琥珀色の戯言

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アホの壁 ☆☆☆


アホの壁 (新潮新書)

アホの壁 (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
なぜそんなアホなことをするのか、そしてアホなことを言うのか?無益な争いに血眼になり、破綻必至の計画を立て、互いに殺しあうに至るのは、いったいなぜなのか?文化的文明人を自任する現代人が、いとも簡単に飛び越えてしまう「アホの壁」をめぐり、豊富なエピソードと心理学、文学、歴史ないまぜでつづる抱腹絶倒の筒井流人間論、ついに登場。

筒井フリークである僕は、書店の新刊コーナーで、この『アホの壁』を見つけて、本当にワクワクしていたのです。
僕にとって「筒井康隆」は、「読書でいままでの自分の常識をぶっ壊すこと」の面白さを教えてくれた人であり、憧れの人。
「おおっ、筒井康隆御大が書いた新書、しかも『アホの壁』とかいう『バカの壁』のパクリみたいなタイトル。これは何か、すごい『仕掛け」があるに違いない!どんな新書なんだろうなあ!」

というわけで、ガマンしきれずに購入当日の夜に読んだのですが、率直に言うと、ガッカリしてしまいました。
この新書を読むと、「なんでこんなあたりまえのことばかり書いてある本が売れたんだ?」と疑問だった『バカの壁』が、いかに「考えを整理するのに役立つ本」だったのかわかってくるんですよ、悲しいことに。
バカの壁』では、「バカとは何か?」「他人をバカと感じるメカニズム」などが体系的に書かれており(というか、聴き書きっぽいので「語られており」)、「何を伝えたい新書」なのかはっきりしています。
ところが、この『アホの壁』は、「アホな人の具体例」が列挙され、「こんなアホなヤツらがいる」と書かれているだけで、「壁」が何なのか、その「壁」を乗り越えるにはどうしたらいいのか、サッパリわからないのです。

 小生が考えた『アホの壁』とは、養老さんの「バカの壁」のような人と人とのコミュニケーションを阻害する壁ではなく、人それぞれの、良識とアホとの間に立ちはだかる壁のことである。文化的であり文明人である筈の現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側に行ってしまうのか。人に良識を忘れさせアホの壁を乗り越えさせるものは何か。小生はそれを考えてみようと思ったのだ。
 むろんアホの壁を乗り越えて彼方へ行かぬ限りは成り立たない仕事もある。言うまでもなく芸術という仕事である。芸術的狂気というものはいったん良識から離れてアホの側に身を置かねばならない。それが単なるアホと異なるのは、壁の存在、壁の所在、壁の位置、壁の高さ、壁を乗り越える方法などを熟知していることだ。そのためには冷静な正気を保ちながら壁を認識しなければならない。これができていない芸術は、常識に囚われたつまらないものにならざるを得ないだろう。

博識な筒井さんですから、歴史上の興味深いエピソードがちりばめられてはいるのですが、正直、全体的に「古さ」を感じずにはいられません。いま、フロイトフロイトって言われてもなあ……という感じです。
しかも、筒井さんが書かれている「なぜこの人はこんなアホなことをするのか?」の根拠は、学術的な裏付けが明記されていない、あるいは乏しいものがほとんどで、「この新書に書いてあることを受け売りするのは危険だな……」と思わずにはいられませんでした。
「アホ」の定義にしても、第一章「人はなぜアホなことを言うのか」の冒頭に、

 ここで言う「アホなこと」とは、ユーモアやギャグやナンセンスなどのことではない。ユーモアやギャグやナンセンスには文化的価値が伴い、時には芸術性を持つことだってある。したがってここでの「アホなこと」とは文化的価値など皆無の、つまらない物言いのことである。

と書かれているのですが、最後には、

 人類はやがて滅亡するだろうが、そしてそれは最終戦争以外の理由であるからかもしれないが、その時はじめてわれわれはアホの存在理由に気づくだろう。アホがいてこそ人類の歴史は素晴らしかった。そして面白かったと。たとえ人類滅亡の理由がアホな行為にあったとしても、アホがいなければ人類の世界と歴史はまるで無味乾燥だったに違いなかったのだと。アホとはなんと素晴らしいものであろう。

とまとめられています。
前者と後者の「アホ」は、どう考えても同じ意味ではありません。
この新書の「居心地の悪さ」「まとまりのなさ」の元凶は、キーワードである「アホ」の定義が曖昧で、その場その場でブレていることが大きいと思います。

新書というのは、「比較的先端に近い知識に、わかりやすい形で触れられる」というのが大きな魅力なのですが、この『アホの壁』は、「筒井さんの思い込み」で書かれている部分が目立ちます。
そもそも新書って、この『アホの壁』に限らず、「出典を明記していない『うろ覚えの専門知識らしきもの』」を書いている著者が多すぎます。こういうのって、編集者はなんとも思わないのでしょうか?
まあ、相手が「筒井康隆」であれば、編集者も何も言えないのでしょうが、これなら、編集者が最初に提示したという『人間の器量』についての新書のほうが、面白くなったのでは……
奇才・筒井康隆の凄さは、知識に裏打ちされた「常人には不可能な発想の飛躍」であり、「物語」あるいは「批評」「エッセイ」「戯曲」などの多くのジャンルでの筒井さんの凄さは言うまでもありません。
しかしながら、この本は、「エッセイにしては堅苦しく、学究書としては信頼性に乏しい」という場所に着地してしまっています。

筒井康隆なら、いままでの「新書」のイメージを変えるような「新しい新書」を著してくれたのではないか?
……こんな中途半端な『アホの壁』を書くのなら、「発想術」とか「創作ノート」を書いてほしかった……

 敷石の模様を伝って歩くというのも多くの人がやっていることだが、これは幼児期の遊びに由来するものかもしれない。白い部分を伝って歩いていた子供が、黒い部分に足を踏み入れてしまって「落ち」、いなくなるというショート・ショートを書いたこともある。

これを読んだだけで、「このショート・ショート、短いけどすごく印象に残っているんだよなあ」なんてすぐに思い出せる僕のような「ツツイスト」は、期待が大きくなってしまうだけに、ちょっと物足りないかもしれません。
書いたのが筒井御大じゃなければ、「ありきたりの新書」で済む本なんだけどなあ……

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