- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/05/24
- メディア: 文庫
- 購入: 13人 クリック: 101回
- この商品を含むブログ (273件) を見る
正義とは何か。
犯罪被害者の叫びを聞け。
遺族による復讐を描いた社会派サスペンス。長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって蹂躙された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の復讐に乗り出した。犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎える――。重く哀しいテーマに挑んだ、心揺さぶる傑作長編。
この本、正直最初の数十ページは、少年グループの犯罪のあまりの残酷さに、何度も読むのをやめてしまおうかと思いました。
これがフィクションであるとわかっていても、怒りと憤りと悲しみで、読むのがつらくなるような内容で……
僕はなんとか踏みとどまって、その後は一気に文庫で500ページ近くのこの作品を読み終えたのですが、ものすごくシンプルな文体のなかに、まっすぐに「正義とは何か?」という問いがこめられていてるように感じましたし、僕は長峰さんに共感しながら読み進めていきました。
「遺族による仇討ちは、許されるのか?」
「そんなの不毛だ」「犯罪者だって人間だし、更生することこそが『贖罪』なのだ」「死刑制度もひとごろし」「死刑制度をなくしても、犯罪そのものは減らないから無意味」
そう考えている人たちは、ぜひ、この作品を読んでみてもらいたいのです。
あなたは、これを読み終えた時点で、長峰さんに「全く共感も同情もできない」し、「自分なら、娘がこんな酷い目に遭わされても、法に任せる。相手が未成年で少年院に入るだけですぐに出てきてもしょうがない」と言い切れますか?
でも、警察の立場っていうのもわかるのですよね。
病院に運ばれてきた患者さんに対して、「こんな人は、もう助けないでください、おねがいします!」と言われた場合にどうするか?
その人がこの犯人たちのような人間だった場合、医者は「正義のもとに見捨てる」ということが許されるのか?
僕は、たぶんできないと思う。
それは「職業的良心」なのかもしれないし、もっとシンプルに「保身のため」なのかもしれません。
逆に、警察とか医者というような職種の人間は、そういうときに「自分の情を差し挟まないで動く」しかないのでしょう。
「とにかく犯罪者だから捕まえる」「とにかく病人だから治療する」
警察官だって、「人間として」いろいろ考えることはあるのだろうけど。
結局、人は自分の「立場」によって、その行動が規定されてしまう生き物で、「娘を陵辱され、殺害された親の気持ち」なんていうのは、本人にしかわからない。
僕たちは、ただひたすら、「自分が『貧乏クジ』を引かないように祈る」しかないのか?
ラストには、僕はすごくフラストレーションを感じたのですが、それは、現実というのがフラストレーションを感じずにはいられないものだからなのでしょうし、東野さんは、フィクションの世界で満たされるのではなく、続きは現実で考えてください、と言いたかったような気がします。
本の分厚さから受ける印象よりはるかに「読みすすめやすい」ですし、ものすごく惹き込まれる作品ではあるのですが、その一方で、(あまりに絶望的な気分になってきて)「読むのがつらい」作品でもあります。
でも、なるべく多くの人に、読んで、この問題について考えてもらいたい。
僕はこれを読みながら、「それでも法廷で闘う」ことを選んだ本村洋さんのことを思い出さずにはいられませんでした。
ぜひ、ひとりでも多くの人に、届いてほしい作品です。