琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

パコと魔法の絵本 ☆☆☆☆


映画『パコと魔法の絵本』公式サイト

解説: 下妻物語』『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督が、伝説的な舞台「MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人」を映画化。変わり者ばかりが集まる病院を舞台に、1日しか記憶が持たない少女のために、大人たちが思い出を残そうと奮闘する姿をファンタジックに描く。役所広司妻夫木聡土屋アンナなど豪華キャストが出演。クライマックスで役者たちを3DのフルCGキャラクターに変身させ、彼らの生の演技と連動させていく大胆な演出に注目。(シネマトゥデイ

あらすじ: 昔々、大人の俳優に脱皮できなかった元有名子役や、消防車にひかれたまぬけな消防士など、患者だけでなく医者や看護師も変わり者ばかりが集まる病院があった。中でも一代で自分の会社を築いた超ワガママ老人の大貫(役所広司)は、一番の嫌われ者。ある日大貫は、1日しか記憶を保てない少女パコ(アヤカ・ウィルソン)に出会う。(シネマトゥデイ

昨日観てきました『パコと魔法の絵本』。
21時開演のレイトショーで、観客は20人程度。平日のレイトショーとしては、まずまずの入り。

最初にネタバレ無しの感想をざっと書いていくと、この映画、僕はけっこう好きでした。極彩色の映像美と豪華キャストの「作品世界をはみ出さない」演技、そして、パコちゃんのかわいさ!
病院を舞台にされると、なんとなく「こんな何科だかわかんない病院あるわけねえだろ!」と言いたくもなるのですけど、この作品の場合は、そういうリアリティは言いっこなし!という「お約束」がプロローグで提示されているので、「おとぎ話」として楽しめます(ただ、「なんだこの子供だましの薄っぺらいストーリーは!」って言う人もけっこういるのではないかと思うけど)。

この映画のテーマ、まさに僕にとっての「ツボ」なんですよね。

「良い映画」と「好きな映画」の違い。 - 絶叫機械+絶望中止
↑のエントリを読んで、僕の「好きな映画」を一行であらわすとどうなるだろう?とずっと考えていたのですけど、僕の場合は、

 フィクションが現実世界で苦しんでいる人間を少しだけ幸せにする話

なのではないかなあ、ということに、この映画を観て思いあたりました。
ネバーランド』を観て号泣し、同行者に「なんでこの現実逃避&プチ不倫映画でそんなに泣けるのかわからない」と呆れられた理由が、ようやくわかったような気がするよ。
ちなみにこの場合の「フィクション」っていうのは、「宗教の教義」みたいな厳密で教条的なものじゃなくて、「現実とはかけ離れた『物語』」のことだと考えてください。

パコと魔法の絵本』という作品は、「少女と老人の心のふれあいの物語」だと解釈されがちな作品なのかもしれませんが、僕にとっては、「ああ、『本』って、『物語』って、ものすごい力を持つことがあるんだな……」という「フィクションの力」を再確認させてくれる作品でした。ただ、個人的には、ちょっとクールでスタイリッシュであることにこだわりすぎたのではないか、この内容なら、もっと(中島監督が恥ずかしくなるくらいに)「お涙頂戴」で押し切ってしまったほうがよかったのではないか、とも思うんですよね。物語に入り込もうとすると、現実に引き戻されるようなシーンが多かったので。もちろん、本当にそういう作品だったら、「あざとさ」ばかりが目についてしまったのかもしれないけれど。
あと、個人的なこだわりなのですが、「記憶障害」をモチーフにした作品って、僕はあんまり好きじゃないんですよ。人間の「記憶」って、そんなに都合よく、あるいはドラマチックに「喪失」したり「回復」したりするものじゃないし、だからこそ、「記憶」というのは人間にとって「困ったもの」なんですよ。「ものすごく珍しい状況」を設定して感動的な物語をつくるのって、「安直」に感じられるのです。
ものすごくシンプルな(ように見える)のですか、この作品に説得力を持たせたのは、まぎれもなく中島哲也監督の「映像と”間”へのこだわり」と、役者たちの技術力でしょう。
まさに日本映画の「底力」を見せつけてくれる作品。


以下ネタバレ感想なので隠します。


本当にネタバレなので、鑑賞後に読んでいただけれると嬉しいです。


とにかくね、パコ役のアヤカ・ウィルソンさんが可愛いんですよ。日本人でパコ役に説得力を与えられる子役がいなかったのかな、と考えるとちょっと悲しくなりますが、本当に「天使」って感じ。役所広司さんの「(どうせいい人なんだろうけど)ムカつくじじい」もさすがでした。あとは土屋アンナさんが好印象。

全体的には「すごくすばらしい映画」だと思うのだけど、僕が、ちょっとこれは……と感じたのが、『ガマ王子vsザリガニ魔人』の絵本のストーリーなんですよね。結局のところ、人というのは、「より大きな敵」に遭遇しないと、自分の小ささを自覚することができないのか……と。それって、「善意の勝利」なのかな、とかね。
あと、最後の「どんでん返し」については、「やられた!」とは感じるのだけれども、こういう「観客を驚かせるため」にパコを犠牲にするのは、ちょっとかわいそう。
個人的には、「演じ終えた大貫が息絶える」でもよかったんじゃないかなあ、と。
やっぱり、「そんなベタなオチじゃダメ?」

この『パコと魔法の絵本』、もともとは舞台用の作品だったそうです。
おそらく、この脚本を書いた人は、「この時代に、小説や舞台のような『夢物語』が存在する意味」みたいなものを観客に語りかけたかったのだと思うのですよ。「難病」や「人を信じられなくなったじじい」というのは、そのテーマを浮き彫りにするための「記号」。
人は「夢ばかりみてないで、現実を見なければならない」と言われるけれど、「フィクションの世界に逃げ込む」ことは、そんなに悪いことなのだろうか?
そうすることによって、心が癒されたり、現実に立ち向かっていく勇気を補給する人だっているはずじゃないのか?
狂言回しの妻夫木さんの家に『銀河鉄道999』や『エヴァンゲリオン』の大きなポスターが貼られていたのは単なる「小道具」ではなくて、これらの作品は、「多くの人々の心に『もうひとつの世界』を立ち上げた功労者」の代表として提示されていたのではないかと僕は考えています。
そして、『パコと魔法の絵本』も、そういう作品の列に新しく加わりたい、という意志も感じました。

たぶん、観た人の半分はこの「別世界」を心ゆくまで愉しみ、残りの半分は、その「リアリティのなさ」についていけない作品です。
でもなあ、パコを殺さなくってもよかったんじゃない?
あのシーンまでは、「自分の子供に観せてあげたい映画だなあ」と思っていたんだけど……

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