あらすじ: 1959年にキューバ革命に成功した後、国際的な名声を得たチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)。しかし、チェ・ゲバラは変装した姿で家族と会い、最後の食事を済ませると、急に姿を消してしまう。そしてラテン・アメリカの革命を目指し、ボリビアを訪れるが……。(シネマトゥデイ)
木曜日のレイトショーで鑑賞。観客はまたも僕ひとり。週末からは公開3週目にして1日2回だけの上映になってしまうみたいですし、地方では興行的に厳しいんだろうなあ、と思われます。
都会ではもう少しお客さん入っているんだろうか……
この映画、冒頭でいきなりフィデル・カストロが有名な「別れの手紙」を読み上げます。
僕はこの手紙のシーンは、もうちょっと盛り上がった場面で出てくるのだろうと予想していたので、驚いてしまいました。
そして、手紙のあとは、ただひたすらボリビアの山中で苦闘するチェ・ゲバラたちの姿が描かれるのです。
僕がこの後編『別れの手紙』で、もっとも楽しみにしていたのは、「なぜ、チェ・ゲバラは革命後のキューバを離れ、あえてボリビアに身を投じたのか?」という疑問への答えが、この映画のなかで描かれることでした。
でも、ソダーバーグ監督は、「2つのゲリラ戦の間に起こったこと」を完全スルー。
Wikipediaでは、キューバ革命後のゲバラについて、こんなふうに書かれています。
1960年8月6日、カストロがアメリカ資本から成る石油関連産業を接収、国有化する。これに対してアメリカはキューバへの経済封鎖を行った。翌1961年10月、工業相に就任。経済封鎖による資源不足、さらに社会福祉事業の無料化により経済が徐々に逼迫していく中、「生産効率の低下は人々の献身的労働によって補える」とし、自らも休日はサトウキビの刈り入れや工場でのライン作業の労働、道路を作るための土運び、建物のレンガ詰み等、積極的にボランティアに参加した。しかしこうした行動も経済を好転させるには至らず、理想を抱くゲバラは徐々にキューバ首脳陣の中で孤立を深めていった。
1965年1月、各国との通商交渉のために外遊を行う。2月24日、独立の過程によりキューバの盟友だったアルジェリアのアルジェで行われた「アジア・アフリカ経済セミナー」において演説を行い、当時、キューバの最も主要な貿易相手国だったソビエト連邦の外交姿勢を「帝国主義的搾取の共犯者」と非難し、論争を巻き起こした。3月に帰国後、キューバ政府はソビエトから「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する」旨の通告を受ける。これを受けてカストロにキューバの政治の一線から退く事を伝え、カストロ、父母、子供達の三者に宛てた手紙を残してキューバを離れた。この事はしばらくカストロの側近以外には知らされず、半年後の10月3日のキューバ共産党大会においてカストロが手紙を読み上げたことで、初めて世人に知られる事となった。
この映画では、「キューバ革命」のあとの政治家ゲバラの姿はまったく描かれることがありませんでした。
でも、この記述を読んでいると、ゲバラは、キューバ革命後すぐに「革命の輸出」を志向していたわけではないように思われるのです。
そして、彼にとって「革命」そのものは成功でも、その後はなかなか目標通りには進まないという状況下で、なぜ、また「革命」をボリビアで起こそうとしたのか?キューバでの「革命」の成果に、自分でも満足できていないはずなのに……
いや、この映画を観ていたら、なんとなくその「理由」の一端はわかったような気がしたんですけどね。
前編である『28歳の革命』に比べると、この映画は、終始悲劇的なトーンで覆われています。
士気の上がらない兵士たち、ゲバラたちの姿勢に魅力を感じてはいても、そこにのめりこむまでには至らない農民たち、キューバの二の舞にならないようにと、積極的に介入してくるアメリカ、そして、「革命の理想」を掲げれば掲げるほど、周囲から煙たがられてしまう、チェ・ゲバラ。
僕はこの映画を観ながら、「もし、チェ・ゲバラが『ゲバラここにあり!』とボリビアの革命を率いていることをアナウンスしまくっていたら、もっと戦況は変わっていたのではないか?」と考えていたのです。ゲバラは終始、「絶対に自分がここにいることは漏らすな」と言っていたようですけど。
それはたぶん、前作で「絶対に必要な人間なんてどこにもいない」と言っていた彼のポリシーなのだろうけど、そんなこと言っていられる状況じゃないんじゃない?と僕は感じてもいたんですよね。もしかしたら、ソ連とゲバラとの「微妙な関係」のためだったのかもしれませんが。
ボリビア軍、そしてアメリカの圧倒的な物量の前に追い詰められていくゲバラたち。
僕は、この物語の「終わり」を知っています。
大部分の観客も、「突然ヨーダが援軍を引き連れて登場する」わけがないことは承知しています。
どう考えても勝てない戦いなのに、最後まで全力を尽くして生き延びようとするゲバラ。
(以下はネタバレなので隠します。なんというか、隠すほどの内容じゃないのですが、できればこの映画を観てから読んでもらえると嬉しいです)
結局、ゲバラはなんとか退却しようとしているところを撃たれ、虜囚となってしまいます。
僕はこの場面を観ながら、「ゲバラ、捕まって辱めを受けたり、プロパガンダに使われるくらいなら、自決しないのか?」
なんてことを考えていたのです。
ところが、ゲバラは捕まったあともそんなに暴れたり泣いたりするわけでもなく、見張りの兵士が勧めるタバコをもらい、「ありがとう」なんて言ったり、子供の話をしたり、「縄を解いてくれ」なんて語りかけたり。仮にあの状況で縄を解かれても、逃げ延びられる可能性なんてほとんどゼロだろうに。
そのあまりに「普通の人間」としての姿が、僕にはすごく印象的でした(逆に、ああいう状況で自然にふるまうというのは、すごく難しいのでしょうけど)。
もしかしたら、チェ・ゲバラは、誰かに自分を止めてほしかったのかもしれない。
僕がこの映画のなかで、最も心に残ったゲバラの言葉は、ボリビアでの「革命の失敗」を嘲笑う言葉を浴びせられたときのものでした。
でも、われわれが失敗したことによって、人々が目覚めるかもしれない。
チェ・ゲバラという人は、ものすごく熱く、主観的に「革命」というものを愛したロマンチストであったのと同時に、ものすごく冷徹に、俯瞰的に「世界の、歴史のなかのチェ・ゲバラというひとりの人間の存在意義」というものを見ていた人なのだろうな、と思います。
それにしても、この映画って、もっとドラマチックに作ろうとすれば、いくらでもそうできたはずなのに、よくここまで「そぎ落とした」作品にしていますよね。
監督も「可能なかぎり、『証言や資料に基づく事実だけ』を描いたつもり」だと語っていましたし。
ゲバラの死を悼むような、無音のエンディングとスタッフロールがとても印象的でした。