琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ディア・ドクター ☆☆☆☆


参考リンク:『ディア・ドクター』公式サイト

あらすじ: 村でただ一人の医師、伊野(笑福亭鶴瓶)が失踪(しっそう)する。村人たちに全幅の信頼を寄せられていた伊野だったが、彼の背景を知るものは誰一人としていなかった。事件前、伊野は一人暮らしの未亡人、かづ子(八千草薫)を診療していた。かづ子は次第に伊野に心を開き始めていたが、そんな折に例の失踪(しっそう)事件が起き……。

その嘘は、罪ですか。

医者になってみて、よかったですか?

遅れて公開となった地方ロードショーの初日。
21時からのレイトショーで、観客は30人程度でした。


「本物」とは、「偽者」とは何なのか?
この映画、いわゆる「地域医療」の心温まるほのぼのとした面と暗黒面が容赦なく描かれていて、西川美和監督は、ほんとうに怖い人だなあ、と思いながら観ました。というか、僕も医者の端くれなので(でも、この映画を観ると、「僕も医者」って、ちょっと言い難くなりますね……)、あんまり客観的に接することができない映画だったなあ。
「人のよさ」と「垣間見える胡散臭さ」を併せ持つ「地域医療に携わる医者」を演じきった鶴瓶さんは好演でした。

観終えて、なんというか、ものすごくモヤモヤした感じが残ったんですよ、この映画。
伊野の行為を、西川監督は美化してはいないし、「悪」だと罵倒してもいない。

伊野先生の「姿勢」は、終始変わりません。
「できること」はやるし、「できないこと」はやらない(やれない)。
自分の技術の無さがよくわかっていながら、他に医者が来るアテなど無い村を投げ出す勇気も出ず、自分が周囲から「求められていること」への恍惚と不安から逃れられない。
その一方で、伊野が「本物」かどうかで、コロッと態度を変える周囲の人間たち。
むしろ周囲の人のほうが「薄情」だし「無責任」なのではないかと感じるくらいなのですが、伊野先生もかなり「無責任」ではありますし、結局、「どちらが正しい」と言えるようなものではなく、やるせない気分になるばかり。
伊野先生がもう少し「腕利き」であれば、僕の見方は変わったかもしれませんけど。
井川遥さんが演じていた医者の伊野先生に対する「態度」を観ながら、「医者だからこそ、伊野先生を全否定できない面がある」ことも感じましたし。

僕が医者をやっていて、すごく怖いと感じる患者さんには、2つのタイプがあります。
ひとつは、何に対しても「ミスじゃないか?」「悪いことをしているんじゃないか」と食ってかかってくる人、そしてもうひとつは、「先生のことを頼りにしてます!先生じゃないとダメなんです!」とすごく依存してくる人。
前者に対しては言葉を加えるまでもないと思うのですが、実は、後者のタイプって、ちょっとしたことで、ひとつ噛み合わなくなると、「あんなに信頼してたのに!」と聞く耳も持たずに相手を責める人が多いのではないかと。あるいは、「寿命」に対しても、「病院が悪かったのではないか?」と誰かに責任を負わせようとしたり。

少なくとも、この映画を観て、「地域医療」に憧れる医者はほとんどいないと思います。演出的には、「都会の大きな病院で機械に囲まれて延命させるなんて、虚しくありませんか?みたいな問いかけが観客になされているのですが、いまの世の中では、医者も「自分の身を守る」ために、「非人間的な医療」を選択したり、厳しい告知をしなければならないのが現実です。すぐにみんなが宗旨替えして棄てられる「偶像」にされるくらいなら、同じ権利を持った「人間」として扱ってくれないか、本当に、そう思う。

『ゆれる』と同じように「絶対的な正義も、絶対的な悪もいない世界」で生きていかざるをえないことを、つきつけられる作品です。
なんか、また仕事やめたくなっちゃったなあ。医者は観ないほうがいい映画かもしれませんね、これ。

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