琥珀色の戯言

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出星前夜 ☆☆☆☆


出星前夜

出星前夜

寛永14年から15年にかけ島原・天草に勃発(ぼっぱつ)した農民一揆とキリシタン蜂起を独自の視点で描く壮大な歴史ドラマ。寛永14年陰暦5月7日の早朝、島原半島は桜馬場の北、有家川の東岸キリシタン墓地跡に「子ども組」の組頭、19歳の偉丈夫寿安(ジュアン)を旗頭に、武装した童50余人が集結する。領主松倉家が入封以来20年に及ぶ苛政(かせい)によって領民は疲弊し、食う物も口にできない童らの間で、発熱と下痢を伴う「傷寒」が蔓延(まんえん)していたことが背景にある。

 この蜂起も勝ちに乗じるとやがて予期しない方向に暴走し始める。己の指揮ではもはや及ばないと悟った「ジュアン」はひとり組を離脱し、自死の覚悟で雲仙岳を目指す。道々、雄大な自然と心の内側で交わす対話が読む者の胸に迫る。

 この騒擾(そうじょう)は同じ年の秋には対岸の天草半島に飛び火する……

「ひとり本屋大賞」7冊目。今年はかなり順調に読めてはいますが、この『出星前夜』もかなり「重い」本でした。
数々の歴史小説のなかで、「本屋大賞」に唯一ノミネートされた作品だけに、ものすごく期待していたのですけど、「面白いし、良い小説だとは思うけれど、この長さのわりには、伝わってくるものがあまりなかったなあ」というのが僕の率直な感想です。
いわゆる「島原の乱」は、教科書では「天草四郎を中心としたキリシタンたちの放棄」であり、「宗教的な戦い」だというイメージを僕は持っていたのですが、この本を読んでみると、彼らが立ちあがった真の理由は、支配者である松倉家の苛政にあったことがわかります。そして、蜂起勢があれだけ幕府軍を苦しめられたのは、彼らの信仰心だけではなく、百戦錬磨の指導者たちを得たことと、朝鮮出兵からまだ数十年しか経っていない時代では、蜂起軍の農民たちにも「戦慣れ」した者たちが多かったという理由があったことも。
そして、この乱を「出世のため」「幕府に対する忠誠心を示す好機」だとしか考えていなかった諸大名の姿勢もつまびらかに描かれています。

とても興味深い作品ではあるのですが、僕がどうものめりこめなかったのは、この作品の主役のひとりである寿安の行動が「仲間を見捨てた」ようにしか感じられなかったことと、この長さのわりには、蜂起勢の人々、とくに原城に立てこもって以降の彼らの描き方がそっけなく感じられたことに起因しています。
いや、「あの時代の真実」なんて、今の時代では、誰にもわかりはしないのでしょうけど。

この小説を読みながら、僕はずっと考えていました。
もし自分の国が戦争をすることになったら、戦場に行くのと、国内に残って医療を続けるのと、どちらが「正しい」のだろうか?
世界のどこかで泥沼の戦争が起こっているとき、日常を投げだして反対運動をするのと、いままでと同じ生活をして、手の届く場所にいる人たちのささやかな幸福を求めるのと、どちらが「人間らしい」のだろうか?
以前、同時多発テロの際にアメリカにいた糸井重里さんが、あのテロの直後、こんな文章を「ほぼ日刊イトイ新聞」に書いておられました。

魚屋は、いい魚を仕入れて売り、
タクシーは事故のないようにお客を送り届ける。
自分のこどもがぜんそくで苦しんでいたら、
すぐに病院に連れていこう。
1年生は、今日憶える漢字を憶え、
恋人は、恋をしなさい。
今日も隣人のために誠実に魚を売ろう。
今日も、愛する人にキスをしよう。

僕は当時、この文章を読んでとてもホッとしたんですよね。
混乱のなかだからこそ、人々は、「平凡な自分の生活に誠実であること」を大事にするべきなのではないか、とも思うのです。
それを「こんな時代の日本に生まれたことに胡坐をかいた傲慢」だと揶揄する人がいるとしても。

……ちょっと脱線してしまいましたが、僕は「政治的に生き、政治的に死ぬ」ことだけが正しい人間の生き方だとは考えていません。
むしろ、そういう「野心」が無くなれば、もっと人は幸せになれるのかもしれない。

この『出星前夜』の寿安の生きかたは、ちょっと「卑怯」だと思う。
でも僕は、寿安の生きかたを否定できない。
そして、生活に追い詰められて立ち上がり、いつのまにか「暴徒」になってしまった人たちも責められない。

ほんと、「読みにくい、感情移入しにくい作品」なんですよこれ。だからこそ、「深い」のでしょうけど。

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