琥珀色の戯言

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甲子園が割れた日 ☆☆☆☆☆


甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「甲子園なんてこなければよかった」―。球史に刻まれた一戦、1992年夏、星稜vs明徳義塾。松井との勝負を避けた明徳は非難を受け、試合をきっかけに両校ナインには大きな葛藤が生まれた。あれから15年、自らの人生を歩みだした監督・元球児たちが語る、封印された記憶。高校野球の聖地で、彼らは何を思い、何が行われたのか。球児たちの軌跡を丹念に追ったノンフィクション。


あの試合が行われたのは、1992年8月16日。
ちょうど18年前のことでした。
当時の僕は大学生で、実家で観戦していたのですが、不躾ながら、球場の騒然とした雰囲気に、ちょっとワクワクしたのを覚えています。

僕は、高校野球が大好きで、そして、大嫌いでした。
大の運動音痴だった僕にとって、「甲子園で活躍する高校球児」というのは、まさに極北の存在であり、「さわやかな青春の汗と涙!」みたいな「高校野球幻想」に対して、「あいつら勉強せずに野球ばっかりやってるし、野球部のなかではイジメやシゴキが日常茶飯事に決まってるのになあ」と、ずっと思っていたのです。
でも、「負けたら終わり、というスポーツとしての緊張感」は、やっぱり魅力的ではありました。

僕はあの「5敬遠」について、20歳のスポーツ音痴男として、内心「よくやった、明徳!」と快哉を叫ばずにはいられなかったのです。
「教育としての高校野球」とか言うけど、多くの強豪校は、「学校の名誉のために」選手を越境入学で狩り集め、一日中野球漬けにして、特別扱いしてきました。
彼らはいわば、「プロの高校球児」なわけです。
そんな現実をみんな知っているくせに、「純真無垢なスポーツマン」だと言い張るメディアが、当時はまだ高校生の記憶が生々しかった僕は、不快でしょうがなくて。

「いくら『教育』だとか綺麗事を並べても、(とくに野球エリートたちの学校は)勝って、有名になることだけが正義じゃないのか?」
明徳は、そんな僕に「現実」をまざまざと見せつけてくれました。

「そうだ、勝たなくては、どうしようもないんだ。そもそも、『敬遠』はルール違反じゃない。われわれは、純粋に『勝つための最善手』を打っただけなのだ」

その後の明徳へのバッシング、星稜・山下監督の「勝負してほしかった」、そして、高野連会長までが発した、敬遠への疑問……
この本を読んでみると、そういう「世論全体」からの明徳へのバッシングは、そんなに長くは続かなかったようなのですけど。


もう18年も前の話ですし、当事者たちは、みんな中年男になり、指導者たちのなかには老境に入ってきている者もいます。
この本を書店で見かけたとき、「もう松井秀喜もそろそろ『引退』が見えてきているこの時期になって、あの『伝説』を蒸し返してもねえ……」と僕も思いました。
しかしながら、この「5打席連続敬遠についての、当事者たちの言葉」は、たぶん、これだけの時間が経っているからこそ引き出せたものなのでしょうし、ここに書かれている「勝たなければ意味がない」と「勝つためには、何をやってもいいのか?」のせめぎあいは、それが「アマチュアスポーツ」である以上、避けては通れないものです。
あの「5打席連続敬遠」は、それが「反則」ではないだけに、なおさら、そのせめぎあいの「象徴」となりました。

この本を読んで驚いたのは、観戦者である僕たちが考えているよりも、当事者、とくに明徳の選手たちが、あの「敬遠」に対する後ろめたさを持っていないことだったのです。
彼らは、「高校野球幻想」にとりつかれているメディアや周囲の大人たちよりもはるかに、「勝つこと」に対して貪欲でした。
周囲が押しつけたがっていた「高校生らしさ」なんて、選手たちにとっては、全く無意味。

この作品のなかでは、明徳のキャッチャー・青木選手が発したとされる「甲子園なんてこなければよかった――」という言葉の「捏造」も明かされています。
彼は、そんなことひとことも言わなかったのに、「そう言わせたかった人たち」の思惑ばかりがひとり歩きしてしまったのです。

 青木貞敏は困惑気味だった。
 それもそのはずだ。そのことを確認するために、僕はわざわざ二度も青木のもとを訪ねたのだ。
「言ってないもんは言ってないんですけどね。う〜ん、言ったんでしょうかね、僕……」

(中略)

 松井を敬遠した「2時間7分」の戦い以降、明徳の動向はもはや国民的関心事になっていた。そのため、報道陣の中には普段は見かけない一般紙の社会部の記者や雑誌記者の顔まであった。
「試合のあと、通路のベンチに座っていたら、記者たちがたくさん集まってきたんです。なんとかだったですか、なんとかだったですか、って聞くから、こっちも、はい、はい、って。でも、(3回戦の対戦相手の広島工業に0−8の)ボロ負けで、自分のサインミスもあったりして。そんなときにいろんな質問されたってね。考えられないじゃないですか。だから、はい、はい、って感じで聞き流してたんですよ。いい思い出ではないですかね、みたいに微妙な聞き方をされて、はい、って言ったのがそう書かれたんじゃないですかね」
 嘘をついているようには見えなかった。それに今さら嘘をつく必要もない。
 だが、翌日のスポーツ紙にはこのような青木のコメントが載った。

《ムードが盛り上がらなかった。甲子園に来ない方がよかった》(サンケイスポーツ
《甲子園に来ない方が良かった。新聞見るのもつらかった》(日刊スポーツ)
《甲子園になんか来るんじゃなかった…。つらいことしか思い出になりませんでしたから》(報知新聞)

 本人が話していたように、こう書かれる可能性のある質問に、はっきりとではなくとも何らかの肯定を示すアクションを起こしたのかもしれない。
 メディアがそのような誘導的な尋ね方をしたのにはこんな理由もあったのだろう。
 明徳を担当していたNHKのアナウンサー、広瀬靖浩が指摘する。
「メディアの卑怯なところなんですけど、高校野球は選手を叩けないっていう暗黙の了解があるじゃないですか。だからこのときは、ちょうどいいことに悪党面した監督がいるから、あいつを叩いてやれって。そんな雰囲気になったんじゃないですか」
 選手もそうした雰囲気を察知していた。センターを守っていた橋本玲が語る。
「僕が何より嫌だったのは監督が非難されること。あの作戦に対して、え? って思ったやつはひとりもいない。僕らも勝ちたいですもん。あんな練習して。勉強するならあの学校には行ってないじゃないですか。監督のエゴの犠牲になったみたいな見方はぜんぜん違う。そういう人たちにいちいち反論してもしょうがないんですけど」

そして、あの試合で、もっとも人生を狂わされたのは、明徳の選手や監督でも、敬遠された当事者の松井選手でもなく、松井の後、星稜高校の5番を打った選手だったのかもしれない、という事実に、あらためて気付かされました。
あの試合に投げた、明徳の河野選手の話から。

「あの試合でいちばんしんどい思いをしたのは星稜の5番バッターでしょう。月岩でしたっけ。大学で野球を辞めたって聞きましたけど」
 月岩信成。「4番・松井」の次の打者だ。あの試合、月岩はスクイズを1本決めた以外は4打数無安打だった。もし月岩に1本出ていれば、おそらく試合展開はまったく違ったものになっていた。確かに、ある意味では松井以上に辛い思いをしたに違いない。

言われてみればそうですよね、敬遠された松井は「どうしようもなかった」けれど、次の月岩選手が打って、星陵が勝っていれば、この「5連続敬遠」という作戦は、もっと純粋に、かつ明るく「松井秀喜伝説」の一部として語られることになったはずです。

この本のなかでは、「せめて、ランナーなしの場面だけは、『勝負』すべきだったのではないか?」という「折衷案」を述べている人も少なからずいることが紹介されています。
しかし、ランナーなしとはいえ、1点差で松井、という場面で「勝負」すべきだったのか?
「ホームランを打たれても、同点どまり」だとしても、それで星稜は勢いにのるでしょうし、明徳は、松井の次の5番打者の弱点をつかんでいました。

 あと、この本を読んで、あらためて、松井秀喜の「人間としての凄さ」を感じずにはいられませんでした。
 そして、その松井と対戦し、あるいはチームメイトとなった「野球に賭けていた高校生たち」の悲哀も。

 あるスポーツ新聞社に入社した1年目のことだった。当時、横浜ベイスターズを担当していた僕はオールスターのときだけ「松井番」を任されることになった、移動中も同じ飛行機に乗るなどして、松井のコメントを細大漏らさず拾い集めるのが仕事だった。
 プロ入り5年目を過ごしていた松井は、そのときすでに名実ともにスター選手の仲間入りを果たしていた。巨人担当のキャップを務めていた先輩記者は、その任に就くに当たり、羽田空港の出発ロビーで僕のことを松井に紹介した。
「松井ぃー。うちの新人なんだけど、よろしくね」
 硬直気味の体に無理矢理いうことをきかせ松井に名刺を差し出した。すると松井はそれを両手で受け取った。そして、「こちらこそ、よろしく」、確かにそう言った。折り目正しい口調で。あの松井が、である。
 ショックだった。松井の丁重さが。一般社会ではそれが普通なのだ。ただそんな普通に滅多にお目にかかることのできないプロ野球の世界にあって、松井が身に着けていた普通さは驚愕に値した。

「松井選手の人間性の素晴らしさ」は、かねがね耳にしていたのだけれど、こういうエピソードを読むと、それが「人気選手へのメディアの気がね」だけではないということが伝わってきます。
そんな松井も、高校時代のチームメイトたちからすれば、「本質的には短気でワガママなやつ」だったりするのが、また面白いところでもあり。
松井選手は、著者との話のなかで、「自分の前の打者が敬遠されたら?」という問いに、こう答えたそうです。

「僕は嬉しいんですよ。前のバッターが敬遠されると」
 最初、言っている意味がわからなかった怪訝な顔をしていると、松井はこう続けた。
「だって、チャンスで回ってくるということじゃないですか。屈辱感とか、どんなのはぜんぜんないですよ。A・ロッドと松井、どっちで勝負するって言ったら、僕でもそら松井でしょうって思いますもん。そうなったら僕は僕で、はいはい、いいとこで回ってきましたよ、って思うだけで」

(中略)

「僕は月岩とは違いますからね。はははははは。月岩、あのとき、視界10度ぐらいしかなかったんじゃないですか」
 松井はそう笑いながら、顔の前で、「小さな前へ倣え」のポーズをした。

 これは、月岩選手をバカにしているというよりは、同級生の気安さで、明るくネタにしてあげているのだと思うのですよ。松井選手としては、たぶん、悪気はないというより、元チームメイトへの「気配り」なんだと思います。重苦しい話から、大事な仲間を解放してあげたい、という。
 でも、これがまた、事実だなけに、「月岩選手側」の人間である僕にとっては、けっこうつらい言葉にも聞こえるのです。


この本を読むと、当時の光景がよみがえりますし、なんかもう、これは観客があれこれ口出しをすることじゃないのかな、と考えてしまいます。
ほんと、高校球児もラクじゃない。
その一方で、高校球児は、僕が想像していたよりもはるかに精神的にもタフだったんだな、と感心せずにはいられなくなります。

この『甲子園が割れた日』、スポーツノンフィクション好きには、たまらない作品だと思います。

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