琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

小さいおうち ☆☆☆☆


小さいおうち

小さいおうち

内容(「BOOK」データベースより)
赤い三角屋根の家で美しい奥様と過ごした女中奉公の日々を振り返るタキ。そして60年以上の時を超えて、語られなかった想いは現代によみがえる。

単行本のオビには大きく「第143回 直木賞受賞作!」の文字。
この小説、太平洋戦争前〜戦時中の「東京のちょっと裕福な赤い三角屋根の家」での生活と、そこで暮らす人々の心の移り変わりを丁寧に描いた作品です。
いまの時代に生きていて、「歴史」としてあの時代を「知っている」つもりの僕にとっては、あの時代に大きく揺れ動いていた「日本」という国と、小さなさざ波はあるものの、少しだけ周囲より豊かな生活を送ってきた「赤い三角屋根の家」での生活のあいだには、なんだかものすごく大きなギャップがあるように感じられました。
「こんな時代なのに、そんなにのんびり暮らしていていいのか?」って興奮しているのは、その時代には生まれてすらいなかった僕のほう。

「スキーへ行くぞ!」
 お家にお戻りになるなり、旦那様が大きな声でおっしゃった。
 昭和十六年の、十二月の末である。
 アメリカと戦争が始まって、なにがよかったかって、世の中がぱっと明るくなったことだ。
 ちょっとばかり、食べ物は貧相になっていたけれども、足りないほどではなかったし、南方のゴム会社の株やなにかが、どんどん上がっていって、それで大儲けした人なども出て、街が少し賑やかになり、人々も穏やかになった。

 さすがに、太平洋戦争も末期になると、「厳しい時代」になっていくのですが、開戦直後の人々の「実感」は、こんな感じだったのでしょうね。
 あの時代を「歴史」として振り返ると、24時間、365日ずっと「暗黒時代」だったようなイメージにとらわれてしまうのですが。
 この作品では、こういった「あの時代に生きていた人々の、生々しい感情」が、きちんと描かれているのです。
 それは、人間というものの「浅はかさ」というよりは、生きていくための「強さ」「したたかさ」ではあるのでしょう。
 「現実」というのは、それが巨大で重苦しくなればなるほど、そのすぐ傍にいる人間にとっては、その大きさが実感できないものかもしれません。

 それにしても、この作品を描くにあたって、作者の中島京子さんは、今の時代からみた「研究書」ではなく、当時の雑誌などの「時代の空気を本当に反映していたもの」をたくさん読みこまれていたのだろうな、と思います。

 考えてみれば、昭和十六年は、戦争が始まるまでは、なんだかまるでいいことがなかった。
 旦那様は珍しいくらい不機嫌だったし、そのせいで奥様もきりきりしがちだった。
 ぼっちゃんが学校で、赤マントの話を聞いて眠れなくなったのも、あのころだったのじゃなかったか。便所にひとりきりでいると声が聞こえて、「赤マントがいいか、青マントがいいか」と訊かれるのだという。「赤マント」と答えれば、切り刻まれて血だらけになって死に、「青マント」と答えると、血をを吸い取られ真っ青になって、いずれにしても殺されるのだそうだ。
 嫌な話が流行ったもんだ。

 こういうのって、いつの時代も変わらないんだなあ、と、僕は少しだけ嬉しくなってしまいました。
 僕自身にも「布団から手足を出して寝ると、平家の四肢を失った怨霊に手足を持っていかれる」なんていう話を聞いて、真夏でも布団に縮こまっていた記憶があります。

 この『小さいおうち』、「背景を描くことへのこだわり」はすごいし、よくここまで、当時の人々の生活や感情を再現しようとしたなあ、と感動してしまいます。
 ただ、その一方で、「背景」に比べると、この作品の「赤い三角屋根の家」のなかで実際に起こることは、あまりにも些細で、物語としての起伏に乏しい印象もあるのです。
 いや、「ジェットコースター・ムービー」を目指した作品ではないことは百も承知なのですが……

 「時代背景や当時の空気感がよく描けているから直木賞!」という評価は、1年前の受賞作である、北村薫さんの『鷺と雪』を思い出します。
 僕は『鷺と雪』も、「当時のことを、ものすごくよく調べてあるのはわかるけど、ストーリーはあんまり面白くないな……」と感じたんですよね。
 小説の「背景のリアリティ」が授賞の大きなウエイトを占めていて、物語の「噓であるがゆえのダイナミズム」みたいなものが評価されていないように僕には思われます。

 「実在の人物を本人そっくりに演じたほうが、架空の人物を演じるよりもオスカーへの近道」という風潮と同じような気がするんですよ。

 「小説を書く側」にとっては、「この作品を書くには、資料をたくさん読みこまないといけないだろうし、大変だったんだなあ」というような共感もあったのでしょうね。

 これほど、「あの時代の空気」を丁寧に、先入観なく描いた作品は希有なものだし、すばらしい小説だと僕も思います。
 ただ、ものすごく「感心させられる」のだけれど、「面白さには、若干欠ける」のも事実なんですよね。

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