僕はブロガーとして今日はてなに来ました。
ブロガーとして、というのは、プロの嘘つきとして、ということでもあるのですけど。
もちろん、ブロガーだけが嘘つきなのではありません。
みなさんも御存知のように、コメンテーターもブックマーカーもまた嘘をつきます。
でも今日は、嘘をつくつもりはありません。できるかぎり正直であろうと思います。1年のうちに嘘をつかない(ブロガーとしての立場から離れる)のは数日しかありませんが、今日はその日のうちの一日なんです。
それでは、本当の話をしましょうか。
かなり多くの人々が、僕に、ブログで子どもの話やブックマークについて書かないほうがいいよ、とアドバイスしてくれました。
僕がここで子どもに絵本を読んであげた話をしただけで、虐待で児童相談所に訴えると警告してきた人たちさえいました。
何回自分に問いかけたことでしょうか。
こんな時にブログを書く事が適切なのか?
幼児教育業者の手先だという印象を与えるのではないか?
こんな印象を与えることを、もちろん僕は望んでいません。
もちろん、自分のブログが炎上するのも勘弁してほしいのですけれども。
よく考えに考えた末、最終的に、僕は、ここで書き続けることを決心しました。
その理由のひとつは、あまりにも多くの人々が私に、そうしないように勧めたことでした。
おそらく、多くの他のブロガーのように、僕は、「あまのじゃく」なんです。
「それを書かないでください」「それをしないでください」と言われると、僕は、「それを書きたく」なり、「それをしたく」なる。
僕はそういう人間なんです。そして、「ブロガーってそういうもの」なのかもしれません。
ブロガーというのは、人に嫌われるのがイヤなくせに、「普通じゃない人間でありたい」人種なのです。
自分の目で見たものか、自分の手によって触れたものでも、自分の視覚や触覚を疑ってしまうほど、自信が持てない人間なのに。
そういうわけで、僕はここにいます。
僕は、閉鎖よりもここにいることを選んだのです。
見ないよりも、自分の目で見て、確かめることを選んだのです。
沈黙することよりもあなたたちに語りかけることを選んだのです。
政治的なメッセージを伝えるために、僕はここに来たんじゃないのですよ。
自分がいま「わからない」「悩んでいる」「迷っている」ことを、そのまま伝えるために、僕はここで書いています。
「正解」を教えたいわけじゃなくて、「正解」を知りたいから書いているんです。
「否定」されたいわけじゃなくて、教えてもらいたいから問うているんです。
しかしながら、こうした判断をどのように他の人に示すかを決めるのはそれぞれのブロガーの領分です。僕自身は、その判断を実際に起こったエピソードの形で示すのを好みます。
ひとつのとても個人的なメッセージをお届けするのをどうかお許し下さい。
これは僕がブログを書く時にいつも心に留めている事です。努力目標としてこれみよがしに壁に貼るようなことはしたことがありませんが、これは、僕の心に深く刻み込まれていることなんです。
僕は、弱さから抜け出そうともがいている人、他人から理解されないことに悩んでいる人、自分は少数派なんじゃないかと怖れている人たちの側にいて、それはあなただけじゃないんだよ、と伝えたい。
そして、「わからない」ことは「わからない」と書き、「悩んでいる」ことは「悩んでいる」と素直に書きたい。
ネット上のひとつひとつのブログなんて、本当に無力なものです。
「はてな」の偉い人の気に障ったり、あるいは、ちょっとしたコンピューターのトラブルに見舞われたりすれば、すぐに消える、あるいは消される存在です。
それでも、僕はここが好きだし、こうしてキーボードを叩いているときが幸せです。
ブログって、ちょっと人が来るようになると、けっこう厭な目に遭うことが多いのです。
でもね、たぶん、読んでいる人の大部分は、仕事や家事や勉強の合間に束の間の気分転換をして、また日常に戻っていく「沈黙の読者」なんですよ。
そうやって、ささやかな好感を持ちながらずっと読んでいてくれる人の数は、書いている側が想像しているよりも、ずっとずっと多いのだと思います。
昨日、子供が生まれた。(琥珀色の戯言)
↑のエントリに、本当にたくさんのコメントをいただいてようやく気付いたのだけれども、ブログには、こんな「善意」もあるのだ。
こういう感動は、ブログをやっていなければ、味わうことはなかったはず。
僕は最近、ブログやめようかな、と思ったときに、このエントリとコメントを読み返しています。