琥珀色の戯言

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ブログ論壇の誕生 ☆☆☆


ブログ論壇の誕生 (文春新書)

ブログ論壇の誕生 (文春新書)

内容紹介■
旧弊な物言いは容赦なく「炎上」させ、アルファブロガーが先鋭的議論をリード。リアル社会を衝き動かす、新しいネット言論空間

社会で何が問題になっていて、どこが争点なのかを知りたいとき、何を見ますか? 新聞、テレビ? しかし、その紋切り型で、一方通行の論調に期待していない方も多いはず。けれどもネットに目を転じれば、「専門家ブロガー」をはじめとして、真摯で先鋭的、活発な議論が展開されています。
格差社会秋葉原連続殺傷事件、青少年ネット規制法、チベット問題への対応……参加自由でタブーの存在しないネット論壇は、いまや世論をリードし始めました。ITジャーナリズムの第1人者が、その大きなうねりをレポートします。(FH)

この本、タイトルは『ブログ論壇の誕生』となっているのですが、実際に読んでみると、ネットが先駆けとなって社会に影響力を及ぼしたさまざまな事例が紹介されている本、なんですよね。
もちろん、「ネット上の議論系サイト」たちの意見が断片的に取り上げられていますし(けっこう「はてなダイアリー」が多いような気がするのは、「はてな」に議論系ブログが多いからなのか、佐々木さんは「はてな」好きだからなのか?)、「ブログ文壇」が仕掛けているのは、バブルで甘い汁を吸えた世代と、それ以降の「搾取されてきただけの世代」の「世代間抗争」なのではないか、という発想は、まさに「慧眼」ではあると思います。こういうのは、学者たちにとっては「常識」なのかもしれませんが。

正直なところ、僕はこの本を読みながら、「ブログ文壇」というよりも「ブログ圧力団体」という言葉のほうがしっくりくるような印象を受けていたのです。
これは僕の考えが旧いから、なのだろうけど、僕は「匿名の人の意見」にどのくらいの価値があるのか、ずっと疑問なんですよ。僕もHNでブログを書いている人間なのですが、

匿名で、自分がリスクを負わない(あるいは、負いにくい)立場の人間の『正論』を、世間の人々は認めることができるのだろうか?

これはずっと僕が悩んでいた問題でした。
本当は、「誰が言っても、正しいことは正しい」というのが理想だし、ネットというのはそれが可能となる空間なのではないか、という期待感が僕にも以前はあったのです。
でも、実際はなかなかそううまくいはいかないものだな、と。
人って、「何を言っているか」以上に「誰が言っているか」に影響されやすいものです。
「名無しさん」の発言だと、「無責任な立場で偉そうなこと言って!」と感じるし、その一方で、その業界の権威の発言だと「無知な僕たちを言いくるめようとしているのではないか?」と身構えてしまいますし。「善意の非専門家」からの意見には「現場のことも少しは想像してみてくれ……」と思うことも多いですしね。

この本を読んでいると、現在のブログが持っている「力」というのは「炎上によって個人や企業に圧力をかける力」だけではないかという気がしてなりません。
個々のブロガーは、思わず頷いてしまったり、支持したくなるような素晴らしい意見をたくさん書いていますし、それは、この本のなかにもたくさん紹介されています。
しかしながら、現在の「ブログ論壇」の影響力では、そういう「真っ当な意見」というのは、ほとんど社会に影響を及ぼさないのです。
いやまあ確かに「羊水が腐る」というような「謝った(そして、他人を傷つける)価値観を正常化する作用」はあるわけですが。

 インターネットでは誰も第三者にはなれない。ネットの空間で第三者になれるのは、書かない人たちだけである。
 本当のモラルとは、みずからが傷つくことも恐れずに他者にきちんと向き合い、倫理を究極に研ぎ澄ますことなのだ。そしてインターネットというすべてが相対化され、そしてすべての人間を当事者として呑み込んでいくタブー無き言論空間の中で、多くの人たちはそのことを実感として認識し始めている。

 「とにかくみんなブログをやってみよう!」という時代は、終わってしまいました。
 雑誌に「ブログのはじめかた」が毎月のように載り、書店では「ブログガイド本」が山積みにされていたのは、もう、数年前の話です。
 結局のところ、日本でのブログ文化の盛衰というのは、世の中には「当事者になんかなりたくない、そんなのめんどくさい」と感じる人のほうが多数派で、「タブー無き言論空間」というのが、けっして居心地の良いものではない、ということを人々が周知するまでの逡巡だったのかもしれません。
 「新聞やマスコミのような『権威』を信じるな!」と叫ぶ「反権力のスタンスのブログ」が、その一方で、ブログ社会の中では「大手ブログ」として大きな影響力を行使するようになり、ブログの世界のなかでも、「新規参入」は厳しい時代になってきました。
 そもそも、時間という概念ができて以来、1日はずっと24時間なのだから、個人ブログは人々の限られた時間をテレビや本やゲームやドライブ、そして『mixi』や『ニコニコ動画』『有名人ブログ』と奪い合わなければならないのだし。

 ブログが、それなりに「社会的影響」を持てるようになったのは素晴らしいことなのだけれど、その代わりに「ブログである以上、そこはすべてが『タブー無き言論空間』なのだ」ということになるのだとすれば、それは、僕にとっては寂しいことです。
 便利になる、つながりやすくなる、メジャーになるっていうのは、メリットも大きいけれど、ある種の「悲劇性」を孕んでいるのです。
 

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