琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

カラヤンとフルトヴェングラー ☆☆☆☆


カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書)

カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書)

クラシック界最高の名声と金そして権力が集中するベルリン・フィル首席指揮者の座。ナチス時代、その三代目に君臨する巨匠フルトヴェングラー。彼は誠実な音楽の僕でありさえすればよかった、比類なき才能と野心をもった青年カラヤンが現れるまでは—。嫉妬の炎を執拗に燃やし詐略をめぐらす巨匠、巧みに抗うカラヤン、そこに巨匠を慕う無名の田舎音楽家チェリビダッケが加わり、争いはさらに複雑になる。クラシック黄金時代の美と欲望のドラマ。

 僕はクラシック音楽には疎くて、「帝王」カラヤンの名前は知っているものの、フルトヴェングラーに関しては「どこかで聞いたことがあるような……」、チェリビダッケに関しては、「誰だっけ?」という感じです。それでも、この本はかなり楽しめました。
 この物語は、「帝王」カラヤンがまだ若くて無名だった頃、ドイツの、いや世界のクラシック音楽界の支配者だった、フルトヴェングラーの全盛期からはじまります。
 フルトヴェングラーは、その才能ゆえにナチスに重用されるのですが、彼自身はナチスに対して批判的ながらも、祖国ドイツへの愛着もあり、結局のところ、ナチスと「つかずはなれず」というスタンスで音楽活動を続けていきました。

 戦後のカラヤンにとって必要となったのは、二つの「事実」だった。まず、「奇蹟の人」と称えられたほどの音楽家としての途轍もない才能の持ち主であること、そして、「ヒトラーに嫌われていた」ことだ。幸いにも、彼がヒトラーに嫌われていたとする状況証拠はいくつかあった。あとはそれを組み立てて、「事実」として定着させればよかった。
 一方のヴィルヘルム・フルトヴェングラーカラヤンとは逆の立場に置かれた。彼がヒトラーの「お気に入り」であったことは、誰もが知る否定のしようのない事実だった。その一方で、彼がナチ政権に逆らい続けていたのもまた事実だった。であるにもかかわらず、政権が彼を粛清しなかったのは、ヒトラーが彼を気に入っていたからでもあった。いわば、ヒトラーからの片思いをどうかわしていくかこそが、フルトヴェングラーの最大のテーマだった。しかし、これはなかなか理解されにくかった。ヒトラーが嫌ならば亡命すればよかったではないか。本当に政権に楯突いていたとして、なぜ生き延びられたのだ。戦後、フルトヴェングラーには非難のこもった疑問がぶつけられる。

 この本を読んでいると、「史上最高の指揮者」とも謳われるフルトヴェングラーは、けっしてナチスに「協力的」ではなく、むしろ反抗的な姿勢を終始とっていたようです。いまこの本を読んでいる僕からすれば、「権力者にちやほやされていたのにここまで気骨をみせていたフルトヴェングラーは、よくがんばっていたものだなあ」と感じるくらいに。
 しかしながら、彼はその才能のために多少反抗しても「大目にみられて」おり、そのことが戦後、彼の立場を危うくすることになりました。彼の批判者たちは、「フルトヴェングラーが生き延びたこと」そのものが罪だと彼を批判したのです。
 僕はこの本を読みながら、「処世術」というのは難しいものだな、と考えずにはいられませんでした。
 逆に「ヒトラーにさほど評価されていなかった」カラヤンは、その音楽的な才能と「ナチスに嫌われていた」ことを武器に、戦後、ベルリン・フィルを手にしていくのです。

 芸術というのは「才能」と「作品」だけが支配する世界だ、と僕などは考えがちなのですが、著者は、「あとがき」で、こんなことを書かれています。

 一生に一度でいいからやってみたい職業として、映画監督、プロ野球の監督、そしてオーケストラの指揮者の三つがよくあげられる。この三つは「人を指図して動かす」点では同じだが、映画監督はスクリーンに映し出されないし、野球の監督も選手交代を告げるとき以外はグラウンドには現れないのに、指揮者だけは自ら観客の前に立つ。指揮者は管理者、統率者であるとともに、最大のパフォーマーでもある。
 芸術家のなかで、芸術的才能のみで通用する職業は、実はほとんどない。画家も小説家も詩人も、作曲家も演奏家も、みなある程度のプロデュース能力とマネージメントの才能がなければ、そもそもデビューすることが難しい。そのなかで、オーケストラの指揮官ほど、芸術以外の才能が求められるものはない。数十人から百数十人を統率する能力が必要だし、聴衆を陶酔させる力も求められる。「普通の人」では務まらない職業なのだ。
 現在の音楽界にも陰謀や復讐はあるだろう。だが、この本に登場する人々が展開したほどの激しいドラマがあるだろうか。「人柄のいい人」の、「お上手な演奏」など、聴きたくもない。すごいものを聴かせてくれるのなら、どんな悪人でもいい――そう思うのは私だけだろうか。

 音楽ファンに、というよりは、歴史好きにオススメしたい作品です。「指揮者」という人種を知りたい人にも。
 僕は、フルトヴェングラーカラヤンチェリビダッケも「悪人」だとは思わないのですけどね。
 

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