琥珀色の戯言

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ぼくのミステリ作法 ☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
人気作家、赤川次郎が「ミステリー作家が、ミステリーについて評論めいたものを書くのは自分の首をしめるようなもの」と言いつつもトリックの手法、ストーリーの組み立て方など、処女作『幽霊列車』をはじめ、多くの自作を例にとり、手の内を披露。またドイル、クリスティ、カーなど、海外の名作の分析も交えた、ミステリー・ファンには必読の書。

僕が中学生〜高校生くらいのとき、赤川次郎さんはまさに「この世の春を謳歌」していて、同級生の女の子たちは、こぞって『三毛猫ホームズ』を愛読していたものでした。というか、「他の文庫本は読まないけど、赤川先生は別」っていう女の子がけっこういたんですよね。
それを横目に、「あんな軟弱なのはミステリじゃねえ!」とか言いながら、分厚いエラリー・クイーンに挫折し(正直『Yの悲劇』以外の作品は、何冊か読んだはずなのに全然記憶に残っていません)、ならSF!と方向転換したら、J.P.ホーガンに打ちのめされ(というか、当時は「えっ、ハルク・ホーガンが本書いてるの?」とかさんざん言われてましたしね)、結局僕がたどり着いたのは、西村京太郎とハインラインと銀英伝だったのです。
当時は、「赤川次郎コバルト文庫を読む女」が大嫌いだった僕なのですが、いまから考えると、赤川次郎という人は、ひたすら「エンターテインメント作家」であることに徹した、凄腕のプロフェッショナルだなあ、と思わずにはいられません。
なんのかんの言っても、「赤川次郎の本なら面白いし、読める」という読者がたくさんいたのは事実ですし、いまは売上では東野圭吾さんにはかなわなくなったとしても、20年以上ものあいだ、トップランナーとして、「売れるけど、文学賞候補になることもなければ、評論家に語られることもない作品」をつくりつづけてきたのですから。
個人的には、近い将来、赤川次郎と西村京太郎は「再評価」されるのではないか、という気がしています。

さて、前置きが長くなってしまったのですが、この『ぼくのミステリ作法』が角川文庫から出たのが1986年。
後半の短編小説を読んでいてようやく思い出したのですが、僕はこの本を角川版で読んだことがあったのです。
たしか、そのときも「赤川次郎、けっこう凄いな」と感じた記憶があります。

赤川さんはほとんど小説以外の作品を書かない人だそうで、500冊の著書のなかで、小説以外の作品はごくわずかです(『青春ノート』とインタビュー集のほかに、映画や音楽や趣味の文楽についての本が何冊かあるくらいです)。

この本は、堅苦しい「ミステリ論」というよりは、赤川さんが、創作のちょっとしたヒントや好きな作家や作品について、比較的リラックスして語っているものです。
でも、そのなかに、「赤川次郎にとってのこだわり」みたいなものが、うかがわれるんですよね。

 何の間違いかインタビューなどされることがあり、そうすると、たいてい、
「目標とする作家は」
 と訊かれます。それで、
グレアム・グリーン
 と答えると、へえ、という顔をされる。
 本当はクリスティー、とでも答えておけば向うも、やはりと思うのでしょうが、正直に返答するとそういうことになるのです。これを言い換えれば、
「ストーリー・テラーになりたい」
 ということであります。
 もちろんカソリック作家であるグリーンが単なるストーリー・テラーでないことは当然であり、新作「ジュネーヴのドクター・フィッシャーあるいは爆弾パーティー」は、一種の象徴劇の趣さえある。しかし、ここでも紛れもなくグリーンらしいのは、小説として抜群に面白いということです。

 小説は書こうと思えば書けますが、作家はなろうと思えばなれるものではない。それには運や偶然が関って来ます。
 しかし、ともかく――まず小説を書くことが好きでなくては、どうにもならないのです。その意味で言えば、クリスティーはおそらく小説を書くことが楽しくてたまらなかったに違いない。
 クリスティーの小説の登場人物が類型的であるとはよく言われるところですが、頑固な退役軍人にせよ、小生意気な小間使いにせよ、その一人一人が実に「生きて、動いて」います。これは類型でなく典型と呼ぶべきでしょう。
 クリスティーは単純な状況に、典型的なタイプの人々を置き、実に分かりやすく事件を展開させて行きます。

 この「典型的」であることを怖れてはならない、というのには、すごく考えさせられます。
 大事なのは、「非典型的」であることよりも、その人物が「生きて、動いている」ことなのではないか。
 この本には、赤川さんの短編が4つ収められているのですが、どの作品も「凄い!とマニアを唸らせる」ようなものではありませんが、「限られたページ数で、ちゃんと世界を構築してまとめ上げる」という職人芸が感じられる佳作ぞろいです。
 なかでも、『作家の裏口』という作品は、とくに印象的なものでした。
 こういう作家として老成した感性を、いまの僕と同世代のときに赤川さんが持っていたというのは、驚くべきことだと思います。

 正直、僕はいまでも赤川次郎さんの作品は苦手なのですけど、あらためて読んでみると、「軽く、読みやすく、わかりやすく書くこと」の難しさ、シンプルであることの価値を考えずにはいられない作家です。
 そういえば、昔、姉が買ってきた『死者の学園祭』を読んだときには、「あのチャラチャラした赤川次郎のくせに、なんでこんなに面白いんだ……」と驚いたんだよなあ。もう一度、読み返してみるかな……


参考リンク:赤川次郎さんの『セーラー服と機関銃』執筆秘話(活字中毒R。)

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