カブトムシさんは、今年の七夕に我が家にやってきた。
近所の児童センターで配られていたのを、妻と息子がもらってきたのだ。
真新しい虫かごの中に敷き詰められた土と落ち葉。小さなお皿に入った、甘い蜜。
息子は、はじめてみるカブトムシという生き物に興味を持ち、虫かごの中にいるカブトムシさんを、指で、ちょん、と触ってはにこにこしていたが、カブトムシさんをかごから出すと、妻の後ろにそそくさと隠れてしまっていた。
僕もカブトムシさんがいる生活なんて30年ぶりくらいで、ときどき気になって虫かごの中を覗いていたのだが、残念ながら、昼間のカブトムシさんは、いつも落ち葉の下や木の陰に隠れていて、生きているのかどうかわからないくらい、じっとしていた。
久し振りにカブトムシを掴んでみたけれど、足やツノがすぐに折れてしまいそうで、怖くて力が入らなかった。
30年前は、どうしてあんなに思いっきり、カブトムシさんを木の枝から引きはがすことができたのだろう?
最近、夜中にトイレに立ったとき、コツン、コツンという音が気になっていた。
その音は、虫かごのほうから、聞こえてくるのだ。
数日前、妻が言った。
「カブトムシ、昼間はほとんど動かないんだけど、夜になると活動するみたいで、虫かごの壁に、毎晩、コツン、コツンってぶつかってる。きっと、狭いんだろうね……」
僕たちは、カブトムシさんの現在の生活ぶりと、今後のことについて相談した。
息子は、カブトムシさんに「おはよう」と「おやすみ」の挨拶はするけれど、目で見て、手で触れて遊ぶのは、一日に10分くらいのものだろう。
僕たちだって、通りがかりに虫かごを覗きこんだり、餌を替えるときに「生きてるな」と確認するくらい。
それだけのために、カブトムシさんを、毎夜毎夜、つらい目にあわせて良いのだろうか?
息子は、まだ、「カブトムシさんがいなくなること」が悲しくなるほどには、物心がついていない。
「生き物が死ぬことを経験させる」ためだけに、カブトムシさんを引き留めておくのは、残酷なのではないか。
何より、このままあの「コツン、コツン」という音を毎晩聞きながら、「その日」を待つのは、僕たちもつらい。
しかし、ちょっと待て。
虫かごの中で生きるのが「不幸」だと、本当にいえるのか?
天敵もなく、餌を獲る苦労もない生活に、虫は「不満」なのか?
僕は以前、「キャッチ&リリース」で釣られたあとに放された魚がどうなるかを追った映像を観たことがある。
もちろん、そのまま元気に泳ぎだす魚もいる。
しかしながら、かなり多くの割合で、動くこともできなくなり、そのまま死んでしまった魚がいた。
「大自然に帰してあげる」なんていうのは、死ぬ姿を見たくない人間側の身勝手なセンチメンタリズムなのではないか?
狭い虫かごの中でのそれなりに不自由のない生を全うさせることが、一度飼ってしまった人間の責務なのではないか?
そんなことも僕は考えたのだが、妻と話し合い、結局、今週末、花火を観に行く前、カブトムシが棲めそうな山に、息子と一緒に放してあげることに決めた。
やっぱり、ひと夏ずっと、あの「コツン、コツン」という音を聞くのには、耐えられないと思ったし、このままでは「狭いと思いながら死んでいったカブトムシ」の記憶を引きずることになるという予感がしたから。
今日、21時過ぎに家に帰ってくると、息子がいつもと同じように、「ぱぱぁー」と笑いながら玄関まで出迎えてくれた。
ひとしきりのおかえりなさいセレモニーが終わったあと、僕は珍しく、こんな言葉を口にした。
「カブトムシさん、ただいま」
妻は、一瞬言葉を失い、そして、カブトムシさんの代わりに答えた。
「あのね、カブトムシさん、今日、死んじゃったの……さっき、この子と一緒に、庭に埋めてきた。この子はカブトムシさんが死んじゃったってことがよくわからなくって、土をかぶせたあと、『ばいば〜い』って、にこにこしながら、手を振っていたよ」
僕は、「そうか、死んじゃったのか……」と、何事もなかったかのように言い、靴を脱いだ。
たかが、一匹のカブトムシのことだ。僕はもうすぐ40歳になるオッサンで、1匹のカブトムシの死に、動揺しているところを家族に見せるわけにはいかない。
それは、「どこにでも転がっている、一匹の虫の死」であり、この季節は、僕だって毎晩蚊を追いまわし、叩き潰しているのだから。
そう自分に言い聞かせ、主のいない虫かごから、そっと目をそらした。
カブトムシさんの死因は、よくわからない。
この猛暑がこたえたのか、なんらかの病気だったのか、餌や水分摂取に問題があったのか、あるいは、寿命だったのか……
いずれにしても、僕は、少しだけ落ち込んでいる。
あと3日生きていれば、帰してあげられたのに、とか、なぜ、妻と相談した翌日にでも、それを実行しなかったのか、とか。
ああ、僕が誰かに何かをしてあげようと思ったときには、大概、手遅れなんだよな、とか。
息子にとっては、たぶん、人生最初の「自分にとって、”THE”がつくものの死」だったはずだ。
彼自身の記憶には、残らないとしても。