琥珀色の戯言

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ハーモニー ☆☆☆☆


ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

内容(「BOOK」データベースより)
「一緒に死のう、この世界に抵抗するために」―御冷ミァハは言い、みっつの白い錠剤を差し出した。21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は医療経済を核にした福祉厚生社会を実現していた。誰もが互いのことを気遣い、親密に“しなければならない”ユートピア。体内を常時監視する医療分子により病気はほぼ消滅し、人々は健康を第一とする価値観による社会を形成したのだ。そんな優しさと倫理が真綿で首を絞めるような世界に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した―。それから13年後、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、かつて自殺を試みて死ねなかった少女、現在は世界保健機構の生命監察機関に所属する霧慧トァンは、あのときの自殺の試みで唯ひとり死んだはずの友人の影を見る。これは“人類”の最終局面に立ち会ったふたりの女性の物語―。『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

虐殺器官』の伊藤計劃さんの最後の長編。
第30回日本SF大賞受賞。
第40回星雲賞日本長編部門受賞。

最初は、出てくるのはトァンとかミアハとかいうような親しみが持てない名前の3人の女子高生だし、わけわかんないプログラムみたいなのがたくさん書いてあるしで、ちょっとこれはついていけるかなあ……なんて思っていたのですが、読み進めるにつれて、どんどんこの『ハーモニー』の世界に引き込まれていきました。
ストーリーの流れとしては、なんか都合よく重要人物が死んで、ここでラスボス登場!みたいなのは、けっこう『虐殺器官』に似ているな、と思いました。
虐殺器官』では、ちょっと多すぎて鼻につく感じだった「作者の蘊蓄領域」は、この『ハーモニー』ではかなり少なくなっていて、「読みやすい」のは確かなのですが、それはそれで、何か物足りないような気もします。あの蘊蓄領域こそが、「伊藤計劃らしさ」だったのかもしれません。

 みんなひとりひとりのなかにあるものが敵だった場合、わたしたちはどうすればいいの・

 いまの生命主義っていうのは、その極限で、同時に成れの果てでもあるんだ。

「三銃士」って知ってる……アレクサンドル・デュマって人が書いた小説で、十七世紀のフランスを舞台にした銃士たちの物語。そのなかにこんな言葉があるんだ。
「ひとりは皆のために、皆はひとりのために」
 銃士たちはよかったよ、ほかの何人かにその言葉を誓えばよかっただけなんだから。
 でも、公共性とリソース意識の世の中じゃ、わたしたちはそれを生府の全合意員、ううん、世界中の人々に向けて誓わなきゃならないようなもんでしょ。病気にかからず長生きできるっていう平穏を、つまりは命を人質にして、それを誓わされているんだ。

体内を常時監視する医療分子"WatchMe"をインストールされることにより、「病むことすら許されなくなった」人々のなかで、あえて「痛み」を感じることを選んだ者たち。「究極の健康的な世界」は、はたして、本当に人間を「幸福」にするのか?
僕は小市民なので、この『ハーモニー』を読みながら、「でも、痛みのない世界のほうが、幸せなんじゃないかなあ、やっぱり……」とも考えてしまうのです。
銀河鉄道999』で人々を堕落させまくっている「機械の体」も、使いかた次第なんじゃないか、という気がしてならないし。

ただ、肺がんにおかされ、酷い苦痛のなか、それでもこの作品を推敲し、「『痛み』もまた、人間を人間らしくしている要素なのだ」というメッセージを刻みつけた伊藤さんのことを思うと、それは、ひとつの「真実」なのだと受け入れざるをえません。
当時の伊藤さんにとっては、「まだ痛みが感じられる」ことこそが、ある種の「生きている実感」だったのでしょうか……

個人的には『虐殺器官』のほうがインパクトを感じた小説でした。
でも、この『ハーモニー』の「静謐さ」も僕は好きです。

「わたしは前、こことは別の権力に従わされていた。地獄だった」
 ミァハは振り返らずに背中で語り、
「だから逃げてきた、ここに。でも、ここも充分狂っていた。向こう側と同じくらいには、人間が生きるための場所じゃなかった」
「向こうって、どんな場所だったの」
「こことは真逆な場所。向こう側にいたら、銃で殺される。こちら側にいたら、優しさに殺される。どっちもどっち、ひどい話だよね」

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