琥珀色の戯言

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翻訳夜話 ☆☆☆☆


翻訳夜話 (文春新書)

翻訳夜話 (文春新書)

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東京大学の柴田教室と翻訳学校の生徒、さらに6人の中堅翻訳家という、異なる聴衆(参加者)に向けて行った3回のフォーラムの記録。「夜話」とあるように、話の内容はいずれも肩の凝らない翻訳談義だが、レベルの異なった参加者との質疑応答の形をとっているために、回答内容は自ずから微妙に変奏されており、結果として入門、初級、中上級向けの3部構成の翻訳指南書に仕上がっている。
柴田が書いたあとがきに、「翻訳の神様から見れば、我々はすべてアマチュアなのだ」とあるように、両者の回答は、体系化された技術・翻訳論議に向かうのではなく、翻訳を行う際の、動機や心構えを説明することに費やされている。例えば「大事なのは偏見のある愛情」(村上)とか、「ひたすら主人の声に耳を澄ます」(柴田)とか、あるいは「(翻訳することによって、原文の世界に)主体的に参加したい」(村上)といった具合だ。

途中に、「海彦山彦」と題したカーヴァーとオースターの同一の小品(巻末に原文がある)の競訳が掲載されており、プロ翻訳家たちとの最後のフォーラムでは、これを巡った質疑が展開する。文脈や文体のうねりといった、一般論では語り尽くせない領域で具体的な論議が進行するこの部分からは、競訳ゲームのおもしろさという以上に、テキストと翻訳家との間で生じる本質的なスリルが伝わってきて、非常におもしろい。劇的な魅力たっぷりの、本書の白眉と言っていいだろう。(玉川達哉)

出版社/著者からの内容紹介
なぜ翻訳を愛するのか、若い読者にむけて、村上・柴田両氏が思いの全てを語り明かす。村上訳オースター、柴田訳カーヴァーも併録

僕は村上春樹ファンのつもりだったのですが、この本は存在そのものを知りませんでした。
書店で見つけて新刊だと思い込んで購入したら、2000年の秋に刊行された本で驚いてしまいました。
こんな面白そうな本が、ずっと、ノーマークだったなんて。

 この本、村上春樹さんと柴田元幸さんが、大学の学生、翻訳学校の生徒、そしてすでに訳書を持っている中堅翻訳家たちからの「翻訳」に関する質問に答えたものが収録されているのですが、村上さんと柴田さんの仕事に興味がある(というかファンである)僕にとっても、とても興味深い内容でした。
村上春樹は、小説家であるにもかかわらず、なぜあんなに翻訳ばっかりやっているのか?」という長年の疑問への、それなりの回答も提示されているのではないかと思います。それにしても、本当にアメリカ文学が好きなんだなあ、村上さんも柴田さんも。

そして、僕がこれを読んでなるほどなあ、と思ったのは、お二人の「良い翻訳」についての考えかたでした。

柴田元幸僕も自分が英語にかかわっているから、英語の翻訳だと正しさとかが気になりますけども、たとえばフランス語とかドイツ語の翻訳を読むとき、正しさよりもおもしろさを圧倒的に求めますよね。

村上春樹そうですね。細かいところが多少違っていたって、おもしろきゃいいじゃないかと僕も思います。でも僕自身のことを言えば、僕は翻訳者としてはどちらかといえば逐語訳です。ルービンさん(村上さんの小説を英語に翻訳している人のひとり)のほうに近い。で、バーンバウム(こちらも村上作品の英訳者のひとり)の訳はおもしろいと思うけど、僕だったらああいうふうにはやらないと思います。一語一句テキストのままにやるのが僕のやり方です。そうしないと僕にとっては翻訳をする意味がないから。自分のものを作りたいのであれば、最初から自分のものを書きます。もちろんそのためにはしっかり敬意を抱けるテキストを選択することが不可欠なんですけど。

柴田:そのこともぜひおうかがいしたかったんですけども、こういう翻訳論の授業をやっていると、みんなの思い込みとしては、直訳というのはだめで、いかにうまく意訳するかが翻訳の極意だ、みたいな思いがあるようなんです。でも僕がみなさんのレポートに書くコメントというのは、わりと直訳を褒めて、意訳すると凝りすぎとか、原文からずれているというコメントをすることがどうも多いみたいなんですよ。

村上:正しい姿勢だと思います。

僕もこの「意訳のほうが高度であり、直訳っぽいのは翻訳者の技量が足りないからだ」という考えをずっと持っていたのですが、実際に翻訳をしている側からすると、「とにかくテキストに忠実であること」がいちばんのポイントになるようです(もちろん、すべての翻訳家がそう考えているとは限りませんが)。

そして、村上さんと柴田さんが、レイモンド・カーヴァーポール・オースターの同じ作品を「訳し比べ」しておられるのがとても興味深かったです。カーヴァーは村上さん、オースターは柴田さんの「十八番」の作家なのですが、読み比べてみると、僕にとってはカーヴァーは柴田さん、オースターは村上さんが訳したもののほうが、なんだか「しっくりくる」感じだったんですよね。
これは逆に、自分の「十八番」の作家では、「テキストに忠実に訳しているから」なのかな、などと考えさせられました。
他人の持ちネタのほうが、リラックスして訳せるのかもしれません。
僕には、比べてみて「どちらが英語の原文に近いか?」は、よくわからなかったですし。
翻訳者は「正しい翻訳」を追及していく一方で、読者は「面白い小説」を求めているのだよなあ。

あと、これは余談というか、村上さんが「自分の小説の映像化が苦手な理由」を仰っておられたので。

村上:ああ、朗読会というのは、あれはひとつの余興だから、そんなに意味ないですよね。ま、うまい人はいるけどね。だから、登場人物の科白なんかは口に出してしゃべっちゃうと、何かすごく変に響くときがありますね。目で見ると普通なんだけど。で、僕は自分の小説が映画になるのが好きじゃなくてだいたい全部断っているんですが、それは自分の書いた科白がそのまま音声になるのが耐えられないからです。

村上さんは、「自分の小説のなかの科白が音声になると変に響く」ことを認識しながら、ああいう科白をキチンと書いている、ということなんですね。そういうことに自覚的なのが、村上さんらしいなあ。

最近は「翻訳ブーム」みたいで、こういう「翻訳についての本」もけっこう見かけるようになりました。
ただ、この両者の場合、実際の技術というよりは「翻訳哲学」みたいな話が多いので、「翻訳者の現場」に興味がある人には、この2冊の本をオススメしておきます。

特盛! SF翻訳講座 翻訳のウラ技、業界のウラ話

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翻訳のココロ (ポプラ文庫)

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