琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

愛を読むひと ☆☆☆☆


映画『愛を読むひと』公式サイト

あらすじ: 1958年のドイツ、15歳のマイケルは21歳も年上のハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋に落ち、やがて、ハンナはマイケルに本の朗読を頼むようになり、愛を深めていった。ある日、彼女は突然マイケルの前から姿を消し、数年後、法学専攻の大学生になったマイケル(デヴィッド・クロス)は、意外な場所でハンナと再会する。(シネマトゥデイ

 金曜日の21時からのレイトショーで鑑賞。『ヱヴァ・序』がちょうどテレビで放映されていた時間帯。
 観客は10人程度で、まあこんなものか、という感じです。
 ちなみに、ケイト・ウインスレットは、この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。

 この映画を観て学んだこと。
(1)教育って大事。でも、学ぶということは、自分の罪を知るということなのかもしれない。
(2)青少年期の性欲に負けてしまうと、人生台無しになる危険が高い。

 この映画、前半を観ていたときには、ものすごく後悔していました。
 こんな若者のエロ妄想映画を観るくらいなら、『ROOKIES−卒業−』でも観たほうがマシだった……と。
 前半は、偶然出会ったハンナとマイケルの情事が執拗なまでに描かれるのですが、これが観るほうにはキツいんですよ全く。「恋愛」っていうより、セックスしたい男と女が、お互いを利用しているだけ、のようにしか見えなくて。
 結局、そういう「セックス猿どもめが!」という前半の嫌悪感が、登場人物、とくにマイケルへの感情移入を終始妨げてくれるのです。
 この作品の「秘密」のひとつも、説明される前から、バレバレですしね。というか、さっさと気づけよそのくらい。
 もう、「いったいあとどのくらい、この妄想エロ映画(しかもケイト・ウインスレットが頑張って脱いでいるのはよくわかるんだけど、年齢相応にリアルな体で、なんというか、そんなに何度も観て面白いようなものじゃない)につきあわされるのか?と何度も腕時計を確認してしまいました。

 しかしながら、後半、マイケルとハンナが再会してからの怒涛の展開には、時計を確認することもなく、引き込まれてしまいました。
 ある「仕事」に対して、徹底的に「誠実に勤める」ことを続け、その言葉が自分にとって悪い結果をもたらすことを承知しながらも、嘘をつけなかったハンナ。
 そんなハンナを助けるための手段を持っていたにもかかわらず、彼女の「秘密」を守ろうとする気持ちと、世間体にも悩まされ、結果的には、長い間「自分が傷つかない方法」でしか、ハンナに関わろうとしなかったマイケル。

 このマイケル、本当にロクでもない男なんですよ。
 セックス猿として登場し、自分がプレッシャーに押しつぶされそうになったら、他の女とセックス、もともとは自分がまいた種にもかかわらず、「人間不信」を周囲にアピールして、妻とは離婚、娘とは疎遠、女をとっかえひっかえ。
 ハンナに対しても、取り返しのつかない事態になる前に、どうにかするチャンスは何度かあったはずなのに、ずっと「自分が傷つかない方法」でしか、彼女をサポートしない。

 うーん、でもね、このマイケルの「どうしようもない生き方」こそが、この『愛を読むひと』という映画の深さなのかもしれないな、とも思うのです。
 僕は、自分がマイケルの立場だったら、同じようなことさえ、できなかったかもしれない。
 それこそ、見て見ぬふりをして、「幸せな一生」を送っていたかもしれない。

 マイケルは、「ズルい男」です。映画の一観客としては、「誰がこんなヤツに共感してやるものか!」とすら思う。
 でもね、こういう「中途半端な優しさ」とか「手遅れになったとたんに、誰かを助けられなかったことに後悔する心」なんていうのは、まさに、「僕のリアル」でもあるのです。
 この映画では、そういう「ごく普通の人間のもどかしさ」をありのままにつきつけられます。
 
 この映画を観て、僕は「人間って、いろんなものに流されて生きているのだよなあ」と考えずにはいられませんでした。
 犠牲者からすれば、ハンナは間違いなく「加害者」でしょう。罪を償うのは当然というか、目に見える形で決着をつけるには、彼女を裁くしかない。
 たとえ、大部分の人が、彼女と同じ立場であれば、同じ行動をとったのだとしても。

 それなら、原爆を落としたヤツは、「人道の罪」に問われないのか?
 僕は、この映画を観ながら、そんなことを考えずにはいられませんでした。
 もしアメリカが戦争に負けていたら、エノラ・ゲイの搭乗員たちは、まちがいなく戦争犯罪人になっていたはず。

 前半の妄想エロ部分が長すぎて退屈なのはマイナスなのですが、「罪とは何か?」「人を助けるというのは、どういうことか?」について、考えさせられる映画だと思います。
 「純愛映画」みたいな宣伝をされているけれど、僕はこれ、愛というより、「罪」の映画なんじゃないかな、と感じました。
 
 

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