琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

福田首相、投了。


福田首相辞任は驚いたし、詰めもよくわからない(極東ブログ)

 思いついたことをダラダラと書きます。
 僕はなんとなく、「そろそろ福田さんが逆襲するタイミングなのかな」という気がしていたんですよね。民主党の「なんでも反対戦術」にもそろそろ辟易してきた頃だし、あの「姫井議員出戻り劇」とか、ずーっと同じ顔ぶれの首脳部を見ていると、「いまの民主党って、いまの民主党よりもはるかに『自民党的』なんじゃないか?」と感じていましたし。
 そろそろ風向きが変わるのでは?と思ったのにねえ。

 そもそも、福田さんが直面させられた問題というのは、小泉政権時に決められた法案と安倍政権時に選挙に負けたことが原因であり、(それは就任時にわかっていたとはいえ)あまりにも「時代に恵まれなかった首相」だなあ、という気がするのです。

 でもまあ、福田さんというのは、「首相になりたかった」としても「首相であり続けたかった」人ではなかったのかもしれないな、というのが僕の実感です。
 記者との一問一答で、「あなたの言葉はいつも『他人事』のように聞こえる」という失礼な質問に「私はあなたとは違う。自分自身を客観的にみることができるんです」と答えていたのを聞いて、僕はなんとなく今回の辞任に「合点がいった」ような気がしたんですよね。
 小泉首相は、本当は全然そんなこと思っていなくても「私はみなさんと同じです、普通の人間なんです!」と言ってみせる人だったけど、福田さんは、そういう嘘がつける人じゃなかった。
 福田さんはものすごく頭がいい人だし、他人を分析し、理解することはできていたはずだけど、結局のところ、最後の最後で、「自分が先頭に立って裸踊りをやる」ことができなかった人なのではないかと。

 この「極東ブログ」の記事を読んで、僕は福田首相の今回の辞任は、将棋の「投了」みたいだなあ、と感じました。
 僕は昔、将棋好きで、NHKの「将棋の時間」をよく観ていたものですが、そのとき、プロ棋士というのは、僕の目には「まだチャンスがあるんじゃないか」と思われるような場面でも、「参りました」と「投了」するものなのだということを知りました。
 彼らにとっては、「負けるために指すのは恥ずかしい」「投了の時期を誤らない」というのが「美学」なんですよね。
 たぶん、頭がいい福田さんは、自分の「みっともない姿」を晒すのを避けて、ここで「投了」したのだと思います。福田さんの頭の中には、これから自分が「詰められる」棋譜がちゃんと完成していたのでしょう。少なくともこれで、福田さんは、「バッシングの嵐のなか辞める」ことにはならないはずです。

 しかしながら、僕はこんなふうにも考えるんですよね。
 福田さんは頭が良すぎて、相手も常に最善手を指すと想定しているんだろうな、と。
 実際のところ、将棋の世界でも、圧倒的に不利な状況から「形勢逆転」する勝負というのはときどきあって、その多くは、「負けている側が粘り強く(あるいは、往生際悪く)打っているうちに、勝っている側が油断したり、勝ちを焦ったりして悪手を放つ」ことによって起こるのです。
 正直、民主党や社会情勢が、このまま最善手を続けて最短距離で福田首相を「詰み」にまでもっていけたかというと、僕はすごく疑問なんです。彼らはそんなに強い棋士じゃない。
 でも、福田さんは「先が読めすぎた」ために、ここで投了してしまった。
 小泉さんは、同じ状況に置かれても「私はどうなってもいい!」と絶叫して打ち続けているうちに、相手がなんとなく不安になってきてミスしてくれる、というタイプの棋士だったのですよ、たぶん。
 福田さんは将棋を知っていたけれど、人間を知らなかった。
 小泉さんは将棋をあまり知らなかったけど、それを打つのは人間だということを知っていた。

 僕は福田さんがここで「投了」した気持ちはわかるような気がするのです。もったいないなあ、とは思うけど。

アクセスカウンター