- 作者: 下川裕治
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/04/25
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
内容(「BOOK」データベースより)
「バスに乗って日本橋からトルコまで行ってみよう」。51歳の旅行作家、40歳のカメラマン、30歳の料理人が意気投合しアジアハイウェーをひたすら西へ向かう旅が始まった。中国では2段ベッドの寝台バスで眠り、インドでは路線バスを乗り継ぎ、イラン兵士の厳しい監視が待ち受ける。名所旧跡・世界遺産には脇目もふらず、おんぼろバスに揺られ直走ったのべ27日間車中15泊の激安珍道中。
僕は「旅行記」もけっこう好きなのですが、この本、なかなか珍しい視点で描かれています。
著者の下川さんの目的は、「バスを使って、効率的にアジアハイウェーを利用し、日本橋からトルコを目指すこと」。
こういう「旅行記」の場合、やっぱり、旅先で出会った人とのふれあいとか、観光名所や珍しいスポットの紹介が中心になることがほとんどのはず。
でも、この旅は、本当に、ストイックに「バスで効率的に旅をすること」を目的としているのです。
「貧乏旅行」ならではの面白エピソードを期待して読み始めると、下川さんの「なんでまたバスでこんな無茶な旅をしなきゃいけないんだ……」という愚痴やアジア各国の「バスの旅の快適さの差」が延々と語られて、唖然としてしまいます。
しかしながら、「バスの快適さ」というのは、それぞれの国の経済力を反映していますし、「地に足をつけて」旅をしていると、国境をまたぐだけで、ガラッと風景が変わってしまうこともあるのだ、ということも伝わってきます。
率直に言うと、乗り物酔いが酷い僕には、読んでしまうだけでバス酔いしてしまいそうな本でもあったのですが。
「日本の公共交通機関の時間の正確さは世界一」なんて言われますが、「国民性」というのは、まさにそういうところに反映されているのかもしれません。
インドのアジアハイウェーの出発点をメガラヤ州のシロングに変えざるをえなかった。インパールを通るアジアハイウェー一号線はシロングを通り、一気にバングラデシュに下っていたのだ。
翌朝、僕はバスターミナルにシロング行きの切符を買いに出かけた。正午発があるという。そこでわかったことは、正午に何台ものバスが同時にシロングに向けて出発するということだった。運賃は変わらないからどのバスでもいいということになる。どの会社もセミスリーパーを謳い文句にしていた。どれほど快適に眠ることができる椅子なのかと期待が膨らんだが、よく訊くと、ただのリクライニングだった。結局、どのバスも大差はないようだった。
「正午発って覚えやすくていいね」
切符をつくっている間、職員にいった。
「そう、だから二十年前から同じ時刻に出発なんだ」
「二十年前……」
そのときはさして気にも留めなかったが、バスが出発し、しばらくすると、それがどういうことを意味するのか教えられることになる。満席にならずに二十台近いバスが同時に出発したのだが、途中の街の前になると、生きた心地がしないような先陣争いが繰り返されたのだ。二十台が狭い道で抜きつ抜かれつを演じ、乗っている僕らは、「路肩が崩れて転落するのではないか」、「あ、ぶつかる」と手を握ることになる。
なぜ、そこまでして先を争うのかといえば、途中の町にバスを待つ客がいるからだった。先に到着すれば、その客を乗せることができ、収入が増えるのだ。町を通過するたびに起こるカーチェイスに、僕は天を仰ぐことになる。
「だったら、発車時刻を三十分とかずらしていけばいいんじゃないのだろうか」
しかしインド人はそれをしないのだ。二十年このかた、同じ時刻にバスを発車させていた。
日本の交通機関に慣れている(+乗り物酔いしやすい)僕からすれば、このエピソードを読んだだけで、「インドは、なんて国なんだ……」と呆れるやら圧倒されるやらです。
毎回カーチェイスの危険と乗客の利便を考えれば、どうみても時間をずらして発車したほうがよさそうなのに。
諸外国からすれば、日本は「きっちりしすぎている」のかもしれませんが、こういうのは、もう、「理屈の正しさ」じゃないんだろうなあ。