
- 作者: 楊逸
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/07
- メディア: 単行本
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1988年夏、中国の名門大学に進学した2人の学生、梁浩遠(りょう・こうえん)と謝志強(しゃ・しきょう)。様々な地方から入学した学生たちと出会うなかで、2人は「愛国」「民主化」「アメリカ」などについて考え、天安門広場に行き着く――。
第139回芥川賞受賞作。152ページで1300円というのはさすがにコストパフォーマンスが悪い気がするので、現在発売中の『文藝春秋』で読んだほうが良いかもしれません。
まあ、いろんな意味で、「日本人作家には書けない作品」だなあ、と思いながら読みました。
今の日本の若手作家が、尾崎豊の”I LOVE YOU”がモチーフの小説とか書いたら、あまりにベタすぎて、それだけで失笑されそうな気がしますし。僕はこれを読みながら、この人たちが尾崎の滅茶苦茶だったプライベートを知ったら、どんなふうに感じただろうなあ、なんて人の悪い感慨も抱いたんですよね(尾崎さんの話はこちらを御参照ください)。
でもまあ、「中国人の知識層にとっての天安門事件」というのが、自分たちでもその「理屈」がよくわからないまま飲み込まれていく若者達の目で描かれていたのはかなり新鮮でしたし、「ひとつの歴史的観点」としては、興味深い本ではあると思います。作者の楊逸さんのプロフィールや『文藝春秋』に掲載されていたインタビューを読んでみると、この若者たちは、まさに文化大革命の波に翻弄された楊逸さん一家の「分身」でもあるわけで。
正直、小説として、日本語の文章としての教科書的な完成度はけっして高くないと思うんですよ。
冬の夜は実に長い、朝5時になってもまだ真っ暗で、寒空の薄い月の影に、星たちが気だるそうに散らばっている。石畳の道も薄い霜に白っぽく染められ、葉の落ちた樹の枝も樹氷の衣を着せられ、暗さの中にきらりと光る。浩遠と志強は宿舎を出るなり、寒風に襲われ、一晩中体に溜めた布団の温もりがいとも簡単に抜けて、瞬く間に眠気も吹っ飛んだ。
日本語の文章としては、僕はこういうところには、やっぱりちょっと引っかかります。無意味で自己陶酔的かつありきたりな修飾語が並んでいるし、句読点のつけかたに違和感がありますし、「〜られ」「〜られ」と連続するところなど、本当に「居心地が悪い」です。
ただ、こういう文章が、たしかにこの作品の「オリジナリティ」というか「大陸的ダイナミズム」だと感じられないこともない、のだよなあ。日本人が書いた文章だったら、即「日本語勉強して来い!」なのだろうけど。
「良い小説」だとは思わないけど、歴史好きの僕としては、けっこう面白く読めたのは事実。いろいろ疑問に感じたところはあったのですが、それも、作者が中国人だと知っていると、「ああ、中国ではこういうのが『当然』なのかな」と妙に納得してしまいますし。
いや、本当は中国の大学にもいないと思うけどね、毎日湖に向かって叫ぶヤツとかさ。
まあ、1300円の単行本は、ちょっと高いかな、とは思いますし、村上龍さんが仰っておられたように、「題材の重さ、スケールの大きさで、小説としての未熟さが隠されている」ようにも感じます。たぶん、この『時が滲む朝』よりもはるかに面白い天安門事件のドキュメンタリーを誰かが書いているのではないかな、という気もしますし。
しかし、この作品、明らかに「著者のキャラクターと合わせ技で1本!」ですよね。日本人が全く同じ小説を書いたとしても、芥川賞候補にすらならなかったと思います。
「実体験が反映されているというイメージで読者を惹きつける」という点では、「かなりケータイ小説的な純文学」なのかもしれません。
「プロの作家」がいなくなって、いろんな人が、「生涯にただひとつだけ、自分真実の物語」を書く時代なのか……