琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

悼む人 ☆☆☆☆


悼む人

悼む人

■内容紹介■
全国を放浪し、死者を悼む旅を続ける坂築静人(さかつき・しずと)。彼を巡り、夫を殺した女、人間不信の雑誌記者、末期癌の母らのドラマが繰り広げられる

週刊誌記者・蒔野が北海道で出会った坂築静人(さかつき・しずと)は、新聞の死亡記事を見て、亡くなった人を亡くなった場所で「悼む」ために、全国を放浪している男だった。人を信じることが出来ない蒔野は、静人の化けの皮を剥(は)ごうと、彼の身辺を調べ始める。やがて静人は、夫殺しの罪を償い出所したばかりの奈義倖世と出会い、2人は行動を共にする。その頃、静人の母・巡子は末期癌を患い、静人の妹・美汐は別れた恋人の子供を身籠っていた――。

第140回直木賞受賞作。
なんというか、ものすごく居心地の悪い小説だったなあ、というのが僕の読み終えての印象でした。
周囲の死に傷つき、強迫観念に駆られるように「悼み」の旅を続ける青年と、癌におかされながら、青年が戻ってくるのを待つ母親と別れた恋人の子を身ごもってしまった青年の妹、「悼む人」から目を離すことができなくなってしまった夫殺しの女……
この「舞台設定」の完成度の高さには、正直辟易してしまいました。
もう、「癌で人が死んでいく小説」には、食傷気味ではありますし。
そもそも、この「悼む人」こと坂築静人が、僕には理解できません。

左膝を地面につきました。次に、右手を頭上に挙げ、空中に漂う何かを捕らえるようにして、自分の胸に運びます。左手を地面すれすれに下ろし、大地の息吹をすくうかのようにして胸へ運び、右手の上に重ねる。

この「悼む人ポーズ」って、道端で目撃していれば、絶対に「アヤシイ新興宗教の儀式」にしか見えないと思います。
これを人が亡くなった現場で若い男が大真面目にやっているというのは、「奇怪」な光景です。
むしろ、「そういう信念を持った男」の話だったらわかりやすいのですが、天童さんは、「宗教じゃなくて、彼自身が『やらざるをえないという強迫観念的なもの』に駆られてやっているものなのだ」というスタンスで、この物語を書かれています。でもさ、それこそ「宗教的」なんじゃないの?
「新興宗教の開祖って、こんな感じなのかもな」とか思いながら僕は読んでいたのですが、最後は『ゴースト〜ニューヨークの幻』に『ノルウェイの森』で万事解決!!ですよ……なんて安直な話!というかお前、「欲求不満だった」だけなんじゃないか?
それならむしろ、「悼む人」が行くところまで行っちゃって、世界中が「傷む人」だらけになるくらい突き抜けちゃったほうが面白かったのに。
まあ、天童さんも、作中で「インターネットでの『悼む人』バッシング」を描いて、少しはバランスをとろうとしてはいるみたいなんですけど。
ただ、「じゃあ、読んで時間のムダだったと思う?」と問われると、「そうでもない」のですよね。
僕は仕事柄、人より多くの「死の瞬間」に立ち会っているのですが、正直、「死」というのはドラマチックであるのと同時に、画一的なものでもあるのです。そして、よっぽど故人に近い人以外は、「どんな死に方をしたか」にしか興味を持ちません。
「悼む人」は、死者の周囲の人に、こんなふうに問いかけます。

亡くなった人は誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されましたか?

悲惨な殺人事件の被害者についても、その事件の状況を聞いて憤るのではなく、「故人が生きていた時間のすばらしかったこと」を記憶しておくのが、「悼む人」。
こんなヤツいねえ、とは思うし、あまりに重苦しい話ではあるのだけれど、自分自身の、そして社会やメディアの「死者への向き合いかた」について、考えさせられる話ではあるんですよね。

この被害者の女の子は、「変態野郎に殺された、かわいそうな子」として記憶されることを望んでいるのだろうか?

以前読んだ本に、

人間は2回死ぬ、1回目は心臓が止まったとき、2回目はその人のことを記憶している人が誰もいなくなったとき。

という言葉がありました。
人が子供をつくるのは、自分の遺伝子を次代に受け継ぐためだ、という話があるのですが、僕は、遺伝子だけではなく、「自分の記憶を断片的にでも未来に受け継いでもらいたい」という願いもあるのではないかと思うのです。
村上春樹さんに「子供がいない」ことをあげつらう人たちがいるのですが、僕は、村上さんは「作品という子供を世の中に残そうとしている」のであって、それはやはり「父性」だと感じるようになってきました。

はっきり言って、この小説の内容そのものには、「新しさ」も「面白さ」もありません。
でも、それが好感であれ不快感であれ、「心に引っかかる」作品ではあると思います。
いや、僕はほんと、「天童さん、これはもう『宗教』なんじゃないですか?」と感じますが、Amazonのレビューを読んでみると、それなりに受け入れられているのですよね。
実は、潜在的に「宗教」を求めている人というのは、けっこう多いのかもしれません。

あと、僕はこれを読みながら、自分が研修医だったとき、病気の母親が日に日に衰弱していくなか、自分の職場で「ちょっとノドが痛いんです」というような「コンビニ受診系」の患者さんを診ていて感じたやるせなさを思い出してしまったんですよね。
ああ、僕は何をやっているんだろうな、って、あのときはずっと悲しかった。
でも、仕事を休んで看病するということも、なんだかルール違反であるような、重すぎるような、そんな感じで……

直木賞」受賞が妥当かと問われたら、僕は、「でも、直木賞って、そもそもそういう賞ですからね、文藝春秋の本だし」と答えるでしょう。
しかしながら、僕にとって、「心にすごく引っかかる本」ではありました。
ただし、「全然面白くない本」です。いや、ネタとして読もうと思えば、いくらでもそういうふうにも読めるのですけど。

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