琥珀色の戯言

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ゲゲゲの女房 ☆☆☆☆


ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

内容紹介
著者は、『ゲゲゲの鬼太郎』の生みの親であり、妖怪研究の第一人者としても知られる巨人・水木しげるの夫人である。
赤貧の時代、人気マンガ家の時代、妖怪研究者の時代、「幸福とは何か」を語る現在……結婚以来半世紀、常に水木の傍らに寄り添い、見守ってきた。
著者はなぜ極貧の無名マンガ家と結婚したのか?
伝えられる貧乏生活とはどんなものだったのか?
超有名人の妻となって人生はどう変わったのか?
水木のユニークな言動をどう受け止めてきたのか?
自らを「平凡な人間」と語る著者の目に映った異能の天才の真実と、夫と歩んだ自身の激動の人生への思いを率直に綴った、感動の初エッセイ!

来年3月からのNHK連続テレビ小説の原案となることでも話題の本(布枝さんは、松下奈緒さんが演じられるそうです)。
水木しげる先生の奥様、武良布枝さんが書かれた、自身の半生と水木先生との結婚生活。
水木先生が貸本漫画家時代に、ものすごく貧乏だったという話は何度か聞いたことがあるのですが、その先生の「伴走者」であり続けている布枝夫人。
この本では、「夫唱婦随の時代」であった「昭和」という世の中と、その中でも、素直に自分に与えられた環境を受け入れて生きてきたひとりの女性の姿が語られています。
水木先生と結婚したのも、熱烈な恋愛があったわけではなく、「家のことをあれこれやっているうちに婚期が遅れてしまって、そろそろ家を出なければならないという布絵さんが、お見合いで選んだ(というより、他に選択肢がなかった)男性」が、水木しげるさんだったのです。水木さんが戦争で片腕を失っていたことに対しても、そんなに抵抗はなく、「優しそうな人だから、この人でよかった」というくらいの印象で、結婚生活が始まったのだそうです。
「そういう時代」ではあったのだとしても、布枝さんのすごいところは、貧乏に対しても夫を恨みもせず、水木先生の仕事を応援し続けたところです(最初のことは、漫画のアシスタントのような簡単な仕事もされていたそうです。後に水木先生が人気漫画家になられてからは、創作の手伝いができなくなったのがちょっとさびしい、というようなことも書かれています)。水木先生も、漫画に浮気することはなくても、そんな奥様と妖怪と読者を裏切らなかった。
この本で書かれている「女の一生」は、いまの時代の人間にとっては、「古臭い」というか、「ずっと夫に尽くし続けるなんて、バカみたい」なんて思われるのではないでしょうか。
でも、この本を読んでいると、そういう「誰かを一生懸命支えるだけの人生」というのも、そんなに悪くないんじゃないかな、という気がしてきます。

僕がこの本を読んでいていちばん驚いたのは、水木先生の「執念」です。
水木先生といえば、人生相談などでも、「なまけ者になりなさい」「がんばらなくていい」「のんきに暮らしなさい」などという発言をされているので、のんびりマイペースで生きている「楽天家」というイメージを僕はずっと持っていたのですが、この本を読むと、それが「漫画家・水木しげるが世間に求められている『水木しげる像』を意識的に演じている姿」なのだということがわかります。
本当の水木先生は、勤勉で、自分の好きなことには妥協を許さなくて、気難しいところのある、古風な日本の男のようです。

布枝さんは、貸本漫画家時代、貧乏のどん底にありながらも作品を描き続けていた水木先生の姿を、こんなふうに書かれています。

 水木はひたすらマンガを描いていました。一度仕事場に入ると、何時間も出てきません。その間、仕事場からはカリカリというGペンの音が聞こえ続けているのでした。
 夏のある晩のこと、私は夕食の用意ができたので水木を呼びに行きました。仕事場をのぞいたら、いつものように水木は無心に仕事をしていました。左腕がないために体をねじって左の肩で紙をおさえるので、自然に顔は紙のすぐ上。汗が流れ落ちて原稿にシミがつかないように、タオルの鉢巻をして、その体勢のまま、ひたすら描き続けていました。
 あまりに夢中になっているその姿に私は声をかけることができず、しばらくその場に立ちすくんでしまいました。
 精魂こめてマンガを描き続ける水木の後ろ姿に、私は正直、感動しました。これほど集中してひとつのことに打ち込む人間を、私はそれまでに見たことがありませんでした。
 以来、ひたすらカリカリと音を立てて描く後ろ姿から、目を離せなくなることが、しばしばありました。背中から立ち上る不思議な空気、いまの言葉でいうならオーラみたいなものに、吸い寄せられるような感じがすることさえありました。私は次第に、その姿に尊敬の念を抱くほどになっていったのです。
 私にはマンガの良し悪しはよくわかりませんが、マンガにかける水木の強い思いに、心打たれたのです。一生懸命に描いている水木の後ろ姿を見ていると、絵が気持ち悪いとか、話が怖すぎるとか、思ってはいけない、口にしてはいけないと感じました。
 来る日も来る日もそういう水木の姿を間近で目にしているうちに、「この人の努力は本物だ」ということを、誰よりも身近な私が、いちばん知っている……そんな「誇り」のようなものを抱くようになったのでした。

 「仕事だけが人生じゃないさ」とは言うけれど、こんなふうに、もっとも身近な人に「尊敬の念を抱かせる」ような仕事、僕は全然できていないよなあ……
 「創作」っていうのは、こんなにも厳しい世界なのか、「食べていくのがやっとくらいの安い原稿料」のために、漫画家というのは、こんなにも自分を追いつめなければならないのか……

 正直、もっとお気楽でのほほんとした本だと思っていたんですよ。でも、読んでいくうちに、僕は水木先生の姿と、先生のもっとも親密なパートナーであるのと同時に、冷徹な観察者でもあった布枝さんの言葉に、すっかり圧倒されてしまいました。
 水木先生のファンはもちろん、「夫婦ってなんだろう?」と考えてみたい人にも、ぜひオススメしたい本です。

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