琥珀色の戯言

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家族八景 ☆☆☆☆


家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

(新潮社の「作品紹介」より)
幸か不幸か生まれながらのテレパシーをもって、目の前の人の心をすべて読みとってしまう可愛いお手伝いさんの七瀬――彼女は転々として移り住む八軒の住人の心にふと忍び寄ってマイホームの虚偽を抉り出す。人間心理の深層に容赦なく光を当て、平凡な日常生活を営む小市民の猥雑な心の裏面を、コミカルな筆致で、ペーソスにまで昇華させた、恐ろしくも哀しい作品。

『七瀬ふたたび』が10月からドラマ化されるということで、僕も20年ぶりくらいに、この「七瀬シリーズ」の第一作『家族八景』を手にとってみました。
この作品が最初に出版されたのが1972年。僕が生まれたのとほぼ同じ時代です。
そして、僕がこの作品をはじめて読んだのが1980年代の後半ですから、僕が読んだ時点では、すでに「定番」だったんですよね。
その20年後にもこうして読み継がれ、書店に文庫が平積みにされているというのは、本当にすごいことです。

高校時代に最初に『家族八景』を読んだとき、僕は「大人の、人間の本音の汚さ」をまざまざと見せつけられたような気がして、ひどくがっかりしたのと同時に「自分はそんな大人にはならないぞ!」と考えたものでした。
そして、今この『家族八景』を読み返している僕は、「七瀬に心を覗き込まれる(七瀬を雇う側の)大人」と同じくらいの年齢になってしまったのです。
そういう「覗かれる立場」を実感した上で、この作品を再読するというのは、なかなか興味深い体験ではありました。

率直に言うと、この『家族八景』で描かれている「『家族』を構成する大人たちの内面」というのは、けっこう露悪的で、極端なものだったのだな、と僕は感じました。もちろん僕は「汚い大人」の一員ではあるのですが、日頃考えていることって、もっと漠然としていて、形のないこと、ただ「ボーっとしている」あるいは「今日はブログに何書こうかな」みたいなことばかりです。他の人はどうだかよくわからないのだけれども、僕にとっては日頃の思考って、ここに描かれているほど「生々しい」ものじゃありません。
むしろここに描かれているのは、「七瀬くらいの年齢(20歳目前くらい)の若者が想像している、大人の内面」なのではないかと。
だからこそ、この作品はずっと「中高生くらいの若者」に支持されてきたと思うのです。
そして、筒井さんの凄さは、この作品を30代後半に書いたことなんですよね。
すごい作家の大事な条件は、「自分が子どもの頃に何をどんなふうに感じていたかを、しっかり記憶していること」なのではないかと僕は最近考えるようになりました。

それにしても、この作品を読んでいると、「大人」としては、けっこう気が滅入ります。

 この家に勤めて1ヵ月、七瀬は書斎兼用のリビング・ルームでくつろいでいる輝夫が、医学書を読んでいる姿を一度も見たことがない。彼はいつも薄っぺらな会報か、さもなければ新聞を拾い読みしているだけだった。あとはテレビの洋画を見ていた。それでも彼は医学博士で、このマンションの1階に小さな医院を出していた。まだ40歳になったばかりだというのに、彼がもはや学問に興味を失ってしまっていることは七瀬の心眼にあきらかだった。
 本棚に医学書はたくさん並んでいた。しかし七瀬は誤魔化されなかった。輝夫の心を覗くと、そこには学会内部での彼の地位に関する事柄が大部分を占めていて、しかもそれが仕事に関係した彼の唯一の関心の対象であった。患者のことは、よほど気にかかる症例にぶつかっている際、ほんの少しだけちらちらと見られる程度だった。当然彼は、急患の往診をいやがった。

この『芝生は緑』の冒頭の部分を読んで、「こんな医者は厭だなあ」と呆れていた10代の僕。
ところが、自分が大人になってみると、「ならぬつもりがなっていた」(by 千昌夫)というのは、なんともいえない情けなさがありますね。
僕の場合は、学会内での地位にすら興味ないのですが……

そういえば、「七瀬シリーズ」って、『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』と、どんどん「暴走」していくんだよなあ。
あの頃はただ唖然としていた記憶があるけれど、いま再読したら、どう感じるのか愉しみです。

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