琥珀色の戯言

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現代アートビジネス ☆☆☆☆☆


現代アートビジネス (アスキー新書 61)

現代アートビジネス (アスキー新書 61)

出版社/著者からの内容紹介
アンディ・ウォーホルの作品に80億円もの高値が付くのはなぜか?
そもそも、現代アートの「価値」は、誰が、どうやって決めているのか?
そして、現代アートの伴走者たるギャラリストの役割とは?
世界の富が現代アートに集まる今こそ、「作品の価値」に基づいた健全なマーケットが必要とされている。奈良美智村上隆を世界に売り込んだギャラリストが、種も仕掛けもあるアートビジネスの世界を豊富な実例を挙げて論じ、誰もが不思議に思っていたアートとお金の謎を解く、待望の1冊。


出版社からのコメント
アートマネジメントの重要性が叫ばれていますが、本書ではその生きた例が一般向けにわかりやすく紹介されています。著者の問題意識も明確ですし、何かとわかりにくいこの業界の概要を知るにも最適です。アートそのものだけでなく、アートをとりまく環境に興味をもつ若い読者からご支持をいただいています。
アーティストになりたい人、アートまわりの仕事に就きたい人、アートで儲けたい人、ただアートを楽しみたい人、みながそれぞれに何かを得ることができるはずです。

 僕は正直「現代アート」というものに対して、一種の「うさんくささ」を感じていたのです、というか、いまでも感じています。
 漫画『ハチミツとクローバー』で描かれているような「若手アーティスト予備軍たちの姿」は容易に想像できるのですが、そういう「予備軍」たちが、どうやって「萌えフィギュアみたいな作品」が『アート』として6800万円で落札されるような村上隆さんのような「アーティスト」になっていくのか、皆目見当がつきませんでしたし。
 「現代アート」って、「人を煙に巻き、便器を芸術だと思い込ませて高値で売りつける世界」だというイメージがあったんですよね。たとえばこの作品とか。
 でも、この本では、いままで皆目見当がつかなかった、「アーティストが誕生し、有名になり、作品が高値で売れるようになるまで」のプロセスが非常に丁寧に説明されているのです。
 僕はこの本で、「ギャラリスト」という仕事のことをはじめて知りました。

 ここで、画商とギャラリストの違いについて触れておきましょう。
 画商(アートディーラー)は、読んで字のごとく「画(絵)」を売買する職業です。17世紀頃、ヨーロッパの都市で誕生しました。美術品の書い手が、教会や貴族からブルジョワ層へと拡大することで、美術家と顧客を仲介する職業が生まれたのです。
 ギャラリストは広い意味では画商に含まれますが、その名の由来である展示空間=ギャラリーを持ち、みずから企画展示をする点が大きな違いです。
 このようなタイプのギャラリストは、第二次世界大戦後、ニューヨークを中心とした現代アートの環境から生まれました。そのため、現代アートの分野でとりわけ使われる呼び名です。レオ・キャステリが特に有名です。
 画商が美術の「近代」化の証人であるとすれば、ギャラリストは「現代」アートの伴走者と言えるかもしれません。みずからnギャラリーで発掘したあるいは選んだアートを発表し、社会に価値を問い、その価値を高めていく仕掛人です。画商がブローカーや営業マンに近く、コレクターの立場に沿って活動しているとすれば、ギャラリストはマネージメント業者やプロデューサーにより近く、アーティストの側に寄っていると言えるでしょう。
 日本だけを見ても、画商といえば、それこそ風呂敷に絵を包んで行商する風呂敷画商、デパートを専門に卸すデパート画商、顧客を持たずに業者間で売買する画商など、形態や規模はさまざまです。
 独自企画を手がける現代アートのギャラリーは、日本でも1960年代後半には見られるようになりましたが、ギャラリストという呼称が広まったのは、ようやく1990年代になってからではないでしょうか。まだ20年も経っていないのです。

 どうしても、「アーティスト」にばかりスポットライトが当てられがちなのですが、実は、小山さんのような「アーティストを見出し、支援する人」が存在しなければ、どんなアーティストも世に出ることは難しいのです。
 現代アートに関わる人というのは、なんとなく「投機目的の山師」みたいなイメージがあったのですけど(たしかに、そういう側面もあるようですが)、実際は、「新しい才能や芸術を見つけるのが好きな、アートを愛する人たち」が、現代アートを支えているのです。
 この本のなかで、小山さんは、「アジア(とくに中国)で起こっている、投資として若手アーティストの作品を青田買いすることへの危惧」も書かれています。
 「ギャラリスト」たちのすべてが小山さんのような「アーティストの伴走者としての情熱」を持っているわけではないと思うのですが、それでも、この本を一読すると、こういう人が「現代アートビジネス」をやっているのだ、という「透明性」を感じる本です。

 日本で「現代アート」というのが認知され、「商売として成り立つようになった」のは、ほんの10年くらい前なのです。
 そして、「アートなんて自分には関係ない」と考えて日々を過ごしている僕たちも、ちょっと手を伸ばせば「ギャラリーで見つけた好きな作品を手元に置く」ことは十分に可能な世界なんですよね。「有名アーティストの作品を買う」ことは経済的に難しいとしても。

 小山さんは、まだ若かりし頃(といっても現在まだ40代半ばなんですが)、ニューヨークのギャラリーを見て回ったときのことを、こんなふうに書かれています。

 ニューヨークでは、その名も『ギャラリー・ガイド』という案内本を片手に、載っているギャラリーを片っ端からつぶしていきました。高級住宅地のお屋敷のようなギャラリーで門前払いされたこともありますが、それ以外はほぼ制覇したと言ってもいいでしょう。
 とにかく驚いたのは、ギャラリーの数の多さと、その数に負けないくらいの多様さです。アメリカのアートマーケットは、日本と比べものにならないほど層が厚いのです。
 犬の絵だけ、帆船の絵だけと扱うギャラリーもあれば、ワシントン大統領などの肖像画を扱う時代がかったフォークアート専門ギャラリーもあります。このようなギャラリーが存在しているということは、お客さんがいて、需要があるということです。「こんなものが売れるのか」と思うような作品が、目の前で売れていきました。
 考えてみれば、「よい作品」だけが売れるというのもおかしな話です。アート以外の分野の売買でも、よい品物だけが売れるというわけではありません。安いものや粗悪なものだって買う人はいますし、売れるわけです。そう考えれば、どんな作品でも何らかの理由で売れるし、またそれが現実なのです。
「よい作品なのに売れない」というアート関係者は多いですが、「よい/悪い」「好き/嫌い」と、「売れる/売れない」はまったく別の話なのです。つまり、どんな作品でも、交換が成り立てばマーケットができ、お金の流れが生まれる。この認識ができたことがアメリカ旅行での一番の収穫でした。

 ネット社会になって、少なくとも物質的に東京のような大都市と地方都市との「格差」は縮まったと考えがちなのですが、こういうアートの世界の先端の部分では、やはり、けっこう「格差」は大きいよな、とあらためて感じます。ここで書かれている「日本とアメリカのマーケットとしての成熟度の差」と同じようなものが、日本国内にも厳然として存在しているんですよね。地方都市のデパートの展示会に行くと、「売りつけたい人」がワラワラと寄ってきて、「ここは観光地の土産物屋か!」と言いたくなることが多いですしね。

 書きづらそうなお金の話まで含めて、ここまでわかりやすく「現代アートビジネス」について書かれた本は稀有なのではないかと思いますし、僕のように「現代アートってうさんくさいなあ」と常々感じている人には、ぜひ一度読んでみていただきたいです。
 実際は、アーティスト予備軍にとって、一人の村上隆奈良美智の下に死屍累々、という「残酷な世界」ではあるのでしょうけどね。

 ところで、第1章の「自分探し」に明け暮れていた若者だった小山さんがギャラリストとして成功し、村上隆さんや奈良美智さんを世界に紹介するようになるまでの話、これだけで1冊の本になるのではないかなあ。ぜひそれを読んでみたいものです。

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