琥珀色の戯言

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家守綺譚 ☆☆☆☆☆


家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多…本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。―綿貫征四郎の随筆「烏〓苺記(やぶがらしのき)」を巻末に収録。

 「傑作」というのは、まさにこういう作品のことを言うのだなあ、と思いながら読みました。
 実はこの『家守綺譚』、高評価を何度も耳にしていて、「けっこう薄い本(文庫で200ページくらい)だし、すぐに読めるだろう」と一度書店で購入したまま、積みっぱなしになっていたんですよね。
 一昨日の日曜日の朝、ラジオを聴きながら運転していたら、作家の小川洋子さんが、この『家守綺譚』を大好きな作品として採り上げられていて、そこで紹介されていた内容や文章の美しさに、あらためて「読んでみよう」と決心した次第です。
 ちなみに、小川さんが紹介されていたのは、こんな場面でした。

 ――サルスベリのやつが、おまえに懸想をしている。

 ――……ふむ。

 先の怪異はその故か。私は腕組みをして目を閉じ、考え込んだ。実は思い当たるところがある。サルスベリの名誉のためにあまり言葉にしたくはないが。

 ――木に惚れられたのは初めてだ。

 ――木に、は余計だろう。惚れられたのは初めてだ、だけで十分だろう。

 湖でボートを漕いでいて行方不明になった友人・高堂の実家を「家守」することになった、駆け出しの小説家・綿貫征四郎。その家や周囲の自然のなかで起こったさまざまな「怪異」が淡々と語られている小説なのですけど、読んでいると、「こういう生活をしてみたいな」と僕などはものすごく感じるんですよね。征四郎はけっして物質的に豊かではないし、しょっちゅう友達と会って大騒ぎするわけでもない。生者の世界と死者の世界、現実と無限の境界あたりを、ふらふらと彷徨っているような感じです。
 人と接することの煩わしさにウンザリしながら、人のことが気になってしょうがない僕には、とうてい不可能な生き方ではあるのでしょうが、それでも、「こんなふうに、自然に溶け込んで生きるというのも『アリ』なんだよ」という、安全弁みたいなものを、この作品は僕に提示してくれます。
 もちろん、「この小説に書かれているようなことは現実にはない」と思う。でも、こうして小説になっていれば、たぶん、「僕の心のなかには、この世界は存在している」はずなのです。
 梨木香歩さんは、「私は人間が『生きようとする』ための手伝いをできる作品を書きたいと願っている」と常々仰っているという話を小川洋子さんがラジオでされていたのですが、この『家守綺譚』は、まさにそんな作品だと思います。
 大自然の「生」と比較して、人間(生物)の「死」が色濃く描かれているように感じられる作品なのですが、だからこそ、僕はこの小説に「だからこそ、とりあえず生きてみてもいいんじゃないか」と背中を押してもらえるような気がしたんですよね。

 疎水の両岸の桜が満開のまま、しばらく静止を保っていたが、ついに堪えきれず、散りに入った。疎水の流れはその花びらが、まるで揺れ動く太古の地表のように、大きな固まり、小さな固まり、合体したり離れたりを繰り返し、下手に流れてゆく。じっと見ていると次第に川面は花びらで埋め尽くされ、水の表を見ることも難しくなるほどだ。

 自然に対する描写の素晴らしさも強く印象に残る、まさに傑作。
 「ドキュメンタリーしか観ない」という人には「何これ?」という感じかもしれませんが、すべてのファンタジーを愛する人や現実にちょっと疲れている人に。風景・情景描写が非常に精緻なだけに「流し読みできない」本なので、「読書に集中できる環境」で読むことをオススメします。
 そうそう、森見登美彦さんのファンは、きっと、この小説を気に入ってくれるんじゃないかなあ。

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