琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

東大オタク学講座 ☆☆☆☆☆


東大オタク学講座 (講談社文庫 お 103-1)

東大オタク学講座 (講談社文庫 お 103-1)

内容紹介
あの頃「オタク」は熱かった。'96年から'97年にかけて著者が東大で行った伝説の講義=オタク文化論傑作選。
東大生の前で語った内容は10年余の時を経てなお読み応え十分である。ユニークなゲストとの対談は貴重にして希少で必読の部分。
'90年代、すでに「オタク」はここまで哲学されていた! 待望の文庫化。

この本、単行本で出たときにはかなり話題になったのですが、当時の僕は、表紙に「東大」「オタク」と大きく書かれている本をレジに持っていくのがなんとなく気恥ずかしく、買えなかった記憶があります。考えてみれば「東大」に「オタク」なんて、僕にとっては最もコンプレックスを刺激される言葉でもありますしね。
今回、文庫化されたのを見つけ、パラパラとめくりながら「こんな分厚い本だし、なんのかんの言っても、10年以上前に行われた講義だから、いまさら読んでも『時代遅れ』なんだろうけどなあ……」とも感じたのですが、なんとなく「今なら買える!」ということでとりあえず読んでみたのです。

読んでみての感想なのですが……
面白い、面白いですよこれ。
たぶん、「リアルタイムで『エヴァンゲリオン』を体験していない」という世代のオタクたちには「こんな昔話をされてもねえ……」と思われてしまいそうな内容なのですが、僕にとってはまさに「自分がいちばん『オタク』に近かった頃」の記憶を呼び覚ましてくれる本でした。

そして、ゲームやアニメなどの多くのジャンルにとっての「公式」みたいなものって、10年前も今も、そんなに変わりない、ということもよくわかります。

 以前WARPの飯野(賢治)社長と「ヴァーチャルの嘘」ってものについて話してたんですよ。なんというか「アメリカ人ってなんでこういうものを作りたがるんだかねえ」って話題です(笑)。ついこの間もどこだかの発表会で、「これが最新鋭のヴァーチャルリアチティー・システムです」なんてやってましたけど、5年くらい前からこの手のものについて嫌になるくらい情報が出てきてるんで、どこがどう従来品とちがうのか、専門家でない僕にはまるっきり判別つかないというシロモノでした。
 そのシステムというのが、何か怪しいグローブみたいなのを着けてでっかいゴーグルみたいなの装着してってスタイルで、そこら辺のお年寄りが「ヴァーチャルってのは大きいメガネのことだろう?」なんて言ってるアレなんですよ。つまるところ、アメリカ人にとっての「ヴァーチャルリアリティー」というのはこのイメージが基本なんですね。
 ところが日本人にとってのヴァーチャルはちがう。なにがちがうかっていうと、僕らにとってのヴァーチャルスペースというのはアメリカ人がイメージする「主観映像で体験する擬似世界」ではなく「モニターの外から眺める。コンピューター内の世界」なんですよね。つまり『バーチャファイター』の画面を眺めるのがわれわれにとってのヴァーチャル体験。中に入るんじゃなくて外から見てるんですよ。
 だから、もしアメリカ人が『バーチャファイター』作ったらどんなゲームができあがるかというと、アレですね、『パンチアウト!!』(会場大爆笑)。あったでしょう、昔のゲームで『マイクタイソン・パンチアウト!!』というのが。相手選手が正面に立っていて、画面がプレイヤーのやや後方視点から見た画面構成なんですよ。パンチを繰り出すと、実際に拳を突き出したときの視界と同じような映像が広がるわけです。つまりキャラクターの視点を通して擬似世界を眺めるのが、あちらの人たちが考えるヴァーチャルなんです。

語っている相手が、あの飯野社長だというのが、「時代」を感じさせてくれます。
この講義では、さまざまなゲストが登場して、岡田さんと率直なやりとりをしているのも魅力のひとつ。
小林よしのりさんあたりは、「お互いに腹のさぐりあい」みたいになってあまり面白くないのですが、今をときめくアーティスト・村上隆さんとの「第八講・現代アートの超理論」なんて、「こんなにぶっちゃけていいの?」と驚いてしまうくらいの「本音」が出ていてすごく興味深かったです。「大家」になる前の「挑戦者時代」の村上さんって、こんなに面白い人だったのか……今では立場上、こんな話は絶対にしてくれないはず。この講だけでも、僕にとっては「値段分の価値があった」と思います。

村上隆ええ。と、ここまでは僕の作品です。この次に出てくるのが僕の敬愛してやまない榎忠(えのき・ちゅう)さんというアーティストの作品群でして、「ハンガリー国へ半刈りで行く」という作品ですね(会場爆笑)。ああ、ウケてるウケてる。嬉しいなあ(笑)。この作品はすごいことに、実は体毛という体毛を全部半刈りにしてあるんですよ。胸毛から脇毛から陰毛、お尻の毛と、もう全部半刈り。それでハンガリーに行ったら税関でストップかけられたという(笑)。いいでしょう、すごく。でも残念なことに榎さん、日本のアートシーンでは無視されているんですよ。僕はこの人を心の師として仰いでますし、自分がデビューする前からずっと注目していたんですけど。で、次のこれは大砲ですね。でっかい大砲が山口組の組長宅へ向けられてるんです(笑)。なにも言わなきゃ山口組だなんて分からないのに、わざわざ明らかにしたばかりに警察から強制退去させられちゃって(笑)。

ちなみにこれが、「ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く」(1977-78年)です。
これが「アート」なのかと言われると僕には正直よくわからないのですが、バカバカしさ込みで、すごいインパクトの作品ではありますよね。

現在20代後半〜40代前半くらいの「オタク」が差別用語だった頃を生きた人たちにとっては、仕込まれたさまざまな小ネタも含め、ものすごく楽しめる「講義」だと思います。
僕はこれを読みながら、「ただでさえ偏差値も社会的地位も高い東大生に向けて、こんなに面白い講義が行われていたなんて、なんか不公平だよなあ」と、ちょっと悔しくなってしまいましたよ。

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