琥珀色の戯言

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赤塚不二夫さんの葬儀での「タモリさんの弔辞」


タモリさん声震わせ「私も作品」 赤塚不二夫さん葬儀(asahi.com)

 赤塚さんが亡くなられてからのタモリさんの赤塚さんに対する一連のコメントは、2人の関係からすると、ちょっと「よそよそしい」というか「素っ気無い」印象を僕は持っていたのです。
 でも、ここで紹介されているタモリさんの「弔辞」は、「天才」同士の敬意と心のつながりがあふれていて、読んでいて僕も目頭が熱くなってきました。
 何ヶ月か前に、『笑っていいとも』の増刊号で、「いままで結婚式で何回くらいスピーチをやったことがあるか?」という問いに対して、タモリさんは「12回くらい」と答えておられました。
 僕は「タモリさんのキャリアと知名度だったら、百回を越えていてもおかしくないんじゃないかな」と思っていたのですが、どうも「冠婚葬祭の席は大の苦手」らしくて、『笑っていいとも』の関係者の結婚披露宴に出席した際も、披露宴が終わった途端に元気になって、「さあ、みんな飲みにいくぞー!」と会場中に響くような声で叫んでいた、というエピソードが紹介されていました。
 そんなタモリさんの、最大の恩人であり、理解者でもあった赤塚さんの告別式での「はじめての弔辞」。
 
全文を御紹介しておきます。

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の時間、わずかですが、回復に向かっていましたのに残念です。
 10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年かのちに私がお笑いの世界をめざして、九州から上京して、新宿・歌舞伎町の裏のバーでライブのようなことをやっていたとき、あなたは突然目の前に表れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。
 赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然のできごとで、私は、あがることさえできませんでした。終わってやってきたあなたは、君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月末にある僕の番組に出ろ。それまでは住むところがないなら私のマンションにいろ。
 自分の人生や他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは新宿の寿司(すし)屋で夕方に集まっては、いろんなねたをつくりながら教えを受けました。
 いろんなことを語ってくれました。あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしています。
 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀(マージャン)をする時も、相手の機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀に勝ったところを見たことがありません。
 しかし、その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために、だまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたことがあります。しかし、後悔の言葉や相手を恨む言葉をきいたことがありません。
 あなたは父のようであり、兄のようであり、時折見せる無邪気な笑顔は年の離れた弟のようでもありました。
 あなたは生活すべてがギャグでした。ギャグによってものごとを無化していったのです。あなたの考えは、すべてのできごとを前向きに肯定し受け入れました。それによって、人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後の関係を断ち放たれて、そのとき、その場が異様に明るく感じられます。それをあなたは見事にひとことで言い表しました。すなわち「これでいいのだ」と。

 いまふたりで過ごしたいろいろなできごとを思い浮かべています。一緒に過ごした正月。そして海外へのあの珍道中。どれもがこんな楽しいことがあっていいのかとおもうばかりのすばらしい時間でした。
 最後に会ったのは五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔はお互いに労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘(ひじ)をつき、にこにこと眺めていることでしょう。そして、おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わせてみせろと言っているにちがいありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。

 人生で初めて読む弔辞が、あなたのものになるとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながらひとこともお礼をいったことがありません。肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいうときにただよう、他人行儀のような感じがたまらなかったからです。他の人から、あなたも同じ気持ちだったと聞きました。しかし、いまお礼を言わせていただきます。赤塚先生、お世話になりました。本当にありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

これを読んでいて、タモリさんが赤塚さんの訃報に対して、「素っ気無い公式コメント」しか出さなかった理由がわかったような気がしました。タモリさん自身の「照れ」もあったのでしょうし、マスコミ向けでのコメントでは、言い尽くせない「想い」もあったのでしょう。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀(マージャン)をする時も、相手の機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀に勝ったところを見たことがありません。
 しかし、その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために、だまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたことがあります。しかし、後悔の言葉や相手を恨む言葉をきいたことがありません。

 僕は、この赤塚さんの麻雀の話を読んで、「そんなの勝てるわけないじゃないか……」と笑いながら泣きました。
 ものすごく優しくて、不器用で、寂しがりやで、そして、「強くなろうとしていた」人だったのだと思います。
 
 謹んで御冥福をお祈りします。
 タモリさんだけでなく、赤塚不二夫のマンガを読み、影響を受けた人間たちみんなが、赤塚さんの「数多くの作品の一つ」なのではないかな、という気がしてなりません。
 合掌。

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