琥珀色の戯言

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科挙―中国の試験地獄 ☆☆☆☆☆


科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

内容(「BOOK」データベースより)
二万人を収容する南京の貢院に各地の秀才が官吏登用を夢みて集まってくる。老人も少なくない―。完備しきった制度の裏の悲しみと喜びを描きながら、凄惨な試験地獄を生み出す社会の本質をさぐる名著。

中公新書2000点刊行記念〜中公新書の森へ 1962-2009」というオビがついているこの本。なんと1963年刊行で、中公新書のナンバーは「15」。僕は中国史が大好きなので、書店で平積みにされているのを見かけて即買いしてしまったのですが、読み始めたところで、「ああ、なんか古い本買っちゃったな……」と、ちょっと後悔してしまったのです。

しかしながら、読み終えてみると、これはまさに「中国史に興味がある人にとっては読んでおくべき本」だと感じましたし、偶然、この本を手にとることができてよかったと思っています。
「人類史上もっとも難しい試験」といわれる「科挙」の制度を、科挙の最晩年の清の時代の制度に沿って、「各地域の予選」である「県試」から、「府試」「院試」、「各省単位の予選」である「科試」「郷試」「挙人履試」、「首都・北京で行われる本選」である「会試」「殿試」まで、さまざまなエピソードを交えながら、ひたすら辿っていく本なのですが、ものすごくドラマティックな話が紹介されたり、「著者の科挙に対する個人的な意見」が語られたりしている部分はほとんどありません。
読みながら、ちょっと無味乾燥だな、という気分になるところもあります。
読み終えてみると、そういう「研究者としてなるべく正確に歴史を伝えること」に徹しているからこそ、この本は50年近くも読み継がれてきたのだな、ということがわかるのですけど。
もし、この本のなかで、「受験地獄反対!」「科挙なんてバカバカしい!」というような「感想」が熱く語られていたら、読む側としては、「著者の見解との葛藤」を余儀なくされていたはずです。
著者は、自分の存在をなるべく透明にすることによって、「人類最大の試験」の圧倒的なスケールを、読者に見せてくれています。

「郷試」についての紹介から。南京貢院は「2万人収容」だそうです。

 いま南京江寧府の場合を例にとると、屋形船で有名な泰准運河に臨んで、その北に広大な敷地をもつ南京貢院があった。運河に面して大きな石造りの坊門が三つあり、その奥に見えるのが貢門の入口、すなわち大門である。大門を入るとやや広い場所があり、その北が二門である。二門の次の竜門をぬけると北に向かって広い大通りがのびており、甬道(ようどう)と呼ばれるが、西側にも東側にも、およそ二メートルおきぐらいに号筒といわれる小路の入口が開いている。
 試みにこの入口から中へ入ると、入口の狭いわりに奥行きはきわめて深く、目の届かぬほど遠くへのびている。そして片側に一メートルぐらいに仕切られた小さな部屋、すなわち号舎とよばれる独房が無数に奥の方へ続いて並んでいる。号舎をいま部屋といったが、実は部屋というにあたいしない。というのは、それは戸もなく家具もなく、ただ三方を煉瓦の壁で仕切りして屋根をいただいた空間にすぎないからである。地面はもちろん土間で、ただ大きな板が三枚ある。これを壁から壁にかけわたすと、一番高いのは物置き棚になり、次のが机になり、一番低いのが腰掛けになる。そのほかは何の設備もない、正に格子戸のない牢獄である。郷試の受験生たる挙子は、ぶっ通しに三日二晩をこの中で過ごさなければならないのである。
 小路は非常に長く、行けども行けどもつきない。片側の号舎の列も無限に続く。ただ三年に一度使うにすぎない建物だから、ふだんは手入れも非常に悪く、屋根にはペンペンン草が生え、軒はくずれおちそうであり、壁に湿気がにじんで黴くさい。もしひとりで夜中にこんなところへ迷いこんだら、どんなに気味が悪いことだろう。

 この「格子戸のない牢獄」にひとりひとり隔離された状態で、受験者たちは過酷な試験を受けなければなりません(最低限の生活必需品は持ち込み可ですが、カンニングできないように厳しく調べられます。それでも、カンニングをしようとした受験生はたくさんいたようです)。この独房が、「試験会場」も兼ねており、受験者たちは、三日二晩ここに寝泊りしながら(実際、どのくらい眠れたかはさておき)答案用紙に向かい合うのです。
 そして、試験の内容も過酷というか、今の時代の基準からすると、「何それ?」というさまざまな「型」が決められています。

 答案用紙の罫一行に二十四字をつめるには、答案の本文は上の二格をあけておき、第三格から下に字をうずめる。これは後に皇帝陛下というような文字を用いる必要ができた時、擡頭(たいとう)といって行を改めた上、二字もちあげて書かねばならぬので、あらかじめ空白を残しておくのである。もっとも自分のことを臣と書く時、日本の願書にあるように「私儀」を特に下の方へもって行くような書式はない。だから書き出しの「臣対臣聞」(やつがれからお答え申し上げますが、私の聞きますところでは)もいきなり最初の行の第三格から書き始めればよい。ただし臣という字は少し小さな字で心もち右側によせて書くのが例である。
 このほか形式上の色々な条件があるが、その一つは擡頭の件である。擡頭には三種類ある。その一つは双擡と称するものであって、皇帝および皇帝に直接関係する事物を表す文字、たとえば天顔、上論などは二字もちあげて書く。ところが中国流の考えでは、皇帝よりもさらに尊いものがある。それは皇帝の父母、あるいは祖先であり、これらに関する文字、たとえば皇太后とか、祖宗という文字は他の文字より三字位置をあげるので、一字は欄外に出てしまうが、これを三擡という。このほか皇帝の付属物、たとえば京師、殿庭、国家というような文字にあえば、ただ一字だけもちあげて書く。これを単擡と称する。
 ところでこの答案をつくるのに、上の二格を始終あけたままでは外見上見苦しいので、ところどころにわざわざ擡頭の字句を入れて単調を破らねばならない。普通用いられる形式は、第五行目、あるいは第九行目に皇帝陛下という字を出して擡頭し、それから一行おいて次の行に、別の擡頭を必要とする字をもち出す。最初の皇帝陛下の前には必ず「欽惟」、すなわち謹んでおもんみるに、という句を書かねばならないが、その際この二字が行の一番底へとどくよう、つまりその下に一字も空格を残さぬように按排しなければならない。
 もっともこの場合にかぎらず、すべての行の末に空格をのこすのは見苦しいとされ、擡頭のたびごとによくよく字数を計算し、ぎっしり文字をつめて書くのが答案作成の秘訣なのである。幸い、漢文には也とか矣とかいう助辞があるので、それを適当に用いると、このようなこともあながち不可能ではない。行末に空格をのこすことは別に犯則ではないが、とにかく減点されること必定である。

 この新書のなかには、実際の答案用紙の写真が載せられているのですが、本当にこれらのルールにのっとって書かれていることに驚くばかりです。ほんとうに「臣」はいちいち小さめに右に寄せて書いてあるんです。「このようなこともあながち不可能ではない」かもしれないけど、解答の内容だけではなく(というか、ルールから外れてしまうと、どんなに内容が素晴らしくてもアウト)、こういう「形式」にもミスがあってはならないというのは、本当に厳しい試験だとしか言いようがありません。
 知識だけではなく、美的・誌的センスをも高いレベルで要求されるのが「科挙」。
 「受からせるための試験」ではなく、「ふるい落とすための試験」ですから、とにかく、どんな小さなミスも許されないのです。
 「受験者は、いくらでもいる」のだから。
 そして、よほどの有力者以外にとって、中国で「官吏」として登用されるためには、この試験以外に道はない。

 それでも、「試験で公正に評価して、人材を登用する」という科挙は、歴史上の長い間、世界に類をみない進んだシステムでした。
 しかしながら、これほどの難関をくぐり抜けて高級官僚になった者たちのすべてが立派な政治家になれたわけではないのですよね(というか、合格者数を考えれば、歴史に名を残した人はごく一握り)。

 しかし本書は何も、現今の日本における試験地獄の解消に何らかの寄与をはかるとか、妙案を提出するとかの狙いをもつものではない。もっともこの問題について、私自身の意見が全くないわけではない。いな一時は大いにその意見をまじえてこの本を書いてみようかと思ったこともあったが、その時に私はふと立ち止まったのである。私の任務は過去の事実の中から最も大切だと思われる部分をぬき出して、できるだけ客観的に世間に紹介するにある。事実こそ何ものにもまして説得力があるものである。なまじいにそれに主観をまじえて調理する、いわゆる評論家ふうな態度は私の一番不得手なところである。と同時に、また、それによって別にプラスを加えることにもならないであろうと思う。
 そこで、私はできるだけ冷静に、できるだけ公平な立場から、科挙の制度とその実際とを描写しようとつとめた。こうして出来上がったのが本書である。

 まさに、この「まえがき」での著者の言葉そのままの本だと思います。
 50年間読み継がれてきた本には、それだけの理由があるのですよね、やっぱり。
 歴史好きの方は、ぜひ一度読んでみてください。自信を持ってオススメしておきます。


参考リンク:やる夫が科挙を受けているようです(やる夫ブログ)
↑「科挙」に少し興味が出てきた、という方は、これを読んでみると良いかも。

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