琥珀色の戯言

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オタク成金 ☆☆☆☆


アフタヌーン新書 005 オタク成金

アフタヌーン新書 005 オタク成金

お金が好きだ! お金に惑わされるのはもっと好きだ!
ライトノベルを生み出し、メディアミックスを仕掛け、累計二〇〇〇万部を軽々と突破。まさに「成金」となった男・あかほりさとる。その栄光と転落の軌跡!
そしてここに初めて明かされる、「売れるためのノウハウ」「売れ続けるための秘術秘技」「本当は教えたくない執筆テクニック」のすべて。
生き残りたければ、これを読めっ!!

冒頭のノンフィクションライター・天野由貴さんとの会話(僕の読みでは、天野由貴さんというのは架空の人物じゃないかと思うのですが。こういう「架空の女性を聞き手として語る方式」こそが、「あかほりさとる的」なんじゃないかと)。

「わはははは! こういうオタクもいるんだなー! 俺、オタクっぽく見えないだろ? そうなんだよ! よく”あかほりはエセオタクだから”とか言われるんだけど、俺が大学時代に命かけてたのは『うる星やつら』のラムちゃんと『クリーミーマミ』だから!
 これを録るために金借りてビデオデッキも買ってさぁ、しかも1本1500円の120分テープを標準で使いきるんだから!
 パソコンなんかは88(NECが当時販売していたパソコンのシリーズ名)が買えなくて、一番初めに買ったのはFM-New7(富士通)だったけど、でも俺は高知マイコンショップの『ロリータ』『ロリータ2』というエロゲーの走りをちゃんと解いた男だぜ!?
 その後、大学の生協でローン組んでパソコンを88に買いなおして、ゲーム『ザ・ブラックオニキス』も解いてさ。その続編が『ザ・ファイヤークリスタル』で、ここまでは解いたんだよ!

 さらにその後に<コンプティーク>(角川書店発行のゲーム雑誌)で『ザ・ムーンストーン』ってのが出るって言われたのに、結局出なくてさぁ! いまだにたっちゃん(<コンプティーク>の元編集長で、現角川メディアグループホールディング社長のS氏)に文句言ってんだけど……」
 ……初めのほうは確かに日本語だったと思うのだが。終わりのほうは私にとって、なんか異国の言葉と化してました。理解できません。

……すみません、僕は、このあかほりさんの発言内容、完璧に理解できたんですけど……
逆に、この引用部が全く理解不能の人にとっては、「昔ものすごく売れた人の自慢話」で終わってしまう新書なのかもしれません。

この本のなかで、あかほりさんは「自分は一番の才能を持っていなかった」ことを再三語っておられます。修業時代に同期の凄さをみせつけられたあかほりさんは、自分の生きる道をメディアミックスなどの「人がやらなかったことをやること」そして、「サービス業としての物書きに徹すること」に見出していくのです。

「俺、これ言って、よく若手に嫌な顔されるんだけど、物書きはサービス業。エンタメってサービス業なんだよな。そのためには設定を変えなきゃいけないなんてことは多々あるわけ。好きなことが書けるからこの業界に来たって言うヤツがよくいるけど、実際は若いうちは書きたいものなんて書けないことのほうが多いんだよ。
 例えば漫画家だって、野球なんか全然興味ないのに、編集さんに”野球モノ描け”って言われることはよくあることなんだから。あ、エンタメっていうのは、アニメやライトノベル、漫画なんかのことで、純文学とか、和歌や俳句なんかは含まないよ。
 で、そのエンタメはお金出してくれる人のニーズに応えなきゃいけない。サービスしなきゃいけねぇんだよ。そのためには設定なんて、いくらでも変えなきゃいけない。自分が書きたいものがあるなら、売れて有名になってから書けばいいんであってさ。だから俺も、当時はタツノコで頑張ろうって思ってたんだな」

読みながら、僕は、西原理恵子さんの『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を思い出さずにはいられませんでした。
お二人に直接の交流はなかったかもしれませんが(もしかしたら、あかほりさんが通っていたキャバクラで西原さんが働いていた、なんて可能性はありそう)、「才能がないことを自覚しながら、それでも生き残ろうと努力して売れっ子になった2人の作家」は、似たような思考をたどり、「他の人がやりたがらないことをすすんでやる」「来た仕事をえり好みしない」ことによって、頭角をあらわしていったのです。

あと、「ライトノベルを生んだ発想」の部分は、すごく興味深かったです。
あかほりさんにとっての「ライトノベル」は、「擬音を使って、アニメや漫画を小説化すること」がスタートでした。

「具体的に言うと、ジャンプ物なら、車田正美先生の『リングにかけろ』や『聖闘士星矢』だな。先生の漫画だと、まず1ページ目で、主人公が”……何? ○○拳――ッ!!”って必殺技を繰り出すと、次の見開きページは文字だけが”ドュババババンッ!”となっていて。その次のページでは、すでに対戦相手がふっ飛んでる絵なんだよ。それをそのまま小説にするとどうなるかっていうとだな……」


「……何? ○○拳――――――ッ!」


 ドゥババババババババババババババババンッ!


 グワ―――――――ッ!


「これでいいんだよ!
 これが普通の小説だと、『”○○拳―――ッ!”主人公が拳をつき出した。その拳がゆっくりとスローモーションのように飛んでくるのが見える。しかし、相手はそれをかわしつつ新たな拳を繰り出す。主人公の顎にヒット。するどい痛みが主人公の顔面を貫いていく。倒れこむ主人公』……みたいな。これだと何文字も何行も書かなきゃいけないし、読むほうも文字いっぱいで読みたくないだろ?

なるほど!
これほど明快な「ライトノベルの書き方」というのは、いままで読んだことがありませんでした。
「こんなんでいいのかよ!」と思ってしまう一方で、「マンガ世代」にとっては、こちらのほうがダイナミックに「伝わる」のかもしれないな、という気もします。
しかしながら、現在はこういう「ライトノベル」はほとんどみられず、「ライトノベルの『本格(ミステリ)化』『SF化』」について、あかほりさんは危惧しておられるのです。
ライトノベル」の地位が向上するにつれて、作家たちも、「より文学的な表現」を志向するようになり、かえって「ライトノベルの特長である『読みやすさ』が失われている」のです。
その一方で、いわゆる「文学作品」と「ライトノベル」との垣根はどんどん下がってきているし(というか、掲載される媒体や発行されるレーベルの違いだけなんじゃないか、と感じることも多い)、あかほりさんは「文学だったら売れなくてもしょうがない」というようなことを仰っておられますが、実際は「文学」の領域においても、「どんなに『芸術』を目指していても、ある程度は売れないと評価の対象にもならない」のです。

あと、あかほりさんは「作品でいちばん大事なのは、アイデア(トリックなどの「仕掛け」)ではなくてキャラクターだ」と断言しておられます。
「ひとつのアイデアで、一生食えるわけないだろ!」と。
しかしながら、これだけ「作家になりたい人」が増えている現状では、「一人の作家の一生に一度のアイデア」だけを追っていっても、「読む本がなくなる」なんてことはなさそうですし、「キャラクター至上主義の限界」が見えてきているようにも僕には思われます。

この本、「ライトノベル」に限らず、「人気ブログを作りたい人」「小説を書きたい人」にもおすすめです。
この新書で触れられているさまざまな「手法」は、これを読んでライトノベルそのものを書くよりも、まだ「未開の」他のジャンルに応用したほうが、より有効なんじゃないかな。

最後に、この話を御紹介してこのエントリを終わります。

「ちなみにね、デビュー前のこの時点で書いた作品を人に見せて、人の意見を聞くっていうのはよくないんだよ。よく推奨される方法だけど。
 初めに書いたものって、実はそこに、”あかほりさとるのエッセンス”があるわけだ。その最初のエッセンスが確立されていない段階で他人の意見を聞いちゃうと、その人の個性……いわゆる味が直されてしまう。そうなると、なんとなくデビューはできても、売れねぇんだよな。
 デビューしてからは編集さんとかいろんな人の意見を聞けばいいんだけど、最初は周りに、この人はこういう持ち味でデビューしたんだなっていうんをわからせなきゃダメ。この作家、ココが新しいよねっていうのをさ。そういう持ち味があるからデビューできるわけだから。だから最初はあんまり見せすぎないほうがいいんだよ。
 それに他人は既存の作品と比べるからね。その人は既存のものと比べて“変だね”って言うかもしれないけど、その変なところが書き手の個性かもしれない。その個性が消えてしまったら、その人は一番大切な武器を失ったことになる。だからこの時点では、あんまり人に見せないほうがいいと思うんだよ」

『リアル鬼ごっこ』のようなケースもあるわけで、「個性」っていうのは本当によくわからないものだな、としか言いようがありません。
ブログでも、最初は「うまく書く」ことよりも、「書きたいように書いて、あまり他人の意見にはこだわらない」ほうが良いような気がします。



参考リンク:『この世でいちばん大事な「カネ」の話』の感想(琥珀色の戯言)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

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