琥珀色の戯言

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小説の読み方〜感想が語れる着眼点〜 ☆☆☆


小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)

小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)

内容紹介
好評『本の読み方 スロー・リーディングの実践』の続編。
本書では、現代の純文学、ミステリーさらにはケータイ小説も含めた計九作品を題材に、
小説をより深く楽しく味わうコツをわかりやすく解説する。
ポール・オースター『幽霊たち』
綿矢りさ蹴りたい背中
ミルチャ・エリアーデ『若さなき若さ』
高橋源一郎日本文学盛衰史――本当はもっと怖い「半日」』
古井由吉『辻――「半日の花」』
伊坂幸太郎ゴールデンスランバー
瀬戸内寂聴『髪――「幻」』
イアン・マキューアンアムステルダム
美嘉『恋空』――
それぞれの読解で提示される作家ならではの着眼点は、読者がブログで感想を書いたり、
意見を交換するうえで役に立つものばかり。作家をめざしてる人はもちろん、
一般の読書ファンにとっても示唆に富んだ新しい読書論。

内容(「BOOK」データベースより)
好評『本の読み方スロー・リーディングの実践』の続編。P・オースター『幽霊たち』、綿矢りさ蹴りたい背中』、伊坂幸太郎ゴールデンスランバー』、美嘉『恋空』…本書では、現代の純文学、ミステリーさらにはケータイ小説も含めた計九作品を題材に、小説をより深く楽しく味わうコツをわかりやすく解説する。それぞれの読解で提示される着眼点は、読者がブログで感想を書いたり、意見を交換するうえで役に立つものばかり。作家をめざしてる人はもちろん、一般の読書ファンにとっても示唆に富んだ新しい読書論。

平野啓一郎さんが1年前に書かれた『本の読み方 スロー・リーディングの実践』がとても興味深く、「(本好きとして)目から鱗が落ちるような本」だったので、その続編であるこの本にもかなり期待していました。
早速読んでみたのですが、率直な感想としては、「悪くない、というか、『プロの読み方』を学べる本」だということはわかるのだけれども、ちょっとこれは読者を選ぶし、前著に比べると「密度」が薄い本のように思われます。
「感想」が語れる着眼点、とタイトルにはありますが、むしろ、作品の「分析」とか「研究」をしたい人、あるいは、自分で小説を書きたい人向けの本のようです。

「話の展開が早い小説、遅い小説」という項での『カラマーゾフの兄弟』についての分析。

 荒っぽい分類の仕方だが、この登場人物の主語に続く述語は、大別すると、二つに分けられる。ひとつは、登場人物の人物像を形作ってゆくもの。もうひとつは、登場人物の行動を意味するものだ。
 小説の登場人物たちが、どんな人間なのかは、最初は当然分からない。社会的な属性や家族内での立場、年齢、性別、性格。良い人なのか、嫌なヤツなのか。かわいいのか、憎たらしいのか。先ほど例に挙げた、アリョーシャについての一文を思い出してもらいたい。
「アリョーシャは、ほかの者たちと逆の道を選択しただけで、すぐにでも偉業を成しとげたいという熱い思いに変わりはなかった。」
 ここに見られる述語は、修道院に入ったアリョーシャという登場人物がどんな人間かを説明したものである。一方、ドミートリーについての一文を参照されたい。
「ミーチャはすぐに窓に駆けより、ふたたび部屋のなかを眺めだした。」
 これは、主語となっている登場人物の行動を表しており、具体的には、後に容疑をかけられる、父親が殺された晩に、その家に忍び込んでいる場面だ。ミーチャ(ドミートリー)が、どんなに人間かを説明する述語ではない。
 ここで、プロットという<大きな矢印>と、この一文ごとの<主語>+<述語>との間に見られる<小さな矢印>との関係を見てみよう。
 アリョーシャについての一文は、プロットを前進させるものではなく、その述語は、格助詞を挟んで、主語に向かって<↑>向きに作用する(主語充填型述語)。
 他方、ドミートリーの一文は、プロットの<大きな矢印>と合致しており、述語の記述は<↓>向きに機能し、プロットはこれによって一歩前進する(プロット前進型述語)。
 一般に、「話の展開が遅い」とされる小説には、文章に主語充填型述語が多く、逆に「展開が早い」とされる小説には、「誰某と会った、どこどこに行った、……」と行動を意味するプロット前進型述語が多い。
「浦島太郎は、孤独を好んだ」という一文は、浦島太郎という人物を説明するが、プロットは前進させない。他方、「浦島太郎は海辺を歩いていた」という一文は、具体的な行動によってプロットを前進させるが、浦島太郎がどんな人物かは教えてくれない。
 もちろん、この二つの区分は、いわばモデルである。実際は、小説のテーマにも大いに左右される問題で、明確にどちらがどうと言えない場合も多い。主語充填型述語が同時にプロットを前進させることもあれば、プロット前進型述語こそが、主語となっている人物の性格をこれ以上なく的確に表しているものもある。

 この文章などは、「ああ、プロの作家というのは、ここまで機能的に小説を分析しながら読むものなのか……」と圧倒されてしまいます。いや、言われてみればその通り、という話ではあるのですが、「なぜこんなにダラダラと展開が遅い話になってしまうのか」「なぜ登場人物が薄っぺらく感じられてしまうのか」という疑問に対して、平野さんは、「もっと本を読んで勉強しなさい」とか「魂がこもっていない」というような「精神論的なアドバイス」に逃げません。
 こういう「主語充填型述語」と「プロット前進型述語」の全体の文章におけるバランスが悪いのではないか?というアプローチのほうが、より「合理的」ではありますよね確かに。
 僕は「自分でも書きたい人間」なので、こういうのを読むと、すごく得した気分になります。
 ただ、読み手として「本を楽しく読みたい」という人にとっては、かなりとっつきにくいというか、「ブログに『感想』を書くのに、ここまでややこしい読み方をしなくてもいいじゃないか」と思わせてしまう可能性は高そうです。

 この本には、実際に9つの小説に対する平野さんの「読解」が紹介されています。
 それぞれ興味深いものではあるのですが、読者が興味を持ちそうな『恋空』とか『ゴールデンスランバー』に対してはちょっと平野さんの熱意が感じにくく、おそらくほとんどの人が読んだこともないような、ミルチャ・エリアーデの『若さなき若さ』やイアン・マキューアンの『アムステルダム』への「読解」に気合が入りまくっているのは、まあしょうがないですよね。
 個人的には、全体的に作品のチョイスが渋すぎるかな、とは思いました。本当は、もっと渋くしたかったのではないかな、と想像しつつも。

前著:『本の読み方 スロー・リーディングの実践』の感想はこちら。
(まずこちらから読むことを僕はオススメします)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

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