琥珀色の戯言

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敗者復活 ☆☆☆☆☆

敗者復活

敗者復活


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6万8000円のアパートに10年間同棲生活。伊達が察知した、富澤の自殺疑惑。舞台に2人、観客も2人…の売れない時代。トイレに10年間貼りっぱなしだった、2人の「約束」のメモ!?M‐1決勝の舞台上で喧嘩寸前、の理由。決勝本番中にネタが飛んだ。そのとき2人はどうしたか?―それまでの生活を捨て、夜行バスで上京してきて以来の紆余曲折からM‐1グランプリの舞台裏で起こっていた、手に汗握るガチンコ勝負の詳細まで本書で初めて明かされる、友達も肉親も超えた、男2人の絆と魂の闘い。


最初に書店で見かけたとき、「幻冬舎のタレント本」だし、流行りモノに便乗した「ゴーストライターが書いた本」なんじゃないかな、と思ってとくに気に留めてもいなかったのですが、なぜだかとても「読んでみたい気持ち」が湧いてきて、まあ、ダメモトで、と買ってみました。

でも、僕の予想は見事に大外れ、それも良いほうに。
この『敗者復活』、本当に面白くて素晴らしい「お笑いの世界を目指したどこにでもいる2人の男の半生記」なのですよ。
僕はサンドウィッチマンのコント、「面白いけど、暴力団っぽい人が出てくるのは嫌い」なのであまり好みじゃないし、去年のM−1でのサンドウィッチマンの優勝には、「いままでの実績が乏しい分の目新しさ」があったのではないかと考えていたのですが、この本を読んでいくうちに、「ああ、サンドウィッチマン優勝できてよかったなあ」と思わずにはいられませんでした。

富澤たけし(34)と伊達みきお(34)の2人のコンビであるサンドウィッチマンですが、ネタ作りは富澤さんが主にやっているそうです。
高校時代から「目をつけていた」伊達さんにコンビ結成を断られた富澤さんは、最初に別の相方とコンビを組んでいました。ようやく念願かなって伊達さんとコンビを組んで東京に出てきたものの、いままでの相方と伊達さんの「リズムの違い」に戸惑います。それまでの相方は、とにかく「富澤さんのイメージ通りにネタをこなしてくれる人」だったのに、伊達さんはアドリブを入れたりして自分の「色」を入れたがるので、最初はものすごくギャップがあったそうです。仲間内ではそこそこ評価されているはずなのになかなか売れず、停滞ムードを振り払うため、もう一人新しいメンバーを加えて3人組になってみたことも。そのとき「サン」という言葉を入れようということでつけられたのが「サンドウィッチマン」(1年後に3人目のメンバーは脱退)。
そんな「迷走」の末、ようやく巡ってきたM−1の大舞台。
この2007年のM−1に関しての2人の話は、本当に読みごたえがありました。
そして、「こんなに正直に書いちゃっていいのか?」と思うくらい、現在のお笑いの世界での「吉本以外の芸人」の本音も綴られていました。
富澤さんは、こんなふうに書かれています。

 準決勝戦は、『ルミネtheよしもと』で行われた。
 そこまでくると、さすがの面子が揃っていた。会場の空気は、アマチュアコンビも多く混じっていた3回戦までとはうって変わって、かなりピリピリしている。僕らみたいな吉本以外の事務所の芸人にとって、正直、ルミネはやりやすい場所ではない。客はだいたい吉本ファンだし、舞台も楽屋もトイレまでも、吉本専用の「場」という感じで、落ち着けない。まるっきりアウェーの劇場だ。

(中略。2007年の準決勝で敗退したときの富澤さんの述懐)

 しかも2006年の決勝戦は、敗者復活の『ライセンス』までを含め、全員吉本の芸人だった。このときはまだM−1のことをちゃんとわかっていなかったから、これは結局、吉本のイベントなんだって、文句を言う気も起こらなかったんだ。
 M−1は、やっぱりガチンコじゃなくて出来レースだったんだな、と冷めた気持ちになった。実際、「小さい事務所にいるタレントは、エントリーするだけ無駄だよ」とも言われたことだってある。

M−1が本当に「ガチンコ勝負」なのかというと、やはり「吉本有利」ではあると思うのです。審査に手心が加えられているかどうかはさておき、ホームで戦えるというだけでも、吉本の芸人たちのアドバンテージは大きいはず。
サンドウィッチマンは「敗者復活組からの奇跡のM−1制覇!」と言われているけれども、この本を読んでいると、ステージや観客に「吉本色」がほとんどない「大井競馬場の敗者復活の舞台だからこそ」、サンドウィッチマンは勝ちあがれたのかもしれません。

この本のなかで、僕がいちばん心を動かされたのは、サンドウィッチマンが敗者復活で勝ち上がっていったときの、他の芸人たちの姿でした。彼らはライバルなのだけれど、その一方で、同じ目標を持ってがんばっている「仲間」であり、お笑い界の「主流派」である吉本興業以外の芸人たちは、とくにM−1の舞台では、「マイノリティとしての矜持」を共有しているのでしょう。みんな悔しいだろうし、「敗者復活」していったサンドウィッチマンが妬ましい気持ちもあるはずなのに。

(伊達さんの記述)

 サンドウィッチマンが敗者復活してから、大井競馬場は大変なことになってたらしい。
 残った56組の芸人たちのほとんどが帰らずに、決勝放送中のモニター前から動かない。
 これはM−1では異例のことだったらしい。何かが起こる予感を、みんな感じていたんだろうか?
 局側の本スタッフが、大井競馬場の撮影隊に「こっちに戻って来い」と言ったけど、「いま大井大変なんです!」って、モニター前の様子をカメラで撮り続けていたと聞いた。敗者復活会場に撮影隊が残ったのも、異例だったそうだ。
 芸人それぞれ、パイプ椅子に座ったり地べたに座りこんで、食い入るように決勝の様子を見てた。M−1グランプリのDVD特典映像のドキュメントでは、そのときの様子が詳しく記録されている。
 モニターを見る芸人たちの最前列、ど真ん中の一番いいポジションに、二郎さんが座ってた。そのすぐ横に、後輩のタイムマシーン3号・関と、超新塾のドラゴンもいる。
 二郎さんの顔がまた……たまらないんだ。兄貴みたいな、父親みたいな顔で、サンドウィッチマンの出番を見守ってくれている。
 あの人はそれまで、準決勝で負けたら「なんで僕らを選ばないんだよ!」ってすごい剣幕で怒って、帰っちゃっていた。特に2005年の敗者復活では、どうみても東京ダイナマイトが一番ウケてたのに、勝ちあがれなくて。あのときの悔しがり方は、忘れられない。
 その二郎さんが、会場に残り、モニターの前に陣取って、満面の笑みで僕らの漫才を見てくれている。「頑張れよ、伊達ちゃん!」っていう、心の声まで聞こえてきそうだった。
 何度見ても、このシーンは涙がこぼれそうになる。


 あと、僕の印象に残ったのは、サンドウィッチマンの2人が、あの『エンタの神様』の五味一男プロデューサーに感謝の言葉を述べていたことでした。
 あるあるネタの同じような芸人を大量生産し、「お笑い」を画一化させている、という負のイメージをあの番組に持っている人はけっこう多いと思うのですが(僕もそのひとりです)、サンドウィッチマンは、M−1で優勝する前『エンタの神様』に15回出演していて、そこで「与えられた時間に合わせてネタを調整して笑いをとるテクニック」を学ぶことができた、とのことです。
 M−1決勝での「街頭アンケート」のネタも、もともとは『エンタの神様』用に書かれたネタだったのだとか。
 考えようによっては、筋がいい芸人は素材をそのまま活かして持ちネタをやらせ、そうでない芸人は、割り切って局側でつくったキャラを演じさせて使い捨てる、というのは、ものすごく冷酷非情なのかもしれませんけど……

 M−1王者になったときに、「携帯電話を充電していたら、朝までお祝いメールを受信しっぱなしだった(数百通は来たそうです)」という伊達みきおと「M−1に優勝したのに、たぶん数通しかお祝いメールが来ていない」富澤たけし伊達みきお談)。外向的でステージ度胸がある伊達さんと、内向的で人づき合いは苦手だけど、素晴らしいネタを書く富澤さん。

 伊達さんが書かれているように、彼らは「どこの学校にでもいる、面白いやつ」でしかありませんでした。
 高校時代、同じラグビー部に入ったことが縁でコンビを組んだ、この「正反対の2人」がこうしてM−1王者になったのは、まさに「組み合わせの妙と、めげずに続けてきたこと」の成果だったのではないかと思います。

 お笑い芸人としての成功を目指す若者の多くに、「サンドウィッチマンになれるチャンス」はあるのです。
 でも、現実には、大部分の「高校で面白いとみんなに言われて、芸人を目指した連中」は、サンドウィッチマンにはなれない。

 この本には、たくさんの希望がつまっています。
 だからこそ、僕はこんなことも考えずにはいられません。
 「希望っていうのは、こんなにも多くの絶望を餌にして膨らんでいくものなのか……」

 「お笑い」「芸」の世界に興味があれば、ぜひ御一読を。
 本当に、こんなに面白いとは思わなかった!

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