琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

ブロガーという病

 先日、某有名ブログを見ていて、「えっ?」と困惑してしまった。
 あるエントリで、喪服を着た女性が俯いて悲しそうな表情をした画像と「会葬御礼」の手紙の画像がアップされていたのだが、そこに添えられていた文章は「血の繋がりのない遠い親戚のお通夜に行ってきた。よく知らない人なんだけど、やっぱり人の死は悲しいものだ。『死ね』ってブログに書いてくる人は、こういうのを望んでいるの?」というものだった。

 このエントリ、言いたいことはとてもよくわかる。お通夜で人の「死」を目の当たりにして、「そんなお気軽に『死ね』とか書いてもいいの?」と問いかけたくなるのは、ものすごく自然な感情だと思う。
 ただ、その一方で、僕はこのエントリで喪服をまとって悲しい顔をしながら自分にカメラを向けた(あるいは、誰かに写真を撮ってもらった)ときのことや会葬御礼の写真を撮ったときの様子を想像すると、正直すごくイヤな感じがしたのだ。
 「このエントリのために、タンスの奥から喪服を取り出してきて、ブログのネタにするために着て画像をアップした」のだったら、別に構わないんだよ。よくそこまでやるな、というくらいのことは感じるかもしれないけど。

 このエントリで僕を困惑させたのは、日頃から「顔出し」をしているブロガーであるにもかかわらず、遠い親戚の葬式のときの話や喪服姿、会葬御礼などを「『死ね』とブログで言ってくる人たちへの違和感を表明する材料」として使っている、ということだった。
 僕がこの亡くなった親戚の家族だったら、「お前いったい何なんだ!」と憤ると思う。ブログに公開するために喪服を着たのか?ネタにするために「会葬御礼」を渡したんじゃないぞ!と。葬儀のときの身内というのは、そういうことにものすごくデリケートなものではないだろうか。僕の親戚が同じようなことをすれば、「絶縁」には至らないまでも、苦情は言う、必ず言う。「お前は、身内のお通夜のときも、ブログのことばかり考えているのか?」と。
 いや、もしこのエントリの内容が、「亡くなった親戚を悼む」ものであれば、喪服の写真も「会葬御礼」(まあ、ものすごく一般的・典型的な内容だったので、これで故人が特定できる、というものではなかった)の写真も、違和感はなかったと思うのだ。
 逆に、「友人の結婚披露宴に出てきました!」だったら、そのときの画像をネタの一部に流用しても、不快じゃないはず。
 これが画像がなくて(あるいは、そのブロガーが顔出ししていなくて)文章だけだったら、ここまでの違和感はなかったのだけれど。
 「お通夜」は「死者を悼むためのもの」であり、「生者がネタにするためのもの」じゃない。少なくとも表向きは。

 僕もブログを書いている人間なのでそういう気持ちはよくわかる。
 「喪服姿に萌えてくれる人も多いはず♪」なんて考えたのかもしれない(それはまあ、間違ってはいないのだけど)。

 ブログを書いていると、だんだん、「このくらい書いてもいいはず」というハードルが下がってくるのだ。
 僕も昔、「医療業界の裏側」「同僚医師の生態」(とはいっても、違法な話じゃなくて、女性にだらしない同僚がいるとか、そういうレベルの話ですよ)などを書いていたのだが、「看護師さんのヒミツ!」なんていうタイトルで書くと、けっこうアクセス数が跳ね上がったりしたものだった。一度そういうのを味わうと、いい気分になって、どんどん内容がエスカレートしていくのだ。
 結局、「身内バレ」して、昔やっていたサイトは閉鎖の憂き目に遭ったわけだが、今から考えると「憂き目に遭った」っていうのは僕の勝手な主観であって、実名ではないとはいえ、いろいろ書かれていた人のほうが、よっぽど「迷惑していた」のだよね。
 ブロガーっていうのは、痛い目にあわないと、どんどん「露出癖」がひどくなってきやすい。
 アクセスが多くなればなるほど用心するべきなのに、実際は、アクセスが多くなればなるほど「もっと見せないと、みんな離れていっちゃう」なんて考えてしまうものなのだ。

 もしあなたが柳美里さんなら、もうそれはしょうがない。
 彼女は、そういう生き方しかできない人なのだろうから。
 でも、「ブログや文章で身を立てていこう。そのためなら、どんなに身内に後ろ指さされても構わない」というのでなければ、顔出しで身内の不幸をネタにするのはやめたほうがいい。そんなこと言わなくてもみんなわかっているはずなのに、人気ブロガーになると、ついついサービスしちゃうんだよね。
 それでキャーキャー言っていた人たちは、閉鎖したあとは鼻水もひっかけちゃくれないのに。

 村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)に、こんな言葉がある。

「幾つかのことに気をつければそれでいいんだよ。まず女に家を世話しちゃいけない。これは命取りだ。それから何があっても午前2時までには家に帰れ。午前2時が疑われない限界点だ。もうひとつ、友達を浮気の口実に使うな。浮気はばれるかもしれない。それはそれで仕方ない。でも友達までなくすことはない」

 友達や身内をブログのネタに使うな、ブログは炎上するかもしれない。それはそれで仕方ない。でも、友達までなくすことはない。

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