崩壊のきっかけは、新医師臨床研修制度の導入だった。良質な臨床研修医を育成するという大義名分の下には、医局の力を削ぐというなまぐさい目的が隠されていた。官僚が目論む思惑は、素晴らしい成果を上げた。『白い巨塔』と揶揄されていた大学病院は、たった二年で瓦解した。正確に言えば、『白い巨塔』こそが虚構だった。確かに教授戦に血道を上げ、権謀術数に明け暮れる医者はいる。ただし大学病院に在籍している大多数の医師は、そうした権謀術数の世界とは無縁だった。だが官僚は虚構の大学病院に改革の照準を合わせた。膨れ上がった虚構の世界しか知らない官僚の目には、大学病院の医局制度は自分たち官僚機構と同質の組織と映り、そのまがまがしさに辟易とさせられてしまったのだろう。反射的に彼らが取った手段が、米国制度の中途半端な移植という最悪の選択肢だった。
 こうして、ほとんどの大学病院は実質上、機能不全に陥ってしまった。そんな中でかろうじて生き残れた大学病院は、首都東京、官僚のお膝元であり官僚の人的資源の供給源、帝華大学くらいだった。
 人材補給を絶たれた大学病院医局は、システム維持のために、地域医療を支えていた中堅医師を大学に呼び戻す。こうして地域医療の現場は人材を失う。
 地域医療を支えてきたひとりの中堅医師を大学に呼び戻す影響は、ドミノ倒しのように、十倍になって現場にはね返る。例えば、地域中堅病院で外科を5人の医師で維持していたとする。この改革によって5人のうち、1人が失われる。しかし、失われるのは1人だけではない。そのことにより、残った4人の臨床業務の負担が増える。手術件数から当直の回数まで、単純に増加する。そのことでゆとりをなくした現場では更なるドミノ倒しが起こる。残された外科医の負担が増大し、疲労が蓄積する。ある日、いやけがさして、また1人辞める。残り3人、負担は倍増。また1人、辞意を固める。残り2人になると手術も組めない。こうして手術室の閉鎖、入院病棟の縮小が検討される。
 ここまではまだ、一つの病院内の話だ。一つの病院でこうしたことが起こると、その負担が近隣病院にまき散らされる。ひとつの病院の内部で起こったドミノ倒しが、地域単位で起こる。そして次々と病院が閉鎖する。
 官僚たちのお目こぼしに与かった特権階級の帝華大でも、ちょっと歪みが生じると、その辺縁では地方と同様のことが起こる。そしてそのことが顕現したのが、このマリアクリニックだ。
 医療のデフレ・スパイラルが顕著なのが小児科であり、また産婦人科である。どちらも、厚労省が旗を振る”少子化問題対策”の根幹を支える診療科だ。国民のためと称して行った改革が、市民生活の土台をなし崩しにしていくというのは、霞ヶ関お得意のブラックジョークだろう。

 しかし、純粋な「一読者」としては、こういう記述はリアリティを増す効果があるのでしょうが、その一方で、確実に「物語のテーマを現実的に語りすぎている」し、「ちょっと興醒め」だと感じてしまう危険もはらんでいると思います。
 ただ、多くの「医師免許を持つ作家や芸能人」というのが、自分のキャリアや知識を利用しながらも、公的な場での発言や作品中では「メディアに媚び、一般の人たちには耳ざわりの良いことばかり言っている」のに比べると、この海堂さんの「医療の現状をなるべく正しく伝えたい」という姿勢には、本当に頭が下がります。↑に引用したような文章は、たぶん、学会誌に発表されたって医者以外の誰も読んではくれないでしょうし、普通の週刊誌や新聞に載ることもありません。「たらいまわし」というようなセンセーショナルな話題は大きく採り上げられるのに、医療者たちがじわじわと追い詰められている「現実」には、誰も目を向けてくれないのです。

 僕の知り合いの某大手マスコミの関係者が、「なんでマスコミはこんなに偏った医療関係の報道ばかり流すんだ」という問いに、こんなふうに答えてくれました。
「うーん、結局さ、『政治家叩き』と『医者叩き』は、ウケるんだよ、読者に」
 偉そうにしている(ように見える)存在を叩くとウケる。だから、メディアもそういう方向に舵を切ってしまう。
 そういう意味では、「官僚叩き」みたいなのも、ある種の「印象操作」であるような気もするんですよ。

 昨今の医療問題に対するマスコミの報道姿勢には大いに疑問と憤りを感じますが、その一方で、「大野病院事件」に対して、世論が疑念や不快感を即座に示してくれるような世の中なら、メディアの扱い方も違ったものになっていたはず。
 医者がマスコミを批判しても、たぶん「ああ、医者って、医師会って自分たちの利益を守るための圧力団体みたいなものなんだな」という目でしか見てくれない人たちもけっこう多いはずで、本当は、そういう「世間の印象」こそが、「変えていかなければならないもの」なんですよね。
 でも、それは「戦う相手」としては、あまりに大きすぎる……


 すみません、脱線しまくってしまいましたが、僕はこの本を読んで、これだけ功成り「セレブ側の人」になったはずなのに、まだ現場の声を描こうとし続けている海堂先生の姿勢には、本当に頭が下がりました。そして、そのような「制限」のためにややぎこちなくなりつつも、この『ジーン・ワルツ』をエンターテインメント小説として成立させている、ということにも。

 「医療関係者以外で、現在の医療や代理母出産に関して興味を持っている人」にはぜひ一読をお薦めしたい本です。
 「医療現場を扱った小説」「自然科学小説」としても水準以上の出来ばえなので、そういうジャンルの小説がお好きな方にも。

 それにしても、「赤ちゃんが産まれてくる」っていうのは、本当に「奇跡」なんだなあ、と思い知らされる小説でした。
 この話、女性作家が描いたら、また違った作品になるんでしょうね。

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