琥珀色の戯言

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世界奇食大全 ☆☆☆☆


世界奇食大全 (文春新書)

世界奇食大全 (文春新書)

内容(「BOOK」データベースより)
土のスープ、紙、メダカの佃煮から猛毒のフグの卵巣、パイナップル茶漬けまで。伝統食品あり、新顔あり。制御不能。悶絶必至。ヒトの業と知恵の深さを実感する珍グルメ全集。

「こんなの誰が食べるの?」と思わず言いたくなるような、さまざまな「奇食」を紹介した新書。
紹介されている食べ物の大部分を著者が実際に口にしているというのもポイントが高い。
「こんな変なものを食べる文化がある!」と面白おかしく紹介するだけでなく、「なぜそのような食習慣が生まれたのか?」についての考察も書かれているのが興味深いです。

たとえば、「土を食べる」という項では、

 「土を食べる料理があるというと、「なんて野蛮な!」と眉をひそめる方もいるかもしれない。
 だが調べてみると、土を食べる習慣は、アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアなど、全世界で見られることがわかる。極めて普遍的な「食文化」なのだ。
 たとえば、アフリカのペンバ島タンザニア)の人々は、若い女性が土を食べ始めたら喜ぶ。それは、女性が妊娠したことを示すサインだからだ。ベトナムのある地域では、土を網で焼いて客に出す習慣があるし、アメリカでも黒人奴隷がアフリカから持ち込んだ食土の習慣が昔から盛んで、今でも合衆国南部では調理された土がスーパーで売られているという。ハイチでも、昔から子供や妊婦が「テーレ」と呼ばれる土入りのビスケットを食べることが知られている。
 日本でも、アイヌが百合の根と土を煮て食べたし、妊娠した女性が壁土を食べたがるということはよく言われることだ。
 いわゆる土食症(geophagia)というやつだ。人間は亜鉛不足で味覚が異常になったり、妊娠中に鉄分が不足したりすると、土を猛然と食べたくなることがあるのだ。
 もともと土にはマグネシウム、ナトリウム、カルシウム、鉄分などのミネラルが含まれていて、ベントナイトなどの消化を促進する成分なども入っているので、土を食べることには滋養強壮や解毒の意味合いがあるのだろう。

と書かれています。
何かを「食べる」ことには、それなりの「理由」があるのだなあ、と考えさせられます。
「必要なものを欲しがる」ようにできているんだよなあ、やっぱり。

もちろん、「いまの日本に生きる僕には理解不能」な食文化というのはあるのですけど。
生理的に受けつけない、というのもありますしね……
昔『美味しんぼ』で紹介されていた「羊の脳」なんていうのは、いくら美味しくても、僕はちょっと食べられそうにありません。

 クジラについてのこんな文章も、なかなか興味深いものでした。

 珍しい食べ物のことを奇食というなら、今やクジラ肉も立派な奇食だろう。国際捕鯨委員会IWC)の決議を受け、1987年に商業捕鯨が中止されて以来、我が国の鯨肉の消費量は激減しているからだ。もはや、クジラ肉は余っているのである。
 2008年に共同船舶(株)が発表した統計によると、日本人ひとりの鯨肉の年間消費量は、わずか50グラム。刺身にして、半人前ほどだ。同じように局地的でマイナーな食材である馬肉ですら、この倍は消費されているのに、だ。
 このような冷厳な事実の前に、次のように抗議される方もいるかもしれない。
「クジラ食は日本人の伝統だ。日本人は昔からずっと鯨肉のお世話になってきた。しかし、偽善的な欧米諸国のせいで、私たちの食文化が殺されようとしている。まったく許しがたいことだ」と。
 だが、すべての常識は疑ってかかる必要がある。
 クジラ食がだれもが口にする「国民食」「日常食」と言えるだろうか。
 確かに、縄文時代の遺跡からクジラの骨が発掘されている。また、室町時代に武士や貴族階級がクジラを珍重したり、江戸の庶民が十二月のすす払いの日に、クジラ汁を食べる習慣があったことも事実である。
 だが、それらはむしろ例外的なことと言っていい。
 クジラが日本全国で、普通に食べられるようになったのは、実に第二次大戦後のことである。それまでは、せいぜい捕鯨を行う村周辺か、都市や内陸部ではハレの日に食べる程度に過ぎなかった。
 特に人気がなかったのが赤肉で、大正時代以前は、東日本ではめったに食されることがなかった。色がよく似たマグロも、この頃に食べる人はほとんどなかった。つまり、日本人はまだ肉食に慣れておらず、血の臭いを非常に嫌っていたのだ。
 だいたい古式沿岸捕鯨では、一つの鯨組で1年に二十頭ほどのクジラしか獲れなかった。この量では、津々浦々に行き渡らず、郷土食の色合いが強い。
 また、物流手段が未発達な時代に、全国の隅々まで、鯨肉を送り届けることも、難しかった。すべての日本人が同じものを食べていたという考え方は、コンビニやスーパー、ファミレスのチェーンが拡充され、どこでも同じメニューを口にできる現代に固有のものだろう。

 昨夜、何年かぶりに「クジラ肉」を食べたのですが、率直なところ「不味くはないけど、わざわざ注文して食べようとも思わないな」という感じでした。
 むしろ、いまでも「馬肉の半分も消費されている」ことに驚かされます。
「クジラ肉」をめぐっての日本人のスタンスには、「クジラを食べられなくなったら困る」というよりは、「自分たちの食文化が野蛮呼ばわりされることへの反発」が大きいのかもしれません。
 僕自身は、給食に出ていた「クジラの竜田揚げ」をなかなか呑みこめなくて苦労した記憶しかないのですが。

 とはいえ、そう言い始めたら「フランス料理」だって、多くは「宮廷のごく一部の人しか食べられなかった料理」がベースですし、中華料理にも同じことがいえるはず。
 「国民の大部分が食べていたわけじゃないから、『国民食』にはあてはまらない」という考えかたも、ちょっと極端ではないかと思います。

 まあ、こんなふうに「食」について、いろいろ考えさせられる新書でした。
 こういう本に、「地方の名物オーナーシェフが思いつきで出している珍メニュー(パイナップル茶漬け、とか)」が、けっこうたくさん載っているのはどうかな、とは感じたのですが、全体としては、かなり楽しめました。

 ちなみに、この新書のなかで、僕にとっていちばんインパクトがあった料理は、「満漢全席のラクダ」。この新書に掲載されている写真のラクダの姿が、もうなんともいえないせつなさなんですよ……
 興味があるかたは、その写真(242ページ)だけでもちょっと覗いてみてください。

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