琥珀色の戯言

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クライマーズ・ハイ ☆☆☆☆☆


クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

出版社/著者からの内容紹介
85年、御巣鷹山日航機事故で運命を翻弄された地元新聞記者たちの悲喜こもごも。上司と部下、親子など人間関係を鋭く描く。

北関東新聞の記者・悠木は、同僚の安西と谷川岳衝立岩に登る予定だったが、御巣鷹山日航機墜落事故発生で約束を果たせなくなる。一方、1人で山に向かったはずの安西は、なぜか歓楽街でクモ膜下出血で倒れ、病院でも意識は戻らぬままであった。地方新聞を直撃した未曾有の大事故の中、全権デスクとなった悠木は上司と後輩記者の間で翻弄されながら、安西が何をしていたのかを知る――。 実際に事故を取材した記者時代の体験を生かし、濃密な数日間を描き切った、著者の新境地とも言うべき力作。

若き日、著者は上毛新聞の記者として御巣鷹山日航機事故の 現場を取材しました。18年という長い時を経て初めて、その壮絶な体験は、 感動にあふれた壮大な長編小説として結実しました。それが本作品です。

――記録でも記憶でもないものを書くために、18年の歳月が必要だった。
横山秀夫

 横山秀夫さんはとても評価の高い作家なのですが、僕にとっては、「いつか読んでみようと思いつつも、なかなか手が出なかった人」なんですよね。たしか、『第三の時効』は読んだことがあったのですが、「警察組織モノ」があまり好きじゃないこともあり、「敬して遠ざける」という感じだったのです。
 でも、この『クライマーズ・ハイ』は、僕も記憶に残っている、日航機墜落事故について書かれたものである、ということ、そして、現在映画が公開中で話題になっていることもあり、手にとって読み始めてみました。
 正直、物語の冒頭の部分はあまり面白いとは感じなかったのですが、読みすすめるにつれて、僕はこの小説の世界にどんどん引き込まれていったのです。
 僕は、実際に読むまで、この『クライマーズ・ハイ』という小説は、520名の命が失われた未曾有の大事故を「みんなのために報道する」正義のマスコミが活躍する小説だと思っていました。
 でも、当時「上毛新聞」(作中には、主人公・悠木が属する群馬の地方新聞のライバルとして登場します)の記者として、この事件の報道にあたった横山さんが書かれた物語は、もっと人間的で、「ドロドロした」ものだったのです。
 そこには、「読者のため」というより、「世紀の大スクープを自分の手でモノにするため」にすごい執念で取材を続ける記者たちの姿や新聞社内での派閥争いが、リアルに描かれています。
 「社会のため」「読者のため」「報道の自由」という大義名分を振りかざしているマスメディアを本当に動かしているのは、そういう「クリーンな理由」というよりは、「スタッフの功名心」や「競争心」なのだということがこの小説ではちゃんと描かれているのです。その一方で、彼らは、「報道人としての良識」を完全には捨てきれない人々でもあるんですけどね。
 主人公・悠木の行動は、すべてがうまくいくわけではない(というか、客観的にみれば、失敗のほうが多いくらいです)、読みながら、ああ、なんでそこでそっちへ行っちゃうのかなあ、こいつらバカなんじゃないかなあ、と何度も思いましたし、「なんかこう、カタルシスに乏しい小説だなあ」という気分にもなりました。
 スーパーヒーローも極悪人も登場しないし、日航機の事故という悲劇の大きさに比べて、この小説で描かれている人間たちは、あまりに卑小で独善的です。しかしながら、最後まで読み終えてみると、そんなふうに「間違いを繰り返してしまうのが人間なんだ」と、なんとなくわかったような気がしたのです。

 なんのかんの言っても、研究などの世界であっても多くの場合、そこで活躍して名を上げていく人たちを動かしているのは「野心」とか「功名心」なんですよね。そういう世界を少しだけのぞいたことがある僕にはそれがわかります。
 もちろん、ごく一部には、「純粋に研究が好きで、実験さえやっていれば幸せ」という人もいるのですが、そういう人はごくごく一握り。
 当たり前のことなのですが、「医者だって、学校の先生だって、人間」なのです。

 この『クライマーズ・ハイ』は、本当に「骨太な社会派小説」だと思いますし、綺麗事に逃げなかったからこそ、この小説には「聖人になれない人間たちへのささやかな希望」が詰まっているようにも感じられます。
 しかし、この本が「ミステリ」として高い評価を受けているのにはちょっと違和感があるのも事実なんですけどね。まあ、「このミス」とかで高く評価されたのは、たぶん「(ミステリというカテゴリーに入っているかどうかはともかく)この素晴らしい小説を多くの人に届けたい」と思わせるものがあったのではないかと。

 最後に、横山秀夫さんが、この『クライマーズ・ハイ』について語られた記事を御紹介しておきます。


『クライマーズ・ハイ』まで17年〜ジャーナリズムの世界からフィクションの世界へ(有燐 No.452)

私の卑小な現場での体験は封印し、大いなるものと対峙することを迫られた新聞社の男たちの群像ドラマにした。 記憶でも記録でもないものを書きたかったからだ。

クライマーズ・ハイ』に限らず、私の小説を読んで「泣いた」という感想を読者からもらい、驚くことがある。 怖くなることもある。 それを意図して書いているわけではないからだ。

私は、どの小説でも、自分の心の中の痛覚を探し出して、その痛さを何とか文章化しようと試みている。 それこそが小説のリアリティーだと思うからだ。

その点で『クライマーズ・ハイ』は、とりわけ痛い小説だった。 私自身が記者として経験した、野心、保身、邪心をさらけ出したわけだから、探すまでもなく、痛覚は胸のいたるところに存在していた。 新聞社の人たちばかりでなく、組織で働く多くの人たちから反響があった。 高校生からの手紙もたくさん来た。 そんなとき、学校社会もまた、組織と個人のせめぎ合いの場なのだと、改めて思い知る。

私の小説にはヒーローと呼べるような人物は、ほとんど出てこない。 これまで生きてきて、完全無欠のヒーローなんて出会ったことがないし、そんな人間に興味はわかない。 自分の弱さや醜さをきちんと自覚した上で、なけなしの矜持を振り絞り、一歩踏み出そうとするような姿が好きだ。 心に余裕のあるときに感じる優しい気持ちは信用できないけれど、憎悪だの嫉妬だのが渦巻く黒々とした心の中で、それでもふっと立ち上がってくる優しい気持ち……。 そんなものを信じている。

 この『クライマーズ・ハイ』は、まさに、横山さんのこの言葉どおりの小説です。
 僕も読み終えたら、なぜだか涙が目から溢れてきて困りました。
 正直、「被害者側の立場」からみたら、「ちょっと不謹慎」な話ではありますが、それを「美化」しないで描ききった、すごい作品。

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