琥珀色の戯言

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老人と海 ☆☆☆☆


老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

出版社/著者からの内容紹介
海の男サンチャゴの死闘と友情―ヘミングウェイの不朽の名作

やせこけた老人。その名はサンチャゴ。しかし、海の男である彼には、不屈の闘志があった。 ひとり、小舟で沖に出て1週間、ついに遭遇した巨大な、かじきまぐろ。網を繰り続け、大魚と格闘する日が続く。殺すか殺されるか―。だが、いつしか彼の心には、大魚への熱い友情が生まれていた……。
アメリカの文豪、ヘミングウェイが、大自然の中で生き抜く男の、勇敢さとロマンを描き上げた名作。

「いまさらながら歴史的名作を読んでみよう」キャンペーン実施中。
中高生のころは筒井さんの作品や『銀河英雄伝説』、歴史小説ばかり読んでいて「名作」なんて古臭くてつまらない、と思っていた僕なのですが、この年になって、いまさらながら「ルーツをさかのぼる」ために「歴史的名作」をなるべく手にとるようにしています。
これまで、『ティファニーで朝食を』『異邦人』を読了。
今回は、ヘミングウェイの『老人と海』なのですが、これを読むのはたぶん3回目くらいです。
「有名な作品で、短い」ので、高校生くらいのときに「読書感想文用」に読んで、「うーん、これって結局、『老人が漁に出て、必死に大物をゲットしたけど鮫に襲われて元の黙阿弥』という話だよなあ、これはあまりに『人生訓めいたところ』がなくて、読書感想文向きじゃないな……」という結論に達したのが1回目、2回目は大学生のときだったと思うのですが、「やっぱり、内容的にはつまんない話だな」というような感想を抱いただけだと記憶しています。
今回、3回目にチャレンジしてみたのは、先日、日曜日の朝に作家の小川洋子さんがやっているラジオ番組でこの『老人と海』が紹介されていたのがきっかけで、そのなかで小川さんは、この小説の冒頭の部分、

 かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。

に感嘆しておられたのです。
「『かれは年をとっていた』って、普通、作家というのはここまでシンプルでストレートな表現はできないですよ」って。
でも、今回あらためて調べてみたら、この冒頭の部分、英語では、

He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days now without taking a fish.

となっています。
要するに、この「かれは年をとっていた」は、訳者の福田恒存さんの趣向だったようです。
もちろん、「英語の試験の解答のように、そのまま訳す」ことも可能だったと思うのですが、福田さんは「こういう文体が、ヘミングウェイの『老人と海』にはふさわしい」と判断されたようです。
「今朝、ママンが死んだ」(カミュの『異邦人』)もそうなのですけど、翻訳文学というのは、やっぱり訳者の力が大きいなあ、と考えさせられました。

ささやかながらブログでこうやって文章を書くようになって、僕ははじめて、この『老人と海』の凄さを思い知らされたような気がしたのです。

暗くなる間際、大きな島のような海藻のかたわらにさしかかった。まるで大海原が黄色い毛布の下にある何かと戯れているかのように、明るい海の中で、海藻がゆらめいている。老人の細い綱に1匹のシイラがかかった。シイラは、海面に跳び出すと、残照を浴びて黄金色に輝きながら、体を反らせ、空中で身をくねらせた。

以前読んだときには、「実際に起きたことを、ただ羅列しているだけじゃないか。こんな実況中継みたいな小説のどこが『名作』なんだ?」と思っていたのです。
でも、こうして自分が文章を書くようになると、「実際に起こっていることを、余計な先入観や感想を差しはさまずに、起こっているように書く」ことがいかに難しいか、というのがよくわかるんですよ。
福田恒存さんは、巻末の「『老人と海』の背景」で、こんなことを書いておられます。

 そこにはなんの感傷的な抒情もなく、ハードボイルド・リアリズムは手堅く守られており、眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまいと決心しているようです。心のなかに立ちいって、ひとの眼にふれぬものを引きだしてやろうとする主観的な同情はぜんぜんありません。なるほどサンチャゴの独白や心理描写はありますが、それらはつねに外面的行動に直結しております。心理描写といっても、ひとつの行動にはひとつの心理しかないと断定しうるような心理描写であり、ひとつの行動からいくとおりもの心理を憶測しうるというような、そういう複雑であいまいな、いいかえると弁解がましい心理描写ではありません。すべてが単純明快です。老人が実際におこなったこと、そしてその周囲にたしかに存在した事物、それ以外はなにも描かれておらず、またそれだけはひとつ残らず描かれているようなたしかさを感じます。

この最後の一文に書かれていることこそが、この『老人と海』の最大の魅力なのです。

老人が実際におこなったこと、そしてその周囲にたしかに存在した事物、それ以外はなにも描かれておらず、またそれだけはひとつ残らず描かれているようなたしかさを感じます。

小説を読んだり書いたりすればするほど、それが「たやすくできそうに見えて、実際は至難であること」であることに気付かざるをえません。

今回読み返してみて、あらすじは昔のままだったけど(当然ですが)、ヘミングウェイが描いているひとつひとつの文の「たしかさ」が、僕にもようやく少しわかるようになったと感じています。
これは、「ストーリーを追っていくのが楽しい小説」ではなくて、「ひとつひとつの文章を噛みしめて味わう小説」なんですね。
「弁解がましい心理描写」もまた、ひとつの「文章」のスタイルですし、僕はそちらのほうに親しみを感じるのも事実ではあるのですけど。

老人と海』は、「読みたい人」よりも「書きたい人」が読み返してみるべき作品なのではないかな、と思います。

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